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『THIS IS US 36歳、これから』シーズン1もうすぐ終わり

2019年03月27日 23時36分46秒 | テレビ
テレビドラマ『THIS IS US 36歳、これから』のシーズン1の再放送を毎週楽しみに見ているが、次回で最終回。とてもおもしろい。
ランダルの父親のウィリアムが死んで、みんなでお別れのパーティを行う。ウィリアムがどんなに素晴らしい人だったかわかる。
確かに素晴らしい人だったが、ずいぶんと知らない面があったのだな、とまるで実在の人物のように、知り合いが死んでしまったように感じる。
今回は映画監督のロン・ハワードがロン・ハワード役で登場して驚いた。
ロン・ハワードがとっても好きで、作品を好んで観ていた時期があった。
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詐欺の子

2019年03月24日 00時51分36秒 | テレビ
NHKのドラマ「詐欺の子」を見る。
オレオレ詐欺を題材にしたドラマでとてもおもしろく見た。いいドラマだった。
オレオレ詐欺というのは今の日本の縮図なのだなとドラマ制作者の意図通り素直に思った。
樹木希林がいなくなって是枝裕和の映画のおばあちゃん役は誰がするのだろうと思っていたが、桃井かおりがすればいいのだと思って、安心した。
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司馬遼太郎『項羽と劉邦(下)』

2019年03月21日 23時45分36秒 | 文学
司馬遼太郎『項羽と劉邦(下)』(新潮文庫)を読んだ。
項羽が死んで、死骸のいろいろな部分をみんなに取られて、それを持ち帰った人に劉邦が論功行賞を与える。
その後劉邦がどうなって死んだのかは語られなかった。
司馬遼太郎の小説は最初は興味深く読み始めるのだが、長く読んでいる間に飽きてしまう。
『竜馬がゆく』はおもしろかったが、だんだんとああいう書き方はしなくなった。
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『いだてん』代役予想はずれ

2019年03月20日 00時15分03秒 | テレビ
私の『いだてん』代役予想は外れて、ピエール瀧から三宅弘城に交代するようだ。
三宅弘城には特になにも思いがない。椅子の応援団。
ドラマはわりとおもしろくなってきたように思うので、このまま順調に(たとえ逮捕者があと二人くらい出ようが)続いてくれることを希望する。慣れてきたせいか、ビートたけしの言うことも理解できるようになってきた。
それにしても、このまま何の説明もないままに三宅弘城に交代するのだろうか。何の説明もないまま。
つまりインターネットもテレビのワイドショーも女性週刊誌も見ない人で、大河ドラマしか見ていないひとがいたとして、ピエール瀧の逮捕を知らなくていきなり役者が代わったら「どうなったんだろう」とびっくりするだろうな。
と思ったのも、この前たまたまテレビで「あまちゃん 総集編・前編」がやっていて、最後のほうだったのだが懐かしくて見ていたら番組が終わり最後に「後編の放送予定はありません。ご了承ください。」と出てそれで終わり、何を了承すればいいのかわからない! と思った。
少なくとも「出演者逮捕のため後編の放送予定はありません。ご了承ください。」くらいは言うべきだろうと思う。
今回の交代のホームページでの発表も、

「大河ドラマ「いだてん」の出演者について、黒坂辛作役を三宅弘城さんに変更することになりましたので、お知らせいたします。」

とあり、理由も、誰から交代するのかも、書かれていない。
言いにくいことを言わないでやり過ごすというのが時代の風潮なのだろうなと思う。
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歌野晶午『そして名探偵は生まれた』

2019年03月19日 22時43分53秒 | 文学
風邪を引いて喉が痛いので、古本屋で買っていた歌野晶午『そして名探偵は生まれた』(祥伝社文庫)を読んだ。
ミステリーの短篇集で四作品が収録されている。
どれもおもしろかった。ミステリーという状況設定を登場人物が楽しむという作品が好きなので特に「そして名探偵は生まれた」と「館という名の楽園で」がおもしろかった。
たまにミステリーを読むと楽しい。
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村上春樹編訳『月曜日は最悪だとみんなは言うけれど』

2019年03月17日 23時15分10秒 | 文学
村上春樹編訳『月曜日は最悪だとみんなは言うけれど』(中央公論新社)を読んだ。
最初はレイモンド・カーヴァーの話について読もうと思って買ったのだが、読んでいると、他の作家についてのものもおもしろかった。
ティム・オブライエンの短篇小説や、ジョン・アーヴィングについての記事、トム・ジョーンズのエッセイもおもしろかった。
とくにトム・ジョーンズのものはあまりきちんと読めなかったが読み終わってみれば大変素晴らしいことが書かれていたような気がするので(そんなことが本を読んでいるとたまにある)、いつか困難に逢ったときにでも再読したい。
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代役

2019年03月13日 23時10分45秒 | テレビ
朝新聞を見て声を上げて驚くようなことはないのだが、今朝はピエール瀧逮捕のニュースに驚いた。
『あまちゃん』も『64』も見て、『いだてん』をいま見ているのでピエール瀧のドラマは結構見ている。
勝手に、『いだてん』のピエール瀧の代役を誰にするか今日一日考えてみたが、あまり似たような人はいない。ドラマの『64』のピエール瀧の演じた人物は映画では佐藤浩市だったようなので、佐藤浩市でもいいが、ちょっと足袋を作っている姿が想像しにくい。
家に帰ってテレビを見ているとCMで古田新太が登場し、この人しかいないのではないかと思った。
『あまちゃん』にも出ていたのでそもそも『いだてん』に出ることになっているのかもしれないが、そうでなければピエール瀧の代わりは古田新太なのではないかと思う。スケジュールは空いているかなあ。

ドラマの途中で何かの都合で役者が出られなくなることはよく考えるとありそうなことなのだが、あまり記憶にない。
『阿修羅のごとく』で緒形拳が露口茂に変わったというのを再放送で見て知ったが、リアルタイムで知っているのは『渡る世間は鬼ばかり』で、山岡久乃が突然出なくなり死んだことになり、藤岡琢也は宇津井健に代わった。そのくらいしかない。
演じている役者が途中で代わるのは独特の不自然さがある。
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阿部公彦『100分de名著 夏目漱石スペシャル 「文豪」を疑う』

2019年03月09日 23時47分01秒 | 文学
テレビではまだ第一回目の『三四郎』しか放送していないが、阿部公彦『100分de名著 夏目漱石スペシャル 「文豪」を疑う』(NHK出版)を読んだ。
夏目漱石の新たなおもしろい読み方を期待して読んだ。
『夢十夜』と『明暗』は再読してみようかなと思った。
阿部公彦の本にも興味を持った。
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上田慎一郎監督『カメラを止めるな!』

2019年03月09日 23時37分30秒 | 映画
テレビ放送を録画していた上田慎一郎監督『カメラを止めるな!』を観た。
面白いという噂とゾンビ映画であるということだけ知っていて、「ゾンビ映画観ないんだけどな」と思っていたが、観たらとってもおもしろかった。
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イ・ギジュ『言葉の品格』

2019年03月09日 09時18分07秒 | 文学
イ・ギジュ『言葉の品格』(光文社)を図書館で借りて読んだ。
オバマ前大統領の話が多かったように思う。日本で、こんなふうに良い話としてアメリカの大統領の話をエッセイですることってあるかなと思った。日本と韓国でアメリカに対する距離感が微妙に違うのかもしれない。
渡辺淳一の「鈍感力」にも触れられるのが意外だった。
インターネット上の悪意ある言葉にも触れられる。インターネットのせいで悪意ある言葉に触れることが確かに多くなった。自動車で運転中に吐くしかなかったような言葉を日常的に文字にしていることでその人物の中の何かが損なわれるということがあるだろう。

以下はメモした殺し文句の数々。

《あらゆる力は外に向かうと同時に、内にも作用するものだ。言葉の力も例外ではない。》(12頁)

《「品」という漢字は面白い構造をしている。口が三つ集まってできていることがわかる。言葉が積もり積もって、一人の人間の品性となるわけだ。》(13頁)

《ドイツの哲学者ゲオルグ・ヘーゲルは「心の扉を開くノブは外側ではなく内側にある」と言った。相手が自分からドアノブを回して心の扉を開いて出てこられるように、相手に配慮し、尊重しなくてはならない。》(23頁)
ヘーゲルのこの言葉を内田樹が就職活動をしている学生に向けての言葉として言っているのを読んだことがある。ヘーゲルの言葉だったのか、と思った。

《人生の知恵はしばしば聞くところから始まり、人生の後悔はたいてい話すところから始まる。》(25頁)

《傷と傷が重なり合ったり触れ合ったりするとき。傷の角は少しずつ擦り減っていくのではないか。》(49頁)

《人間の集中力には限界がある。一部の言語学者によれば、成人の集中力は最大で十八分だという。一方的な話が十八分以上続くと、どんなによい話でも辛抱して聞き続けられる人はいないということだ。》(79頁)

《私は耳を疑うような言葉によって自分の心が切りつけられたときは、自分も誰かにそんな言葉を投げつけたことはないかと振り返りながら、相手の口をそっと見つめることにしている。

「人間の口は、その人が最後に口にした単語の形を保っている」という言葉がある。自分の口に自分の言葉の痕跡が残っているというのは。恐ろしくてぞっとする話だ。》(88頁)

《私は文章を書くにあたって、「左右逢原」という言葉を肝に銘じている。「身近なところで出くわす、あらゆる事件と現象が学問修養の源泉となる」という意味に解釈することができる。》(101頁)

《誰かを指差した瞬間、相手を差したその指は、人差し指だけだ。親指を除く残りの三本の指は、「自分」に向かっている。三本の指の重さに耐えられるとき、初めて人を指差すべきだ。他人を指差す前に、自分にやましいところがないか、少なくとも三回は問いただしてみよう。》(168頁)
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