ダブログ宣言!

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ふたりでするのがダブログ。

☆クローズアップ中山元

2010年01月22日 21時45分57秒 | 文学
なぜだか知らないが僕の読みたいと思っている本を中山元がどんどん訳す。
ルソーを読もうかと思っていたら訳し(まだ読んでいないが)、ハンナ・アレントも訳し、カントの「純粋理性批判」も訳す。最近は経済の本に興味があって少しずつ読んでいるが、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」も読もうかと思っていたら中山元の翻訳が出た。中山元が次に何を訳すのか注目してしまう。僕が読もうとする本を中山元が訳すのか、僕が単に中山元が好きなのか自分でも分からなくなってくるぐらいだ(そんなことはさすがにないが)。
ちなみにいまはレヴィ=ストロースの「野生の思考」とか新訳で文庫で読みたいと思っています。

昨日のNHKの「クローズアップ現代」は、「助けて」と言えない30代がテーマの番組で、一度同じテーマの番組をやったものの続編だった。たまたま前回も見ていた。
ゲストが平野啓一郎で、きちんとしたことを言っていて感心した。賢くてまともな人なんだと思い少し興味を持つ。平野啓一郎といえば、”最年少で芥川賞”(当時)とか”森鴎外の影響”とかそういう知識で止まっていて、しかもそのデビュー作も読んでいない。今度本屋で見かけたら、立ち読みくらいから始めてみよう。
番組はとても共感できるところがあった。「助けて」と言えないのは世代的なものなんだなあと思った。他人に対して一歩踏み込めないところがあるんだろうな。
村上春樹と久米宏の影響だろうと当たりをつける。
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☆歩いたり走ったりの本

2010年01月18日 00時06分04秒 | 文学
今日から始めるウォーキング&ランニング (PHPビジュアル実用BOOKS)ランニング・スタート・ブック (趣味の教科書)「体幹」ランニング (MouRa)

なんでも本から入るやつだと言われそうだが、歩き方、走り方についての本を三冊ほど見てみる。全部、金哲彦という人の本。ちょっと調べてみたけれど、歩き方、走り方についての本ではこの人の本くらいしか興味を持てるものがなかった。そもそもあまり数もない。
「今日から始めるウォーキング&ランニング」(PHP研究所)と「ランニング・スタート・ブック」(エイ出版社)を図書館で借りて読んで、二冊ともほぼ同じことが書いてあったのだけれど、一冊くらいは買っておいた方がいいかと思い、「「体幹」ランニング」(講談社)を購入。
昨日ランニングシューズを買って、今朝はちょっと近所を歩いたり走ったりしてみる。

走れば人生見えてくる (講談社文庫)走っている人たちの話をまとめた間庭典子の「走れば人生見えてくる」(講談社文庫)も読む。
こういういわゆるルポルタージュの本を読むのは立花隆の「青春漂流」以来じゃないだろうか。あまり読まない。
読みやすい本だった。
いろいろなタイプの人がいるが記録にこだわる人が結構いるんだなという気がした。マラソンというのは自分だけの世界のもの(ナンバーワンじゃなくてオンリーワン)で、記録などはどうでもいいというわけじゃないのだなと思った。
走り続けられている人たちの話だけを集めているので走るのはそんなに難しくないことなんじゃないかという気がしてくるが、そしてそれがこの本の効用なのだろうが、その後ろには無数の走るのをやめた人たちがいるのだろうなと思った。
何事も、習慣にしてしまうまでが難しい。

この間、笑福亭鶴瓶司会の「A-Studio」を見ていたら、ゲストの伊勢谷友介が案外おしゃべりで驚いたのだが、彼が「三日坊主でもやるだけまし」だとかなんとか言い、鶴瓶もそれを受けて「自分もいろいろ続いていない」というふうに言っていた。
よい番組だ。
僕もいろいろやるが続かない。本を読むことと会社に通うこととブログを書くことくらいしか続いていない。飽きっぽいからということは言いたくない。たぶんそれが普通なのだと最近開き直っている。
何かが続くには自分の意志ではなく、それこそ神の恩寵のようなものが必要なのじゃないかとすら思う。
今年は運動と英会話と資格取得をやっていきたい。神の恩寵の訪れんことを!
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☆加藤典洋「増補 日本という身体」感想

2010年01月17日 11時34分01秒 | 文学
増補 日本という身体 (河出文庫)加藤典洋の「増補 日本という身体」(河出文庫)を読んだ。
講談社選書メチエで「日本という身体」が出たときに、この本を読んだのだけれどあまり覚えていない。歴史のことがたくさん出てきて興味を惹かれなかったのだろうと思う。買ったはずなのだけれど、いま家にないところ見ると売ってしまったのだろう。
ここ数年は歴史に興味があるので今回この増補版を読んでもわりとおもしろかった。
以前読んだ時も思ったはずだけれど、武者小路実篤の「桃色の室」はすごい話だなあと思う。
夏目漱石の「それから」を読みたくなった。
あとは丸山真男の「歴史意識の「古層」」。
読んでいて、永井荷風の「花火」にも興味を持ち短いものなので読んではみたのだが、加藤典洋の解説ほどはおもしろくなかった。素材を美味しく盛り付ける加藤典洋はすごいんだなと感心した。

いまドストエフスキーの「悪霊」も読んでいるのだけれど(そしてなかなか読み終えられないのだけれど)、この本の大逆事件あたりのところを読んでいて、大逆事件をリアルに感じられる感性がなければ「悪霊」の切実さも理解できないのだろうなと感じた。
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☆デビッド・フィンチャー監督「ベンジャミン・バトン」

2010年01月16日 23時56分44秒 | 映画
ベンジャミン・バトン 数奇な人生デビッド・フィンチャー監督の「ベンジャミン・バトン」を見た。
デビッド・フィンチャーの映画は結構見ていて好きな監督なのだけれど、この映画はあまりおもしろくなかった。長すぎる。
長い映画で、しかも誰かが生まれてから死ぬまでを見せられる映画は退屈する。「ああ、まだ四十代だからあと四十年生きるな。いままで一時間半経ってるくらいだからあと半分か。長い」とかそのようなことを映画を見ながら思ってしまう。「ドライビングMissデイジー 」なども長かった。
ベンジャミン・バトンは八十歳から始まって若くなっていくから終わるまでの計算もしやすい。余計長く感じたのかもしれない。ベンジャミン・バトンがどのように死ぬのか、そこだけが気になって最後まで見た。
この映画をなんで見ようと思ったかと言うと、最近、ひとが離れていってしまうという気分に興味があり(と言葉にして言ってしまうと凄まじいのだけれどとにかく興味があり)、他人とは逆方向に進むベンジャミン・バトンは相当に孤独だろうなあと思って見たのだけれど、そのへんの寂しさをきちんとは描いていなかった。残念。
いま興味のある映画としては「カールじいさんの空飛ぶ家」と「今度は愛妻家」で、どちらも妻がいなくなる夫の話で、ちょっといまそういう気分なのだなあ。
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☆買い物三昧

2010年01月11日 20時21分46秒 | 文学
この週末はいろいろと物を買う。
ジーパンと自宅用のズボンとトレーナーを買う。ジーパンを買うのは十年ぶりくらいなんじゃないかしら。久しぶりに買いに行くとどうやって買えばいいのかよくわからなかった。たくさん種類があるし。自宅用のズボンはいま履いているのがお尻の部分が破れかけているので買った。自宅にいるときはほとんどずっと同じものを着ている。
情報処理教科書 データベーススペシャリスト 2010年度版 (CD-ROM付)それから資格試験用の本も買った。とうとう買ってしまった。今回は受けるかどうしようか迷っていたんだけど買ってしまった。しかしあまり頑張らないようにしよう。毎回頑張ろうとすることで無駄な体力を使っている気がしている。さらっとやろう。
あとは、ジェフリー・ディーヴァーの「ボーン・コレクター」(というミステリー)も買った。時期的にミステリーが読みたくなる時期なのかもしれない。本屋に行くと、「このミステリーがすごい!」とか「ミステリが読みたい!」とかが置かれていてそばにランクインした小説が置かれている。
本屋といえば、ビジネス書のコーナーには「35歳でなんとか」とか「35歳までに身につけるほにゃらら」みたいな本がよく並んでいるなと思って気になっていた。たんに自分が35歳だから気になるだけかと思っていたら、「35歳限界説」というものがあるのだということを「内田樹の研究室」を読んでいて知った。
確かになあ。
なんかもう後半というか、そろそろ引き際を考える時期にあるのかもしれんなあと思う今日この頃。資格なんか受ける前にすべきことがあるんじゃないかという気もするけど、他になにをしたらいいのか、わからん! (福山雅治の坂本龍馬のモノマネです。)
僕がいまダンテの「神曲」を読もうと思っているのも、この本がダンテが35歳のときの設定ということを知ったから。35歳というのは一度地獄に堕ちる年齢なのだろう。
ayaka's History 2006-2009いままでのA面、B面ですと!?CDも借りた。
GReeeeNの「いままでのA面、B面ですと!?」と絢香の「ayaka’s History 2006-2009」。絢香にはあまり興味がないのだが、木村カエラと平原綾香が借りられていたので絢香にした。なぜ木村カエラと平原綾香の代わりが絢香なのかと問われても明確な答えはない。ただなんとなくだ。
BRUTUS (ブルータス) 2010年 2/1号 [雑誌]あと雑誌「BRUTUS」も買う。表紙はフォレスト・ガンプのトム・ハンクス。走るか歩くか泳ぐか何か運動をしたいと思っていて、参考になるかなと思って走ることがテーマのこの雑誌を購入。
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☆ジョン・ダニング「死の蔵書」感想

2010年01月09日 15時43分30秒 | 文学
死の蔵書 (ハヤカワ・ミステリ文庫)ジョン・ダニング「死の蔵書」(ハヤカワ・ミステリ文庫)を読んだ。
ミステリーはあまり読まないのだけれど、これはおもしろい小説だった。犯人探しだけが目的ではないところがよい。きちんと人間と人間の交流が描かれている。すべての会話が、こいつは犯人か犯人でないか、という判断のために書かれたような小説ではない。
古本屋の話なので、本の話も出てくるのだけれどそんなに興味深い話はなかった。ブック・クラブというシステムがよく理解できなかった。ブック・クラブは廉価版の本を売りそれは値段が上がらず、一般に売り出される本は値段が上がるということみたいだ。
古本が株のように売り買いされる業界がアメリカにはあるんだなあと思った。
日本にもあるのだろうか。知らない。

この小説には続編もあるのだけれど、読むかどうか迷っている。
おもしろかったけれど、ずっと読んでいくほどではないかもしれない。
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☆平川克美「経済成長という病」

2010年01月09日 10時21分04秒 | 文学
経済成長という病 (講談社現代新書)平川克美の「経済成長という病」(講談社現代新書)を図書館で借りて読んだ。
読んだといっても第一章をきちんと読んで、第二章、第三章はあまり興味がなくなって斜めに読んだだけ。
金が金を生む金融ビジネスに対する否定的な態度、モノを作って売るということこそが本当であるという意見、ずっと経済が成長し続けることはあり得ないという意見など、納得できることが多かった。しかしお金に関する本でいま僕が読みたいのは、自分の思っていることを言ってくれる本ではなくて、これまで考えなかったようなことを語る本なので、途中から適当に読むことになってしまった。
平川克美は内田樹の昔からの友達ということで名前を知ってはいたのだけれどきちんと本を読むのは初めてだ。
大江健三郎の本を読んでいると、友達のエドワード・サイードや武満徹や渡辺一夫先生の名前がよく出てきて彼ら自身の本を読んだことも音楽を聞いたこともないのに知ったように思ってしまうことがある。
平川克美もだいたい内田樹と同じだろうと思っていたのだけれど、「だいたい」ではなく「まったく」同じだった。たぶんもう読まない。ほんとうに内田樹が言うようなことを、少し熱く語っていた。友達というのはこんなにも同じ意見なんだなあと思った。であるならば、僕には友達なんていないじゃないかと思った(冗談ですけど)。
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☆マーシー・シャイモフ「「脳にいいこと」だけをやりなさい!」感想

2010年01月07日 20時32分19秒 | 文学
「脳にいいこと」だけをやりなさい!マーシー・シャイモフ「「脳にいいこと」だけをやりなさい!」(三笠書房)を図書館で借りて読んだ。
ポジティブ思考は大事だとあらためて思った。
僕はフランスの哲学者アランの「幸福論」が好きで、ここ十年でもっとも影響を受けた本だと思うのだけれど、言っていることはだいたい「幸福論」と同じようなことだった。
一般的に、何もしなければ人間はネガティブになっていくものであろうと僕は信じているのだけれど、たまにこのような本を読むのはいいことだと思う。

ジョン・ダニングの「死の蔵書」というミステリーを会社の往き帰りで読んでいるのだけれど、あまりおもしろくないなと感じていた。それで、他におもしろそうなミステリーはないかと物色していた。ジェフリー・ディーヴァーのリンカーン・ライムシリーズがおもしろそうなんじゃないかと思っていた。
しかし「死の蔵書」を半分読み終わったあたり、主人公が刑事を辞めて古本屋の経営を始めたあたりからにわかにおもしろくなった。ミス・プライドという女の子が古本屋の手伝いをするのだけれど、彼女のおかげでおもしろくなっている。
キキ(「魔女の宅急便」)とか千(「千と千尋の神隠し」)とかピノコ(「ブラック・ジャック」)とか、家出娘が懸命に働く姿に弱い。
ミス・プライドが殺されないか、またはレイプされないか、そういうことがとても気にかかる。そういう話になったら、嫌だなあ。
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☆ドストエフスキー「悪霊」上巻

2010年01月06日 00時30分54秒 | 文学
悪霊 (上巻) (新潮文庫)ドストエフスキーの「悪霊(上)」(新潮文庫)を読んだ。
読み進んで行けば行くほど話が理解できなくなる。
決闘があったり、自殺者の家に入って行ったり、”セミョーン聖者”という頭のおかしげな聖者がその場にいる人のなかからランダムに人を選んで砂糖や飲み物を与えたり、すぐに忘れてしまいそうな話がいくつも出てくる。変な小説だ。
これはおもしろいのでしょうか。
出来れば後半はもっとまとまりのあるものを期待します。

何に似ているかと言えばプルーストの「失われた時を求めて」に似ている。上流社会の社交界の、なになに夫人とかが出てきていがみ合いをやるところがそう思わせるのだろう。
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☆正宗白鳥「自然主義文学盛衰史」感想

2010年01月04日 22時22分30秒 | 文学
自然主義文学盛衰史 (講談社文芸文庫)正宗白鳥の「自然主義文学盛衰史」(講談社文芸文庫)を少しずつ読んでいたのだが、やっと読み終えた。
日本の自然主義文学作家とされるひとは結構たくさんいたようだけれど、いまではもう誰も読まないような作家がほとんどだった。
田山花袋とか国木田独歩とか文学史の知識として名前を知っているひとはまだいいほうで、聞いたことのないひともたくさん登場した。正宗白鳥自身も今回のこの本と「新編作家論」をこの間読んだだけだ。忘れられた作家というのはたくさん存在するのだと思った。
日本の自然主義文学は、作家自身の身辺のことを書いたいわゆる私小説で、人生の苦しみを書いたものが多く一般の読者にはあまり喜ばれず、大衆に受けた永井荷風の登場でさらに下火になった、ということらしい。
確かにあらすじを聞いても読もうという気にさせるものはあまりなかった。何度も登場する島崎藤村は読んでみようかという気にさせる。
自分の身のまわりのつらい出来事だけを選択的に小説に書くということが、作家本人の人生のとらえ方に大きく影響するということがあると思う。僕がいま私小説に興味があるのはそういうところに興味がある。

会社帰りにレンタルビデオ屋に寄り、CDを見てみる。
「紅白歌合戦」というのは、僕のようにほとんど歌番組を見ない人間にとって一年に一度だけ訪れる流行り歌と出会う唯一の機会なのだと気付いた。好きな歌手の出演する番組は見るけれど、聞いたこともない歌手の歌を聴くことはほんとうにない。
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