ダブログ宣言!

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☆さようならドストエーフスキイ

2007年02月28日 00時56分16秒 | 文学
引越しのために本をダンボールに詰めている。
これを機会にすこし本を減らすことにする。古本屋に売る。
もう絶対に読まないだろうなと思われる本をピックアップした。
岩波文庫のドストエーフスキイの「カラマーゾフの兄弟」の米川正夫訳は売ることにする。古いし字も小さい。
今度読むときは光文社古典新訳文庫で読む。ドストエーフスキイではなくドストエフスキーが読みたい。

「カラマーゾフの兄弟」の3兄弟+1の名前ってすぐに言えない。
ブロンテ三姉妹ならすぐに言える。CとEとAだ。
夏目漱石の「吾輩は猫である」を読んでいて、苦沙弥三姉妹は一体、なんにんのひとが即座に答えられるのだろうかとちょっと思った。苦沙弥先生の家には三人の娘がいて、その名前は、
とん子
すん子
めん子
だ。気をつけろ!(なぜか突然長井秀和のまね)

それにしてもひどい名前をつける。
鼻の大きな金田鼻子は綽名かと思っていたのに、いつのまにか本名になっていたので驚いた。彼女のご主人も「うちの鼻子が……」のように話していた。
現在208ページで、気になっているのは寒月くんそっくり(本人か?)の泥棒が苦沙弥先生の家に入って山芋その他を盗んで行った。
この泥棒の話がどうなっていくのかが非常に気になる。
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☆矢口史靖監督「スウィングガールズ」感想

2007年02月26日 01時12分38秒 | 映画
スウィングガールズ スタンダード・エディションテレビで放送していた矢口史靖監督「スウィングガールズ」を見た。
この映画は、周防正行監督の「シコふんじゃった。」とか、同じ矢口史靖監督の「ウォーターボーイズ」に少し似た話なのかな、とずっと思っていて見ていなかったのだが、今日見てみたらまるっきり「シコふんじゃった。」と「ウォーターボーイズ」のような話であった。
上記二作よりも出鱈目ぶりは上だった。
おもしろかった。
楽器というのはそんなに練習しなくても、気分さえ良ければうまく出来るものなんだと思った。(ほんとは思ってないけどね。)
上野樹里の出演作を見たのは「ジョゼと虎と魚たち」以来で、二作目だ。

ところで、夏目漱石の「吾輩は猫である」は傑作なんじゃないかと思う。これに気が付いてしまったのは江藤淳と僕ぐらいだろう。もしかしたらドナルド・キーンも気付いているかもしれない。気付いていないかもしれないが。
現在岩波文庫の132ページ。
わりと可笑しくて笑ってしまう。
水島寒月のことを探りに、苦沙弥の家に鼻の大きな金田”鼻子”がやってきたところまで読んだ。
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☆夢枕獏「沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ四」感想

2007年02月25日 15時34分45秒 | 文学
沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ四夢枕獏の「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」を図書館で借りてすべて読み終わった。
最後はほとんど眠りながら読んでしまったような状態で、とくに感想もないです。
僕には合わなかった。

空海のことを知りたいのであれば、司馬遼太郎の「空海の風景」を読めばよいと思う。それ以上の新たな知識が付け加わるということはない。
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☆夢枕獏「沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ二・巻ノ三」感想

2007年02月25日 00時13分18秒 | 文学
沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ二沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ三
予想はしばしば外れる。(自分自身のことでも)
前回、もう読まないかもしれないと書いたが、読んでる。
夢枕獏の「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」の巻ノ二と巻ノ三を読み終わった。あと一冊。ここまで読んだら、読むのをやめてしまうことはないだろう。
とくにおもしろくなってきたということもない。

なぜだか急に村上龍の「半島を出よ」に興味を持つ。まるっきり何の脈絡もない。
いつか読んでみようと思う。

なんですとーっ!
いまのいままで「みゃくりゃく」だと思っていた。「みゃくらく」なんだ。脈絡。
驚いた。
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☆猫

2007年02月24日 00時41分19秒 | 文学
たんに今ねむいからかもしれないが、急激に「沙門空海」への興味を失う。
現在、巻ノ二330ページ。
このまま読まなくなってしまうかもしれないなと思う。
当たり前のことだが、こういう予想はよく当たる。(自分自身のことなので)
よく考えたら、ここまで読んできて驚くことは何もなかったし、ちょっとしか内容がないのにそれをさんざん水で薄めてるような本だなと思えてくる。あと二冊もそんなに変わったものではないだろう。
このように書いてしまうとますます読まなくなるだろうな、とも思う。
読みやすいのはあまり内容がないからだろうし、気楽に読むためにはそれがいい面でもあるのだが、悪く感じられだすと止まらなくなる。

夢枕獏の「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」は一冊一冊が分厚いので会社の往復には持ち運べず、代わりに夏目漱石の「吾輩は猫である」を鞄に入れて少しずつ読んでいる。
「吾輩は猫である」を読むのは、ほぼ二十年ぶりだ。中学生のときに苦労しながら読んだ。寝る前にふとんで読んでいたのだが、読むたびにいつの間にか寝てしまっていた。
その経験があって、ほかの漱石の小説を読むことはわりとあるが「猫」は敬遠していた。
まだ最初だがおもしろいように思う。
漱石が猫の習性をよく観察していることがわかる。
それと、この小説ははじめ一回だけの読み切りの予定だったようで、最初の章「一」は短編小説のように読める。完結している。
「二」のはじめで、語り手の猫が自分がちょっと有名になったことを語っているのは全く知らなかった。これは雑誌に小説の第一回目が発表されたことを受けているようだ。猫が文章を書いて雑誌に載った、という設定になっているのだろうか。
ふしぎだ。
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☆夢枕獏「沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ一」感想

2007年02月23日 00時41分32秒 | 文学
沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ一夢枕獏の「沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ一」を読み終わった。
現在引き続き、「巻ノ二」を読んでいる。200ページまで読んだ。

テレビ番組「オーラの泉」を見ていると、美輪明宏と江原啓之のふたりが霊の存在を感じ、「やっぱりそうですよね」「それはそうでしょう」「そうですよね」というふうな会話が続き、お互いに相手の力を尊敬しあいながらも競い合い、結果としてこの人たちはどちらもすごいということに視聴者としてはいつの間にか思わされている、という場面がよくあるように思う。
「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」にも、空海が力を見せようとすると、他の人が「いやいやここは俺に任せておけ」と登場する、それによって空海の力がそのひと以上であるだろうと想像できる、何もしないことによってものすごい力を秘めていると思わせる場面がよく登場する。
思えばこの、「おれとお前と喧嘩したらどっちが強いかね?」「あんときのお前はすごかったな、なんとか中(中学のこと)のやつらみんなびびってたな」「そういうお前も……」的な会話を聞いて、先輩ふたりを尊敬する後輩の図式って週刊少年ジャンプあたりの漫画でよく見たような気がする。
ものすごい既視感。
そういう男子校的なところが鼻につくといえば鼻に付く。

一文ごとの改行ですらすら読めて、ちゃんと読んでいないような気がしながらも、まあいいかと思って読んでいる。
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☆沙門空海

2007年02月22日 02時24分15秒 | 文学
NHK取材班著の「『空海の風景』を旅する」(中央公論新社)を途中まで読んだが、あんまり興味を惹かれなかったので、同じく図書館で借りてきていた夢枕獏の「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」(徳間書店)を読んでいる。現在「巻ノ一」の366ページ。
これは読みやすくっていい。
一文ごとに改行で会話文も多い。
お話は司馬遼太郎とは全く違い、オカルトものです。
空海と橘逸勢が唐で妖怪変化に出合う話です。

歴史小説を読み続けている間に、他にも読みたい本が続々と出版されている。いまこの瞬間にも!
以下、忘れないように読みたい本を列挙しておく。

サマセット・モーム「劇場」(新潮文庫)、「サミング・アップ」(岩波文庫)
ジェイン・オースティン「分別と多感」(ちくま文庫)
アンリ・ベルクソン「物質と記憶」(ちくま学芸文庫)
夏目漱石「文学論」(岩波文庫)

最近は、読みたい本というよりも、買っておかないと読みたいと思ったときに消えてしまっているかもしれない本を買っている気がする。
村上春樹訳の「グレート・ギャツビー」などはいつでもどんな本屋でも今後15年間くらいは確実に手に入るのでどうしても後回しになってしまう。アンリ・ベルクソンの「物質と記憶」の新訳などは来年本屋においてあるかどうかあやしいもんだ。サマセット・モームの「劇場」などは映画の公開が終わると同時に消えてしまうのではないかと思っている。
読みたいときに読みたい本が本屋でいつでも買えるようになればいいなと思う。
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☆司馬遼太郎「空海の風景(下)」感想

2007年02月20日 23時46分35秒 | 文学
空海の風景〈下〉司馬遼太郎の「空海の風景」を読み終わった。
これまで読んだ司馬遼太郎の小説は、
1位 「竜馬がゆく」
2位 「最後の将軍 徳川慶喜」
3位 「空海の風景」
4位 「燃えよ剣」
5位 「翔ぶが如く」
という感じに並ぶかな。
2位、3位、4位あたりの順位はそのときの気分にもよると思うが、「竜馬がゆく」よりは面白くなく、「翔ぶが如く」よりは確実に面白いといった感じです。
空海と最澄と最澄の弟子の泰範の、まるで恋愛の三角関係のようなつながりが執拗に描かれる。下巻ではほとんどそれだけしか印象に残らなかった。
空海が雑密(ぞうみつ)を集めて日本において独自に密教を形成し、唐に行って恵果(えか)から密教を伝えられる上巻の話はたいへんおもしろくあったけれど。
「竜馬がゆく」のときも思ったが、司馬遼太郎は青春を描くのがたいへんうまい。

この本はもう少し仏教について詳しく書かれているかと思ったが、そこまででもなかった。空海がちょっと(かなり?)意地の悪い、普通の人間に描かれていた。ライバル、最澄はちょっと(かなり?)愚かな人物に描かれていたと思う。
もうちょっと密教の教えについて知りたかったな。
この間、休みの日に「徹子の部屋」を見ていたらゲストが「千の風になって」で有名な秋川雅史で、そのときはじめてこの、「千の風になって」という歌を聴いた。

「空海の風景」を読んで、「千の風になって」の歌詞が密教的だと思う程度には密教の思想が知れた。
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☆ジェイムス・ブラント「バック・トゥ・ベッドラム」

2007年02月19日 20時51分32秒 | 音楽
バック・トゥ・ベッドラム「ユア・ビューティフル」でおなじみのジェイムス・ブラントのアルバム「バック・トゥ・ベッドラム」をレンタルビデオ店で借りてきた。
結構前だが、マルーン5のアルバム「ソングス・アバウト・ジェーン」を聴いていたこともあり、ほとんど音楽を聴かないのに少ない選曲のなかで完全にトヨタのCMソングを追っかけている。
CMの影響力は絶大だなあ。
いま注目している歌手は他に、プリンスと、この間テレビで歌っているのを聴いて聴きたくなった平井堅くらいかな。平井堅は聴くと「うまいな」と思ってたまに聴きたくなるが、CDを借りてきても続けて聴くようにはいつもならない。
ジェイムス・ブラント、プリンス、平井堅と並べてみて、なんか共通項があるんだろうか。
ヒゲが濃い?

ジェイムス・ブラントの歌い方が誰に似ているかと言うと、アラニス・モリセットに似ているように思う。
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☆LANケーブルとかしめ工具

2007年02月18日 20時44分02秒 | 衣食住
最初はふたりで始めて、最近はずっとひとりで書き続けているこのブログもいつのまにか一年たってしまった。
一年たつのは結構早い。
この一年でもっとも変わったのは、歴史小説を読むようになったことだと思う。
ずっと書いているとこうやって振り返ることができるので楽しい。

電気屋でLANケーブルとかしめ工具(こんな感じのもの)などを見てみた。
ネットで買っても店舗で買ってもそんなに値段はかわらないんだなと思った。
LANケーブルは全部屋で長さがはっきりしないので50mか100mを箱買い(またはオトナ買い)してチョキチョキ切って、RJ45コネクタを付けて、かしめ工具で”かしめて”(そんな日本語はたぶん存在しない)、使いたいと思っている。
マンションは玄関から各部屋のマルチメディアコンセントまではCD管と呼ばれる管が通っているようなので、そこにLANケーブルを通したい。
調べてみると、ビニール紐をCD管の片方に入れて反対側から掃除機で吸い込むと紐が通るらしい。(このような感じ
これは是非やってみたいと思う。

(追記)
書いたあとに一応調べてみると、「かしめる」という日本語が辞書に存在する。
いつごろから出来た日本語なんだろうか。業界用語なんだろうか。
「ぐぐる」みたいなものか。
もっと一般的な日本語なんだろうか。
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