![三度目の殺人](https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51OrsSKSofL.jpg)
これまで是枝裕和の映画でおもしろくない、と思ったものはひとつもないのだが、今回は「?」だった。
「三度目の殺人」というタイトルもよくわからない。三度目じゃなく二度目じゃないだろうか。それとも最初の殺人で二人殺しているから三度目なのだろうか。「三度目の正直」とかけているのだろうが、役所広司のやってないと言い出すのが「三度目」なのかもよくわからない。
話もあまりに文学的過ぎて、私などにはよくわからなかった。
福山雅治と役所広司と広瀬すずの三人で雪合戦するあたりからいままでの是枝映画とは違うなと感じた。
ガラス越しに話す福山雅治と役所広司の顔を重ねて二人を分身のように描いたり、ちょっと文学的だった。
ドストエフスキーみたいなものをやりたかったのだろうかと感じた。
子どもが出て来ないのも珍しい。
もうちょっと現実的な話のほうがついていけただろうなと感じた。
これではただ役所広司の演技を愉しむという方法しか見ようがない。
![江戸川乱歩傑作選 獣 (文春文庫)](https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51li9heMsKL.jpg)
「パノラマ島綺譚」と「陰獣」を読もうと思って借りたのだが、「陰獣」を読んだらこの本に収録されている小説がすべて登場した。やられた。
最初から順番に読むべきだったのかもしれない。
「陰獣」
それまでの江戸川乱歩の作品が名前を少しだけ変えて登場する。
確かに傑作。
「一人二役」
短い話。
「パノラマ島綺譚」
パノラマ国の描写のところで退屈し、あとはどうでもよくなってしまった。
前半の入れ替わりの話と、パノラマ国の話につながりを感じられない。
「一枚の切符」
これも短い話だった。
この本に収録されている、読んだことのない話は読んだ。
「陰獣」を読んだ時点では、すべて読もうと思ったのだが、「パノラマ島綺譚」を読んでやっぱり乱歩には退屈なところがあるなと思い、未読のものだけ読んでおくことにした。
この本に収録されている小説は他に、「二銭銅貨」、「D坂の殺人事件」、「屋根裏の散歩者」。
![赤目四十八瀧心中未遂](https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51Q9EXKJD6L.jpg)
鴨長明の『発心集』を少し読んで、発心というものに興味を持ち、現代文学で発心とはどのように描かれるものであろうかという興味を持ち、思いついたのがこの小説と森敦の『月山』だったので迷って車谷長吉の『赤目四十八瀧心中未遂』を読んでみた。
見当は少し外れて、そんなに発心が描かれた小説ではなかった。
でも、熱中させられる小説だった。
描かれる人がとても具体的に存在感のある感じで、彫眉さんの感じとかほんとうにいたんだろうなと思わせるものがあった。彫眉さんに彫眉さんと言って、「あんたいつから彫眉さんなんて言うようになった?」みたいに言われるところはとても印象に残った。
とてもおもしろかったが、車谷長吉を続けて読むと胃もたれを起こしそうなので続けては読めない。
やはり森敦の『月山』でも読んでみようかなと考える。
![第25作 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花](https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/519X-wqQqlL.jpg)
マドンナは浅丘ルリ子。
私たちは何を見ているのだろう。寅次郎の純潔が危うくなるのをひやひやしながら見ている。
いつもはなんだかんだやっている間に寅次郎が振られるということになるのだが、実は振られているわけではなくて、寅次郎自身が男女関係が深くなることから逃げているのだということが、このような”危機”に陥るとよく分かる。
寅次郎とリリーが沖縄で二人きりになり、まるで夫婦のような日々を過ごすのだが、リリーに本当に好きな人がいるわけではなく本当に好きなのが寅次郎であるので逃げ道がない。
最後はなんとか喧嘩に持ち込んでリリーから逃げることに成功する。
『男はつらいよ』は、寅次郎という中年のおじさんが様々なマドンナからの誘惑に負けず純潔を守り続ける物語であるのだと気付いた。
![歌うクジラ(下) (講談社文庫)](https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41JQB5uHMrL.jpg)
下巻に入りますます話を追っていくのが困難になる。
特に「隔離施設」のあたりは何が行われているのかよく分からない。たぶんステージ上でSMショーのようなことが行われているように思うのだが、きちんと読む気がしない。これは何の苦行だろう、いつまで続くのだろう。もう読むのをやめてしまおうかという気になってくる。
おそらく三度ほどは「明日からは別の本を読もう。そして村上龍の、少なくとも長編小説には二度と手を出すまい」と思った。
そして、それでも苦労しながら読んでいると、「サツキという女」が登場し、
「よく耐えたわね、あの人のテストに合格できたのかも知れないわよ」(104頁)
と言う。
この台詞はまさしく僕に向けられた言葉で、この小説の最もつらいところを通過し、あの人(村上龍)のテストに合格出来たということなのではなかろうか、と思った。
「隔離施設」の章はほんとうに読むのに苦労する。何のために読んでいるのか意味が分からなくなる。こんな小説など読まなくてもぜんぜん構わない。ひょっとしたら誰ひとり読んでいないのかもしれない、とすら思う。読めるわけがない。
しかし、読み通すことが出来れば、あの人(村上龍)のお墨付きがもらえる。
なんだそれは。
しかし僕は本気で、村上龍がそのつもりで書いた台詞なのだと思った。
と、そのあたりまで読んだ後に左眼が見え難くなり、だいぶ中断していたのだが、最後まで読んだ。
宇宙に行って地球に帰ってこようとするところは『ゼロ・グラビティ』の影響かなあなどと考えた。
ヨシマツの長い演説は苦痛だった。
テレビ番組「セブンルール」をよく見ているが、先ほども録画したものを見ていた。
そうするとメガネ職人の回だったのだが、YOU(女性タレントの名前)が、「見えていないけど、メガネはかけていない。だいたいで暮らしている」という発言をしていて魂消た。
彼女らしいと言えばらしいのだが、あまりにもらし過ぎて嘘だろうと思ってしまう。
風邪を引いても病院に行かないとか、ガンになっても治療しないとか、トイレに行ってもお尻を拭かないとか、まあ人それぞれ自由なことはあるのだろうが、目がよく見えないのにメガネをかけないというのは私の選択肢にはなかった。
そんなひとがいるとも想像できなかった。
ひとつ勉強になりました。
そうするとメガネ職人の回だったのだが、YOU(女性タレントの名前)が、「見えていないけど、メガネはかけていない。だいたいで暮らしている」という発言をしていて魂消た。
彼女らしいと言えばらしいのだが、あまりにもらし過ぎて嘘だろうと思ってしまう。
風邪を引いても病院に行かないとか、ガンになっても治療しないとか、トイレに行ってもお尻を拭かないとか、まあ人それぞれ自由なことはあるのだろうが、目がよく見えないのにメガネをかけないというのは私の選択肢にはなかった。
そんなひとがいるとも想像できなかった。
ひとつ勉強になりました。