ダブログ宣言!

ひとりでするのがブログなら、
ふたりでするのがダブログ。

☆「いたこニーチェ」を書店でチェック

2009年02月28日 17時05分24秒 | 文学
ブログのコメント欄でおすすめされた適菜収の「いたこニーチェ」(飛鳥新社)を、立ち寄った書店でチェックする。
私はなかなか律儀なのです。
読みやすくておもしろそうな本だった。
そのうち読もう。
そのせいで、というわけではないが、正岡子規の「仰臥漫録」をチェックするのを忘れた。最近少しだけ、正岡子規に興味がある。
なにもかもがNHKを中心に回っている。

それはさておき、「いたこニーチェ」を立ち読みしていて、何も知らずに本を読むというのは、こういうことなんだなと思ったことがある。
「こういうことなんだな」というのはどういうことかというと、ページを開いて読み始めるとき、そこに書いてあることは、表紙に名前の書いてある人物が自分のことを書いているのだと思って読むのだということ。
読み始めて、「わたしは」と書いてあれば、それは素直に書いた人のことだと思うのだというようなことを小説を読みすぎて忘れていたように思う。
「いたこニーチェ」が小説であることは知っていたのだが、”うっかり”最初のほうは作者本人が自分のことを書いていると思いつつ読んでいた。
太宰治の「人間失格」を初めて読んだ時は、「はしがき」を書いているのは実際の太宰治というひとで、そこに書かれていることも全部ほんとのことだと思って読んだはずなのに、もう最近はそんなふうに本を読まなくなっている。
書いてあることが作り事でなく実際にあったほんとのことだと思いながら読むほうが、作り事だと高を括って読むよりも愉しい気がする。
コメント

☆やっぱりNHKが好き

2009年02月24日 23時45分39秒 | テレビ
NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」を途中から見た。
料理人の西健一郎の話。
手間暇かけて料理を作るのはいいなあと思った。
ちょうど今日昼御飯を食べながら話していて会社の同僚が、「車が売れなくなったのは能率ばっかり考えて面白いものを作ろうという気持ちがなくなっているからだ」と言っているのを聞いて、全体的にそういう風潮になっているのだろうなあと思った。
そういうなかできちんと仕事をしている人を見ると嬉しくなる。
(しかし車が売れなくなったことについては、もうそろそろ自動車の時代が終わりつつあるのではないかと個人的には思っている。しかし「もうそろそろ自動車の時代が終わりつつある」と感じること自体が時代の雰囲気の影響を受けているのであろうから純粋に個人的な意見とは言えない。このようなことは、言い出すと堂々巡りに陥る。)
どちらにせよ、きちんと仕事をするひとは素晴らしい。

通勤時に、司馬遼太郎の「新史太閤記」を読んでいる。
信長がどんどん好きになる。秀吉も。
NHKの大河ドラマ「天地人」も、信長・秀吉だけに注目して見ているように思う。上杉家がどうなるかなどは興味がない。
「土曜スタジオパーク」に吉川晃司が出演するのを心待ちにしている。
ドラマの影響で司馬遼太郎の小説を読んでいても、信長は吉川晃司のしゃべり方で、秀吉は笹野高史のしゃべり方で読んでいる。
コメント

☆秋山駿「私小説という人生」感想

2009年02月23日 01時06分24秒 | 文学
私小説という人生NHK大河ドラマの「天地人」はちっとも面白くならないのだが、今日は小泉孝太郎の芝居を興味深く見ていた。
このひとの演技を僕は他で見たことがないのでいつもこんな感じなのか、今回だけ意図してこんな感じなのか分からないのだが、どういう感じかというと素人くさい。こどもふうの、はつらつとした演技をしようとしてこんな芝居をしていますという意図がよく分かる。
妻夫木聡にはそんなことを感じないので妻夫木聡はうまいのだろうな。
最近島崎藤村あたりの私小説に興味があるので、加藤典洋の「文学地図」を読んだ時にも秋山駿の「私小説という人生」(新潮社)という本を見逃さず、図書館で借りて読んだ。
小説というものはこんなものだろうという思いで書いている小説家というものがたぶんいて、それは芝居というものはこういうものだろうという思いで演技している小泉孝太郎のようなものだろうと思うのだが、こっちがそれをだんだんわかってくるとその絵空事が馬鹿らしくて読めなくなる。
田山花袋はドストエフスキーの「罪と罰」のような、主人公が殺人を犯すような劇的なことを描くことをせず(自分はそのような経験をしていないので)、自分の日常をなんとかして小説にしようとしたところがえらいと思った。少し興味を持った。
二葉亭四迷の「平凡」の引用を読んでいると、まるで高橋源一郎のような文章だった。あまり好きではない。しかしなんかすごい。
樋口一葉を僕は一生読むことはないのではないかと思った。どうしても読めない。

この本はドストエフスキーの「罪と罰」と小林秀雄の「ゴッホの手紙」の話が異常にたくさん出てくる。ほとんどそれについての評論のような本だった。
秋山駿は小林秀雄が好きなんだなあ。(僕も好きだけど。)
他に、取り上げられている本では正宗白鳥の「自然主義文学盛衰史」を読んでみようと思った。
コメント

☆手塚治虫「火の鳥 復活・羽衣編」感想

2009年02月22日 00時48分32秒 | 漫画
火の鳥 (5) (角川文庫)手塚治虫「火の鳥 復活・羽衣編」。
復活編はほとんど内容を覚えていなかった。はじまりが不気味で素晴らしい。
時間が行ったり来たりするので複雑な話になっている。
「火の鳥」を読んでいると、そんなことで怒るかというところで、突然怒り出す場面がよく描かれるように思う。怒って殺したり、重傷を負わせたりする場面を何度も見た気がする。
鼻が大きくなることと腕をなくすこともよく描かれる。

羽衣編はとても短い。
コメント

☆鯨統一郎「タイムスリップ森鴎外」感想

2009年02月21日 21時59分48秒 | 文学
タイムスリップ森鴎外 (講談社ノベルス)NHKのテレビ番組「私の1冊 日本の100冊」で井沢元彦の「義経はここにいる」の紹介を見てから、歴史ミステリが気になっている。現代の殺人事件と絡めて歴史をたどるような物語が猛烈に読みたい。
というわけで、鯨統一郎の「タイムスリップ森鴎外」(講談社)を図書館で借りて読んでみた。すらすら読めてたのしい本だった。しかしこの、タイムスリップシリーズは続きもあるのだが、もう読まなくていいや。
森鴎外がもっと森鴎外らしいほうが良かった。
他にこういうミステリ作家でおもしろいひとがいないかを探す。
鯨統一郎と高田崇史はいくつか読んだのだが、ほかにはいないのだろうか。井沢元彦も気にはなるのだが、小説で手に入らないものが多くなっている。面白くないということなのかなあ。

マイクル・クライトンの追悼でもしようかと考えている。
コメント

☆手塚治虫「火の鳥 鳳凰編」感想

2009年02月21日 19時45分08秒 | 漫画
火の鳥 (4) (角川文庫)手塚治虫「火の鳥 鳳凰編」。
物語を読んだあと、頭の中で整理するためにあらすじを作っているように思う。
それはこれまでの人生を振り返ってこんな人生だった、というように思うことと同じだ。最近、自分の人生を振り返させられる経験をしたのでそう思う。
で、振り返って、あらすじを作ってしまうと、そこから抜け落ちてしまうものがあるように感じる。ほんとうはそうではなかったような気がするが、そのようなあらすじにしてしまった方が分かりやすい、とか、そうしないとそのとき自分が何を考えていたかの論理がすっきりしない、とか、の理由で。
ほんとうは当時そのように考えて行動していたわけではないような気もするのだが、あとから考えてそのように仮定しないと行動に対する論理的説明ができない。他人を納得させることができない、というようなことがある。
手塚治虫の「火の鳥 鳳凰編」を読むと、いったいどんな物語だったのかのあらすじがとても語りにくい。
あらすじから抜け落ちるものだけで出来上がっているように感じる。
我王と茜丸が作品を作ろうとしている姿は手塚治虫自身がマンガを描くときにそのように考えていたのだろうな、と思ったり、我王の他人を憎む気持ちにも作者の気持ちが入っているのだろうなと考えたり、全部そんなことを考えながら読んだ。
手塚治虫は、いろいろぶち込んでいて、簡単にこんな考えの人だったとは語れないのだ。

鳳凰編では、我王が自分の子孫の姿を火の鳥に見せられる場面があるのだが、政治犯として捕まった鼻の大きな男が銃殺される場面だけは対応する場面が「火の鳥」全編で出てこないことを昔読んだ時に思ったことがある。
コメント

☆手塚治虫「火の鳥 ヤマト・異形編」感想

2009年02月17日 20時15分19秒 | 漫画
火の鳥 (3) (角川文庫)手塚治虫「火の鳥」のヤマト編と異形編。
ヤマト編には猿田彦系の人物が登場しなかった。
火の鳥はなぜにそんなにヤマト・オグナを贔屓するのだろう。困ったときにいつも登場して助けてくれる。
異形編は初めて読んだ時にとってもおもしろいと思ったので強く印象に残っている。こっちには猿田彦系の人物が登場した。
しかしここでは火の鳥がなぜに左近介に厳しいのかが分からない。厳しすぎる。
神の心は人間には推し量ることはできないということだろうか。
コメント

☆手塚治虫「火の鳥 未来編」感想

2009年02月16日 23時01分36秒 | 漫画
火の鳥 (2) (角川文庫)手塚治虫「火の鳥 未来編」。
火の鳥が地球の分身であることをすっかり忘れていた。そうか、確かにそんな話があった。
猿田博士がムーピーのタマミといっしょに逃げようと考えるあたりの話は、物語の全体を通してみればあってもなくてもよい話なのだけれど、こういうところに手塚治虫の作家性を感じる。ひっかかりを感じる。
男たちは結局ムーピー的な女を求めているのだなあ。(ムーピーというのは人間に幻想を見せることのできる生物のことです。未来編に登場する唯一の女性キャラクター。)
ナメクジの文明については強烈に印象に残ってた。忘れてなかった。おそらく「火の鳥」の全体を通しても、ナメクジが文明を作るというのは最も印象に残る設定だと思う。
死んだ猿田博士が宇宙に飛ばされて、火の鳥が彼の復活を宣言するためにわざわざ登場するが、未来編では復活しなかった。そもそも未来編と黎明編はどういう関係にあるのかがよく分からないのだけれど、猿田博士が地球の周りをぐるぐる回っているうちに人類が出来て猿田彦がハチに刺されて鼻が大きくなったということなのだろうか。だとしたら、猿田彦は猿田博士が復活したということになるのだろうか、ならないのだろうか。
そのようなどうでもいいことも考えながら引き続き読んでいきたい。
コメント

☆手塚治虫「火の鳥 黎明編」

2009年02月16日 00時30分24秒 | 漫画
火の鳥 (1) (角川文庫)学生時代に読んだ時に、おもしろかったけれどところどころで退屈した記憶もあったのだが、案外そんなことはなく楽しんで手塚治虫の「火の鳥 黎明編」を読めた。ほんとにもっと退屈するかと思ったのだが、おもしろかった。ただのエコエコベレー帽おじさんではない。
黒澤明の映画を馬鹿にしてたけど、見てみると結構面白かったという感じ。
昭和の巨匠を侮ってはいけない。
火の鳥の顔は鳥なのに目がぱっちりしていて「リボンの騎士」のようなのだが(、というか手塚治虫的美少女顔なのだが)、そのせいで首を切られたりすると結構怖い。
どの話だったか忘れたが、鳥人間の惑星の話で、愛する男のために自分の脚を食べさせるかなんかそういう話があって結構怖かったのを覚えている。
「ジャングル大帝」の最終回は雪山で遭難してヒゲオヤジにレオが自分を食べさせる話らしいし、そのような話を手塚治虫はよく書いているのかもしれない。
今回の「黎明編」では、猿田彦の大きくなった鼻をナギが舐めるところがあり、こういうところが手塚治虫的なのだなあと思った。案外谷崎潤一郎とかに近いのかもしれない。
なまの肉体の感じを描いている。
コメント

☆藤沢周平「密謀」感想

2009年02月15日 12時42分57秒 | 文学
密謀 (下巻) (新潮文庫)藤沢周平の「密謀」読了。
やはり最後まで直江兼続のすごさが理解できなかった。なにをやってどうすごいのだろうか。これはNHK大河ドラマ「天地人」を見て理解することにしたい。
上杉景勝については、自分のちからをよく分かっている人、という評価で良いのだろうか。こっちはそれはそれで素晴らしいことだと思った。
上杉よりも、織田、豊臣、徳川、に興味を持った。そして藤沢よりも司馬に興味が移った。
今後、しばらく司馬遼太郎の戦国時代ものを読んでいくつもり。
コメント