![対話 山田洋次〈2〉映画は面白いか](http://ec2.images-amazon.com/images/I/51Y26H8EPKL._AA240_.jpg)
図書館で借りた「対話 山田洋次 2 映画は面白いか」(旬報社)を読んだ。
黒澤明の「まあだだよ」、まったく興味もなかったが山田洋次と淀川長治がそんなに言うなら見てみるか。
ラルフ・ネルソンという映画監督(知りません)との対談で、見ていない山田洋次の映画「家族」を日本の「イージー・ライダー」とネルソンは紹介されたということが出てきた。
それを山田洋次が否定していて安心した。
「家族」を僕も見ていないが、どう考えても山田洋次が「イージー・ライダー」を作るとは想像できない。ああいう映画の正反対にあるのが山田洋次の映画だと思う。
山田本人はジョン・フォードの「怒りの葡萄」を意識した、とあった。
![居酒屋兆治](http://ecx.images-amazon.com/images/I/21W34V8996L._AA140_.jpg)
今日は会社を休んだので、昼間ソファに横になって降旗康男監督の「居酒屋兆治」を見ていた。
大原麗子と伊丹十三がいらないんじゃないかと思った。
伊丹十三についてはなんとなくあんなひともいるのかもしれないなとは思うけれど、大原麗子がどう考えて何が望みなのかまったくわからなかった。
この映画では高倉健にとって不都合な人間がつぎつぎと消えていくのだが、佐藤慶とともに大原麗子と伊丹十三も消えていく。
どうせ消えてしまうならめんどくさいから最初からいなくてもいいんじゃない? と元も子もないことを思った。
「居酒屋兆治」からめんどくさいお客を次から次へと消していくと「かもめ食堂」になるのだろう。
どういう映画が好きか、よくわからないのだが、こういうところは好きじゃないなというのはそういうものを見たときに気づく。
しかし、この映画は高倉健が大原麗子や伊丹十三や、船でカラオケを歌う男の理不尽さに耐える姿を見る映画なのだろうからそれで成功しているのかもしれない。
《分かってほしいのだが、芸術は情念を表現するのではまったくなく、克服された情念を表現するのだ。》(アラン「芸術の体系」76ページ)
高倉健ほど情念を克服する姿を見せてくれる俳優を知らない。
東野英治郎は「用心棒」のころからずっと飲み屋をやっていてやっと高倉健に弟子になってもらえてよかった。たしか「秋刀魚の味」もそうだったし、汚い飲み屋は必ず東野英治郎が経営しているのが可笑しい。
主題歌「時代おくれの酒場」は高倉健が歌っているものよりも加藤登紀子の歌っているもののほうがいいのだが、加藤登紀子版は予告にしか使われてない。