ダブログ宣言!

ひとりでするのがブログなら、
ふたりでするのがダブログ。

野口悠紀雄『「超」英語法』『図解「超」英語法』

2011年02月27日 22時39分02秒 | 文学

野口悠紀雄の『「超」英語法』と『図解「超」英語法』を図書館で借りて読んだ。
どちらも内容は同じで、『「超」英語法』の内容を薄くして読みやすくして、情報を最近のものにしたのが『図解「超」英語法』のようだった。読むなら片方だけで良い。最初に書いた『「超」英語法』のほうがだけで良いと思う。
内容は、なんで「超」が付くのかわからないくらい普通の内容だった。
英語は「話す」よりも「聞く」ほうが重要なので、そちらの勉強をせよ、というところが彼の独自なところか。あとは、目的が漠然としていると勉強は続かない、とか、まあ普通のことだった。通勤時間に英語を聴けという話があって、片道一時間として往復二時間英語が聴ける、と言っていたが、僕は通勤時間片道10分なのであまり聴けないな、と思った。
昔一度、もっと会社が遠かった頃に通勤時にiPodに英語を入れてシャドーイングをしていたことがあったのだけれど、バスはよく音が聞き取れないこともあるし、あまり大きな音を出すのも迷惑かなと感じるし、ぶつぶつ言ってるのも気持ち悪がられたら嫌だなとか、いろいろあってやめた。
ここ一週間は家に帰ってからと、土日は朝散歩のときに英語を聴いている。ずっと続けばいいのだけれど、野口悠紀雄が言うように目的が漠然としているから途中止めになるかもしれない。たぶんなるだろう。
コメント

大津由紀雄『英語学習7つの誤解』

2011年02月20日 00時12分35秒 | 文学
大津由紀雄『英語学習7つの誤解』(生活人新書)を図書館で借りて読む。
英語を勉強するときに文法は不要だというけれど、そんなことはない。文法は大切だという本だった。
そうかもしれないけれど、僕はあまり文法が嫌いではなかったので、「それで?」という感じだった。文法嫌いで英語が嫌いになった人を想定している本だと思った。
僕は何と言っても、発音が聞き取れずに何を言っているのかわからないという思いが強い。しかしもしかしたら文法を勉強すべきなのかもしれない。そんなことを考え出すと結局英語の勉強というのはなにをすればいいのかわからなくなるのでした。
しかし、何冊か英語関係の本を読んで、結論としては、結構長い期間日々続けて努力しなければ英語は身につかないということだ。楽しく、とか、自分の好きなことから、とか、言っているうちはまだまだダメだ、ということ。そんなことなんじゃないかなとは思っていたが、この本で最終結論を得た。
役にも立たないんじゃないかと思われる能力を時間をかけて培う無力感にどれだけ打ち勝つかが英語の勉強の決め手なのだろうな。
極論を言えば、なんでも、読書にしたって料理にしたってスポーツにしたって役にも立たないのにやっているという意味では一緒なので、英語だけが例外なわけではないのだけれど、英語は「役に立つ」という面が一般によく言われるので「そんなことねえよ」と言いたくなってしまう。英語は趣味でやるものと割り切るべきなのだろう。役に立つとか立たないとかそういう範疇のものではない、と。
コメント

イーストウッド監督『ヒアアフター』

2011年02月19日 23時27分37秒 | 映画
クリント・イーストウッド監督の新作『ヒアアフター』を映画館で見た。
泣いた。
最近泣かない映画はないというくらい泣いてしまう。
霊能力者にはものすごく興味を持っているので、この映画も興味を持ってみた。しかし霊能力者の描き方がもっと深く突っ込んだものであればよかったなと思う。しかし面白い映画だった。
アメリカとイギリスとフランスを舞台に描かれるのだけれど、「へえ」と思ったのは、フランスでは心霊現象を扱った本は馬鹿にされるので出版を敬遠されるということが意外だった。「そんな本は英語で書いてイギリスかアメリカで売れよ」と本の著者は出版関係者に言われる。ふうん。そんなものか。
マット・デイモンがディケンズの朗読を毎晩聴いているのだが、僕もいまちょうどディケンズを読んでいるので偶然だなあと思った。しかしディケンズのなにを聴いているのかはわからなかった。『荒涼館』ではなさそうだった。ボタンを拾ってどうこうという話だった。『大いなる遺産』ってあんな感じだったかなあと思いながら聴いていた(いや正確には、字幕を読んでいた)。
ブックフェアーみたいなところでディケンズの朗読で有名な老人らしいひとの朗読を実際に聴く場面は、あまり映画のストーリーとしては必要ないような場面だったが、ずっと聴いていたひとが目の前で朗読するという感動を描いたいい場面だと思った。たぶん、出演していたのはほんとうにそれで有名な人なのだろうなと思った。日本ではあまり小説を朗読で聴くということはないから、有名な朗読者というひとは知らない。だからあのひとだったら、という例が思い浮かばない。綾小路きみまろの漫談カセットテープをずっと聴き続けていた人が本物を目の当たりにしたときの感動、くらいしか例が思い浮かばない。
双子の兄を亡くした少年がマット・デイモンに兄の言葉を聞かされるところで泣いてしまった。その前から、マット・デイモンの霊視は感動的な場面だった。
愛するひとに会いたいという強い思いを描いた良い映画でした。
コメント

ディケンズ『荒涼館2』

2011年02月19日 10時45分04秒 | 文学
ディケンズの『荒涼館2』(ちくま文庫)を読んだ。
登場人物がたくさん出てくるが、少しずつ読んでいるので、あまり把握できていないと思う。
ガッピーとかスナグズビーとかデッドロックとかタルキングホーンとか特徴的な名前なので、わりと覚えているけれど、それにしても多い。
エスタが病気を看病して、その病気がうつって目が見えなくなったらしい。
あと、酒を飲みすぎてアルコールが身体に溜まって身体が自然発火して死んだ人がいた。そんなふうに当時のイギリスでは考えられていたらしい。時代時代でそういうことはあると思うけれど、そんなふうな現象があると思われていたとは驚いた。
僕が子供のころ、ドラマではよく女の子が気絶をしていたが、そういうものかもしれない。気絶というのは結構頻繁に起きる現象なのだろうと子供のころ思っていたが、いまだに自分が気絶したことも、気絶した人を見たことも、気絶したことがあるというひとに出会ったこともない。
コメント

宮本常一『忘れられた日本人』

2011年02月16日 22時23分23秒 | 文学
宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)を読んだ。
夜這いの話がよく出てきて、わりと印象に残った。男たちが夜這いに来るから家の戸締りは厳重にしていなかったらしい。もうちょっと想像できないような世界が昔の日本にはあったのだなと思う。そういうことはいつも心の隅に覚えておいたほうがいいように思う。いまの日本がずっと続いてきたわけではない。
もうひとつ印象に残ったのは文字を知っている人は時間をいつも気にする、という話だった。逆に言うと、文字を知らない人はあまり時間を気にしなかった。もう文字を知らない人は周りにいないし、自分が文字を知らなかった時の記憶はあまりないし、あったとしてもそれは「こどもだったから」ということで片づけられてしまうのだけれど、ほんとうは文字を知ったことでいろいろなことが変わったのだろうなと思う。
おもしろい本だった。網野善彦の本を読んでいた時に、彼が何度も勧めるので気になっていたのだが、やっと読めた。
コメント

英語・愛憎

2011年02月13日 18時32分53秒 | 文学
NHK教育の「英語・愛憎の二百年」という番組を見ていて英語について考えようと思い、菅原克也の『英語と日本語のあいだ』(講談社現代新書)を図書館で借りてきて読む。
しかし最後までは読めない。
最初のほうで、sheとseeの発音の区別もついていない学生がいるという話が出てきて、それを嘆かわしいことのように書いていたので、もう読めなくなった。僕もそんな区別はできていない。そのあとも、発音記号が読めないひとがいるとか、もう読む気を失わせることばかり出てきて、「これは僕向きの本ではない」と思ってしまった。
そもそも発音記号を学校で教えてもらった記憶がないんだよなあ。あれって授業で習うものなのかなあ。教えてもいないのに先生はみんな知っているものとして話し始めたように記憶している。
英語というのはほんとうに愛憎(ほとんど憎しみ)の歴史だ。
英語ができる出来ないという話になると、ダイレクトに自分の話をされているように受け取ってしまう。そして想定されているレベルに自分が達していないと、ほんとうに恐ろしいほどにむかむかしてくる。なんでかわからないが腹が立つ。そしてそう言っている人間の学歴や留学歴を調べて、「そりゃあんたは別だろうよ」と思ってしまう。
これはある種の刷りこみだろう。英語ができないのはよくないことだ、というのは。
というわけで、これ以上この本を読むのは精神衛生上よくないのでもうやめる。
コメント

小川洋子・河合隼雄『生きるとは、自分の物語をつくること』

2011年02月12日 23時26分04秒 | 文学
新しいパソコンを買う。
しかしまだキーボードに慣れない。マウスがまだないので使いにくい。

小川洋子と河合隼雄の対談『生きるとは、自分の物語をつくること』(新潮社)を図書館で借りて読んだ。
この本は来月文庫になるようで、それで存在を知ったのだけれど、このタイトルにものすごく興味を持ち、「ああまさしく生きるってそういうことだ」と思ったので(というか最近ずっとそうだと思うことが多いので)、文庫化を待たずに読んだ。
河合隼雄が死んでしまったので、もっと長くなる予定だったのに途中で中断してしまった対談だった。
箱庭療法とカウンセリングに興味を持った。相談に乗るときに途中で自分の物語を押し付けておしまいにするのではなく、相手の落ち込んでいるところに自分を置いて一緒にじっと黙っていることは難しいと言っていたが、まさしくその通りだと思った。相手が落ち込んでいるときは「まあがんばってください」とか言ってその場をおしまいにしたくなるものだ。そこをそらさずにじっと黙って一緒に困るのは難しい。
小川洋子があとがきで、レベッカ・ブラウンの『家庭の医学』と河合隼雄の『ココロの止まり木』を取り上げていたがどちらにも興味を持った。
コメント

「Get Back!」(青木豪作・演出)

2011年02月12日 08時57分11秒 | 舞台
昨夜はテレビでたまたま「Get Back!」(青木豪作・演出)という演劇を見ていて、寝るのが遅くなってしまった。(しかし最近は休みの日も普通に起きて散歩しようとしているので、起きる時間はいっしょ。しかし今日は雪が降っているので家から出ていない。)
青木豪という演出家も知らないし、出演している俳優で知っているのは片桐はいりだけだったのだが、おもしろい演劇だった。
漫画原作者(女)と漫画家(女)とアシスタント(男)が田舎にやってきて、UFOの写真を取ったり、タロット占いをする青年にあったり、温泉に入ったり、くっついたり離れたり、するとってもざっくり言うとそういう話だった。舞台装置はずっと変わらず、民宿をやっている家の一階の座敷だった。
役者の話し方やしぐさがいかにもいそうな感じで、漫画家のにこにこしながら話をする感じとか(テレビで見る優香のモノマネのような感じ)、タロット占いをする青年の前髪がいつも気になる感じとか、そんなひといるなあと思わせた。村上春樹の『1Q84』で知ったチェーホフの言葉、物語で拳銃が出てきたら発射される、も思い出した。
演劇っておもしろいなと思った。
これまで見たことのない演出家のものもたまには見ていないといけない。
コメント

「クローズアップ現代」で『ワンピース』

2011年02月09日 23時44分58秒 | テレビ
NHKの番組「クローズアップ現代」がマンガ『ワンピース』を取り上げていたので見てみた。
結局はどこがおもしろいのかよくわからなかった。
番組で、『ワンピース』が好きだという人たちの話を聞いても、それって『キン肉マン』でもやってた、とか、『ドラゴンボール』でも見た、とか、そんなような話しかしていなかった。どこに感動しているのかよくわからない。おそらく、読んでみないとおもしろさは分からないものなんだろうな、と思った。しかし60冊以上あるものをいまさら追いかけて読もうという気にはならないな。
僕も経験があるような気がするけれど(しかし何で経験したかは全く思いだせないのだけれど)、自分が何かとても好きなものがあってそれが世間で流行ったときに、NHKなどでいまこんなものが流行っています。これはこういうもので、そういうところがひとびとの今の世相に受けるのでしょうとか言われると、「ちがうね」と『ちびまる子ちゃん』の永沢君のような口調で言いかえしてしまうのだが、たぶん『ワンピース』好きな人が今日の番組を見てもそんな気になったんじゃなかろうかと思う。
良さを言うときに、「こういうところ」と言って例をあげてもなかなかひとを納得させるのは難しい。
コメント

『忘れられた日本人』を読書中

2011年02月09日 00時15分33秒 | 文学
宮本常一の『忘れられた日本人』を読んでいるが、おもしろい。めっぽうおもしろい、と言ってもよいと思う。昔の日本人はこんな感じで話していたのだなあということがよくわかる。
おばあちゃんの話を聞いている感覚に近い。
昔の日本人はエロ話を平気でしていたのだということがよく分かる。田植えのときは女たちは基本的にエロ話しかしていなかったようだ。最近はずいぶんと変わった。
ずいぶんと変わったのに、昔からずっとこうだったと思って生活しているのだな、と思う。

新しいパソコンが欲しいと思っている。
そんなにいいやつじゃなくてもいい。これまで自分で選んでパソコンを買ったことがないので今回は自分で選んで買おうと思う。
まずは雑誌でも買おうかと思うが、どの雑誌を買えばいいのかがまず分からない。
パソコンを使う職業なのに、全く興味がなく、最近の流行も知らない。
コメント