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チェーホフ『三人姉妹』

2010年11月27日 13時02分07秒 | 文学
チェーホフ『ワーニャ伯父さん/三人姉妹』(光文社古典新訳文庫)。
『三人姉妹』も読んだ。
『ワーニャ伯父さん』よりも分かりにくい作品だった。
もう私たちにはなんにもなくなってしまって、残り滓みたいな人生だけれど、それでも生きていこう、というところが同じ雰囲気だった。
登場人物がわりとたくさんいるのだが、舞台上にいるのに何もしゃべらない人もいて、しばらくしてから突然話し始め、「いつのまにこの人は舞台にいたのだろう」と思うことが多かった。戯曲を読むときはそういうことがある。その辺が読みにくいところかもしれない。
チェスの駒でも用意して、この駒はアンドレイで、この駒はオリガで、とボードの上に乗せたり降ろしたりしていればいま読んでいるところの状況把握がしやすいかもしれない。が、残念ながらうちにはチェスのセットがない。
と書いていたら、アニメの『デスノート』でニアがおもちゃを使って戦略を立てていた場面を思い出した。(だからどうしたということもない。)
『デスノート』と言えば、最近よく見ているテレビドラマの『スペック』はなんとなく雰囲気が『デスノート』に似ていて、そのへんが好きなのかなあと思う。たんにミサミサ(戸田恵梨香)が出ているからそう思うのかもしれない。
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紅白歌手

2010年11月27日 01時27分13秒 | テレビ
最近テレビ番組で食べているのを見ることがたいへん多いが、みんながみんな、何を食べても大袈裟に「美味しい」と言うので、結局は何が本当に美味しいのかが判断できなくなっている。
この間、コンビニのデザートをテレビで「美味しい」と言うので食べてみたが、不味くはないが普通なので、まあこんなものかと思った。
テレビは必要以上に感情を表現するので疲れる。

NHKの番組モニターなので、今年も紅白歌合戦を見なくてはならない。
出場歌手が決定したので顔ぶれを見たが、どこを見ればよいのか分からない番組だ。
毎年、くだらんくだらんとは言いながらも一人くらいは見てみようかと思わせる人がいたものだが今年は皆無だ。しかも美川憲一もいない。今年は「さそり座の女 2010」は聴けないのだなあ(しんみり)。
さだまさしはもう出ないことになったのだなあ。
マツコ・デラックスを審査員にして一曲終わるごとに感想を言わせるか、ミッツ・マングローブに中森明菜を歌わせるか、そのくらいをしないと(僕にとっての)楽しい番組にはならないだろうな。

ドラマ「スペック」。
椎名桔平は三つ子とか五つ子の設定なのだろうか。
今回は展開が進みおもしろかった。
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チェーホフ『ワーニャ伯父さん』

2010年11月25日 22時20分42秒 | 文学
チェーホフの『ワーニャ伯父さん』(浦雅春訳)を読む。
とてもおもしろくてかなしい。
ずっと価値があると思っていたのに、実は価値のないものだと気付いて、でも気がついた時にはもう遅くて、自分の人生は何だったんだろうと思う。そういうのって哀しいよなあと思った。
それと『かもめ』を読んだときも思ったが、男というのは物事を理屈でしかとらえることができないものだという思いがチェーホフにはあるのだなと思った。そしてそれは確かにそうだと思う。
男の子は、こうだ!と思ったら物事をすべてそうだと思いがちで、なかなか新しい「こうだ!」に乗り換えることができない。そもそも物事はなんらかの「こうだ!」に還元できるものだという考えから逃れられない。
そういうことを最近よく思う。
できればイデオロギーにとらわれず柔軟に生きていきたいものだ。

『ワーニャ伯父さん』には拳銃が登場する。
村上春樹の『1Q84』でチェーホフの言葉として、「物語に拳銃が登場したら発射される」という言葉が引用されていたが、確かに発射された。
『かもめ』でも拳銃が発射された。
しかしこのチェーホフの言葉はどこに書かれているのだろうか。ちょっと調べてみたが、チェーホフのエッセイ集のようなものはあまり翻訳されていないようだ。
読みたい。
少しチェーホフが好きになりつつある。

岩波文庫のトーマス・マンの『ブッデンブローク家の人びと』が復刊されて、待ちに待っていたのだけれど、いざ復刊されてみると買う気がなくなってしまった。いま長い物語を読む気がしない。ちくま文庫のディケンズの『荒涼館』も復刊されて、こちらは購入はしたのだが、いつ読むか分からない。
『ブッデンブローク家の人びと』はそのうち光文社古典新訳文庫あたりから新訳が出るかもしれないので、新訳が出たときに読もうかと思う。出なければ読まなくていいや。
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三谷幸喜監督『ラヂオの時間』

2010年11月23日 01時10分19秒 | 映画
三谷幸喜監督の『ラヂオの時間』をNHK-BS2で放送していたので、録画して、見た。
民放で放送していたのをずいぶん前に二度ほど見たことがあるのだけれど、いい加減に見ていたし、CMが入ったり、お風呂に入ったりで、最初から最後まできちんと通して見るのは初めてだ。
とてもおもしろい。
三谷幸喜の映画は結構見ているが、これがいちばんおもしろいと思う。
話がめちゃくちゃになっていくが、でも最後はきちんと終わらせる、ということが分かっているので安心して見ていられる。
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『モーム短篇選(下)』

2010年11月21日 23時07分46秒 | 文学
サマセット・モームの『モーム短篇選(下)』(岩波文庫)を読んだ。
きちんとオチのある話で、おもしろかった。しかし短編ではあるし、こころに深く残るというものでもなかったので忘れてしまうだろう。もうすでにどんな話が入っていたのだがだいぶ忘れている。誤植の多い本だったように思う。
モームは女に対して厳しく、とくに(寝るときに見る)夢の話をする女に対して厳しい。たしか『人間の絆』でも夢の話をする女が嫌な女として描かれていた。たぶんほんとうに嫌いなのだろう。
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講習を受ける

2010年11月20日 01時02分38秒 | 文学
この二日間はパソコンのネットワークの設定についての講習を受ける。
去年はネットワークスペシャリスト試験を受験したのだけれど不合格で、今年は受験していないのだが、来年は再び受けてみようかという気分になった。
参考書でひとりで勉強しているよりも、教室で先生に話を聞くほうが僕には分かりがよいように思う。向き不向きがある。
いますぐ試験を受けたいくらいな気分なのだが、来年まで待つしかない。そのうちに気分も変わることもあるかもしれない。
パソコンのネットワークの設定の仕方というものも歴史があり、いろいろと試行錯誤の結果でいまのような状態になり、これくらいで数は充分だろうと思っていたら一気にインターネットが広まってアドレスの数が足りなくなり、それの対策をしたり、わりといびつなことになっているのだなということが知れて良かった。
そういう歴史的な側面が全く無視されて、試験にはこの問題が出る。解き方はこうだ、というようなことしか参考書には書かれていないから、なんのことだかわからないままに部分部分の知識だけで全体が見えなくなってしまう。
たまにはよくわかったひとに話を聞いて全体を見通せた方がよいのだなと今回は実感した。
何か具体的なことを学ぶということが、だんだん年を取ると滅多になくなるのだけれど、やるとおもしろい。

本は江藤淳の『アメリカと私』を半分くらいまで。ケネディが死んだ。あれはミステリーだなあ。
アニータ・ブルックナーの『ある人生の門出』も半分くらい。主人公がバルザックの研究をしていて、バルザックの小説に『人生の門出』というのがあり、そこからこの本のタイトルは取られているようだ。しかし『人生の門出』というバルザックの小説があることを初めて知った。どんな話なのか調べても分からなかった。

テレビドラマ「スペック」。
ちょっとずつおもしろくなくなってきているようにも思うが、毎週次回を期待させるので、毎週見てしまっている。
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チェーホフ『かもめ』

2010年11月17日 23時55分48秒 | 文学
チェーホフ『かもめ』(岩波文庫)を読んだ。
NHKの「週刊ブックレビュー」のチェーホフ生誕150年特集を見て興味を持ち読んだ。
おもしろかった。チェーホフで初めておもしろいと思ったかもしれない。
若い男の子の、負けないように必死で生きている、でも脆い、という感じがよくトレープレフに出ていてよいと思った。
ほかにもいろいろな人が出てくるのだが、その一点だけでとても良いと思った。
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新感線

2010年11月13日 00時40分01秒 | テレビ
NHK衛星放送の番組モニターの仕事を着実にこなす。
今日は劇団☆新感線についての番組を見た。とてもおもしろかった。
劇団☆新感線の舞台は見たことはないが、とてもおもしろそうに思った。今度テレビで放送する時は録画しておこうと思った。
音楽とダンスだけで内容のない芝居なのだろうと、昔一度テレビで見ようとしたときに思い途中でやめたことがあるが、最近は躍動感だけあって内容のないものこそを見たい気分になっている。内容なんてめんどうくさい。そんな気持ち。

こっちはNHKではないが、ドラマ「スペック」は毎週欠かさず見ている。
戸田恵梨香は腕を怪我しているわけではなく手がないのだった。これはおどろいた。
神木隆之介はなんらかの犯罪者なのだなあ。
過去をすこしずつ明らかにして結末に向かっていくのは、ちょっとつまらないことだなあと感じる。
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アンリ・ベルクソン『創造的進化』

2010年11月09日 23時17分04秒 | 文学
アンリ・ベルクソン『創造的進化』(ちくま学芸文庫)を読む。
通勤時に読んでいたのだが、通勤時に読むようなものではない。難しくて非常に時間がかかってしまった。噛み続けて味のしなくなったガムみたいに興味も失われた。
生物の進化というのは、終わった後に遡って考えて頭の中で組み立てることが出来るもので、進化の途中で次にどういう進化が起きるか言えるようなものではない。いや、「進化の途中」などという考えがすでに終わった後から遡って考える思考法にとらわれているのかもしれない。
人間の知性は不動のものしか相手にできないので、映画のコマ割りのようにひとコマひとコマ(の不動の瞬間)が連続したものを動きだととらえるのだが、ほんとうの動きはそういうもんじゃない。
そんなことを言っている本なのだと思う。
とても難しい本だった。読むときに読む人が読めばとてもおもしろい本なのかもしれない。
ベルクソンの本はおもしろいものもあるけれど、難しいものもある。主要な著作四冊をすべて読んだけれど、半分おもしろかった。岩波文庫で読んだものはおもしろく、ちくま学芸文庫で読んだものは難しかった。翻訳のせいかもしれない。
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アニータ・ブルックナー『秋のホテル』感想

2010年11月08日 14時10分08秒 | 文学
アニータ・ブルックナー『秋のホテル』(晶文社)を読む。
最近長編小説をあまり読んでいないので、短い期間で(三日間くらい)集中して読むのはひさしぶり。やはり小説は短い期間で熱中して読まないと駄目だと思う。
シーズンオフの閑散としたホテルに、それぞれの思いを持ったもう若くはない女たちがいて、人生をふりかえるというような小説は、設定そのものがとても好きで、前々から気になっていた小説だった。シーズンオフのホテルというものになぜだかとても惹かれる。出張帰りの、ひとがどんどんと降りて行って一車両に二、三人しか残っていない新幹線というものも好きなので、そういうのが僕の趣味なのだろう。
四十前の作家が、結婚式から逃げてきて、そこで出会うひとたちについて想像を膨らませ、そして実際に話してどういう人か分かっていく、というところにこの小説の前半の楽しみがあると思う。
犬を連れた女、仲の良い母娘、ひとりでいる老婦人、の四人が主な宿泊客で、お互いにそんなに親しくしない。
後半は主人公がホテルに宿泊するようになった経緯と、彼女の結婚についての話が中心になる。彼女がなぜ結婚式から逃げ出したのかがよくわからないのだが、不倫相手がいるせいのような気もするし、そうでない気もする。はっきりとさせていない。
「私が結婚式から逃げ出したのはこういった理由である」とか「私はフェミニストである(または、そうではない)」とかそのようにはっきりと言葉で宣言できないようなことを表現しているところがこの小説の良いところだと思う。
きちんとした理由があっていつも何かを行っているわけではない。
あとから考えれば大きな事件も起きないし、何がおもしろかったのかよくわからないのだが、読んだあとから考えようとして抜け落ちてしまうもののなかにこの小説のおもしろさがあるんだと思う。
読んでいる間は愉しい本だった。
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