ダブログ宣言!

ひとりでするのがブログなら、
ふたりでするのがダブログ。

☆「ゲームセンターCX DVD-BOX4」

2008年01月31日 23時43分03秒 | ゲーム
ゲームセンターCX DVD-BOX4友人に借りて「ゲームセンターCX DVD-BOX4」を見た。
ここにすべて書いてきたかどうかわからないが、これまで発売されたすべてのDVDを見ている。
今回は収録時間が長かった。
すべて見終わるのにかなり時間がかかった。
どのゲームもやったことはないのだが、どのゲームもやりたくはならなかった。
今はどうかわからないが僕が子供のころ、テレビゲームというのは最後までやる(つまりエンディングを見る)ものではなくて、できるところまでやる力試しのようなものだったかもしれないなと、見ていて思った。
どう考えてもすべての子供にエンディングを見せるようには作られていない。

よゐこの有野はわりと上品で、長時間テレビゲームをして駄菓子を食べるだけの番組なのに下品な感じがしない。
コメント

☆プルーストのほうへ

2008年01月30日 19時59分08秒 | 文学
アランを読んでいてふと、プルーストはアランを読むように読めばいいのではないかと思う。
これまで読めなかったのは、物語を読むように読んでいたせいではないか。
紅茶に浸したマドレーヌを食べた続き(飲み終わってティーカップを洗ったとか、お腹が満たされたからローソクを吹き消して寝たとか、食った後の主人公の行動)がどうなるのかという興味で読んでいてもそのようなことはなかなか出てこないし、もしかしたら最後まで出てこないのかもしれない。読んでないので知らない。
そのような読み方ではなくて、エッセイとして読んだらいいんじゃないか、と思った。

しかし、エッセイとして読もうが物語として読もうがどっちでもいいのだが、そもそもの疑問としてこの小説がおもしろいのかということがある。
記憶をたどってみても「失われた時を求めて」がおもしろかったという発言は誰の口からも聞いたことがないように思う。
岩井俊二の映画「Love Letter」でも、読んだわけではないし。
読書ということで信頼してきた人たち、村上春樹からも吉本隆明からも大江健三郎からも聞いたことがない。
村上春樹のどれかの小説では、「失われた時を求めて」を半分くらいしか読んでいないという発言がなかったかなあ。(「資本論」だったかも。)
吉本隆明が「つまんねぇこと書いてあるなというところも随分ありますけれど、小説としては上等でしょう。」とかその類の発言でもしていればいいのだけれど寡聞にして知らない。
小林秀雄が何か言うのも見たことはないな。読んだのだろうか。読んでいても不思議ではないけど。
加藤典洋が「全部読み終わったら波打ち際に打ち上げられたような気分になる」というように書いているのを読んだことはある。これはしかし、心地よい疲労感を表しているような気がするが、おもしろいのかどうかはっきりとはわからない。
壮大な時間論、最後まで読んだらわかる完璧な構成、20世紀文学はここから始まった、のちの文学に多大な影響を与えた、等の賛辞はよく聞くのだがはっきりとおもしろいというのはほとんど聞かれない。読んだときの苦労話はよく聞く。
誰でもいいから、寅さんのようにおもしろいって言ってくれないかなあ。
こう読んだらおもしろいとか。
自分にとっておもしろくなくても誰かがおもしろいと言っていれば(司馬遼太郎の「坂の上の雲」とか)、そのうち面白く読めることもあるかもしれないなと思える。

司馬遼太郎といえば、講演を読んでいると、恐ろしいほど何も信じない。どんなイデオロギーも文学論も信じない。文学論が文学をだめにしたとも語っていた。
たしかにそうかもしれない。
あまりに文学論に頼りすぎて、誰にでも通用する正解を探しているような面がある。
バルザックを、いまの日本人にとっては面白いものではない、家具の描写が詳しいのはそれが当時の流行だったからに過ぎない、そんなものを有難がる必要はない、と言っていた。(ちょっと意訳しました。)
結構すごい。
情念を克服することがすばらしいと考えているアランと、民衆を飼い馴らすために思想が存在しているのだという司馬は正反対にいるようにも思うが、同じようなところもある。
アランは、建築や彫刻は素材の固有の性質を活かしながら作り上げるのがよくて、そこに無理に思い通りの形を刻むのは良くない、と考えている。石なら石の硬さや抵抗感をそのままに、しかしそこを活かして、というのが美しいのだそうだ。
司馬は歴史小説を書くときに、資料を読んで、対象が自分の体の中に入ってくるのを待つという言い方をよくする。資料を離れてまるっきり自由に書くことはできないとも語っていた。同じことを言っていると思う。
コメント

☆海音寺潮五郎「悪人列伝 中世篇」

2008年01月27日 01時50分18秒 | 文学
悪人列伝 中世篇 (文春文庫)海音寺潮五郎の「悪人列伝 中世篇」を読み終わった。
南北朝のときの足利尊氏の動きがよくわからなかった。
その他ところどころよく理解できなかったところもあるけど、おおまかには分かったように思う。「武将列伝」を読んでいることを前提で話しているのでそこが難しくなっている。
室町時代付近の歴史小説は一冊も読んでいないので馴染みがない。

「司馬遼太郎全講演」と「悪人列伝」と「芸術の体系」(アラン)と「ヒッチコック×ジジェク」はどれも短文を重ねた形式なので、あっちを読んではこっちを読んで今度はそっち、ということをやっている。そして合間に、テレビ番組「ゲームセンターCX」の新しいDVDを友人に借りたのでそれを見ている。
「ヒッチコック×ジジェク」は読んでみれば案外面白い。(ジジェクの前書きが読みにくかったが他の人の書いた部分はそれほどでもない。)
ヒッチコックの映画の話を読んでいるとヒッチコックの映画が見たくなる。大学の頃に結構見たのだけれどまた見たくなった。
「高倉健と山田洋次と黒澤明(白黒)しか見ない」という決まりをちょっと変えて、「高倉健と山田洋次とヒッチコックしか見ない」に変えてしまうかなあ。ヒッチコックならば、”ヒッチコック(白黒)”とか限定しなくても安心して見られるし。
これは検討を要する。
コメント

☆黒澤明監督「姿三四郎」感想

2008年01月26日 14時43分00秒 | 映画
姿三四郎黒澤明の映画「姿三四郎」を見た。
台詞がよく聞き取れないので日本語字幕をつけて見た。
黒澤明の映画の良さってなかなかつかめない。

映画というのはこれまで監督で見るものかと思っていたが、もしかしたら俳優で見るべきものかもしれない。
高倉健の出演映画は結局高倉健を見る映画なんだろう。
めちゃくちゃな映画でも高倉健さえ見ていれば飽きずに見られるということはある。
「姿三四郎」にも、山田五十鈴か東野英治郎かが出ていればそんなに飽きなかったかもしれない。
コメント

☆時代おくれの映画?

2008年01月25日 20時06分10秒 | 映画
対話 山田洋次〈2〉映画は面白いか図書館で借りた「対話 山田洋次 2 映画は面白いか」(旬報社)を読んだ。
黒澤明の「まあだだよ」、まったく興味もなかったが山田洋次と淀川長治がそんなに言うなら見てみるか。
ラルフ・ネルソンという映画監督(知りません)との対談で、見ていない山田洋次の映画「家族」を日本の「イージー・ライダー」とネルソンは紹介されたということが出てきた。
それを山田洋次が否定していて安心した。
「家族」を僕も見ていないが、どう考えても山田洋次が「イージー・ライダー」を作るとは想像できない。ああいう映画の正反対にあるのが山田洋次の映画だと思う。
山田本人はジョン・フォードの「怒りの葡萄」を意識した、とあった。

居酒屋兆治今日は会社を休んだので、昼間ソファに横になって降旗康男監督の「居酒屋兆治」を見ていた。
大原麗子と伊丹十三がいらないんじゃないかと思った。
伊丹十三についてはなんとなくあんなひともいるのかもしれないなとは思うけれど、大原麗子がどう考えて何が望みなのかまったくわからなかった。
この映画では高倉健にとって不都合な人間がつぎつぎと消えていくのだが、佐藤慶とともに大原麗子と伊丹十三も消えていく。
どうせ消えてしまうならめんどくさいから最初からいなくてもいいんじゃない? と元も子もないことを思った。
「居酒屋兆治」からめんどくさいお客を次から次へと消していくと「かもめ食堂」になるのだろう。
どういう映画が好きか、よくわからないのだが、こういうところは好きじゃないなというのはそういうものを見たときに気づく。
しかし、この映画は高倉健が大原麗子や伊丹十三や、船でカラオケを歌う男の理不尽さに耐える姿を見る映画なのだろうからそれで成功しているのかもしれない。

《分かってほしいのだが、芸術は情念を表現するのではまったくなく、克服された情念を表現するのだ。》(アラン「芸術の体系」76ページ)

高倉健ほど情念を克服する姿を見せてくれる俳優を知らない。
東野英治郎は「用心棒」のころからずっと飲み屋をやっていてやっと高倉健に弟子になってもらえてよかった。たしか「秋刀魚の味」もそうだったし、汚い飲み屋は必ず東野英治郎が経営しているのが可笑しい。
主題歌「時代おくれの酒場」は高倉健が歌っているものよりも加藤登紀子の歌っているもののほうがいいのだが、加藤登紀子版は予告にしか使われてない。
コメント

☆アラン、海音寺、洋次、ジジェク

2008年01月25日 00時22分11秒 | 文学
アランの「芸術の体系」(光文社古典新訳文庫)を読んでいる。
アランの本は「幸福論」(岩波文庫)で衝撃を受けとても救われた気がし、「四季をめぐる51のプロポ」(岩波文庫)はよくわからず、「精神と情熱とに関する八十一章」(新潮社)では小林秀雄の翻訳はわけがわからんと憤慨した。
というわけで、「幸福論」だけがこれまで読んでおもしろかった(とってもおもしろかった)わけだが、「芸術の体系」はおもしろいほうに入ると思う。
もったいなくてちびちびゆっくりと読んでいる。
アランは、デカルトやモンテーニュやルソーやゲーテなど古典が好きでよく話に出てくるが、この本でもカントの「判断力批判」が最初に登場し読みたくなった。この本を読んで「判断力批判」が読みたくならない人はいないんじゃないかとさえ思う。
しかし読みたくはなったが、手軽に読めそうな本がない。岩波文庫で新訳が出るか、光文社古典新訳文庫で出すかしてくれないかなあ。
これまでの経験からすると、結局図書館で全集版のでかくて重い本を借りてきても、でかくて重いな、注が多いな、とは思うが内容についてはほとんど、なにも印象に残らないことが多い。
硬い表紙と高い値段と重量感と膨大な注で緊張感を高めることは本の内容を理解することにとって、プラスにはならないような気がする。
アランはエッセイとして気楽に読める珍しい思想書だと思う。

海音寺潮五郎の「悪人列伝」は南北朝あたりまで来た。
しかし、”このことは「武将列伝」に書いた”というふうな言葉がよく出てくる。「武将列伝」を先に読むべきなんですね。
だから途中はしょられてるような、おいて行かれたような気分になる。

図書館で、映画の本を借りる。
「対話山田洋次2 映画は面白いか」と「ヒッチコック×ジジェク」。
「対話山田洋次2 映画は面白いか」はなかなかおもしろい。黒澤明はえらい(またはえらそうな)んだと思った。淀川長治のしゃべりかたが懐かしい。あのまんま。
「ヒッチコック×ジジェク」は難しそうで読めないかもしれない。
コメント

☆荻上直子監督「かもめ食堂」感想

2008年01月23日 22時00分00秒 | 映画
かもめ食堂数日前に、「高倉健と山田洋次と黒澤明(白黒)しか見ない」と書きながら、高倉健でも山田洋次でも黒澤明(白黒)でもない、荻上直子監督の「かもめ食堂」を見た。
料理がおいしそうに撮れている映画はそれだけで見る価値があると思うので、それだけで問題はないのだが、色もたいへんきれいに撮れている映画だった。
伊丹十三の「タンポポ」を思い出した。
この前見たチャン・イーモウ監督の「単騎、千里を走る。」といい、最近外国人の拙い日本語を聞くと心安らぐ。アグネス・チャンや欧陽菲菲やフランソワーズ・モレシャンの日本語を聞いて心安らいだことは一度もないのだが、テレビと映画の違いだろうか。

もたいまさこのキノコの詰まった鞄や小林聡美のプールで拍手されるシーンは必要かなあ。趣味の問題だろうけど。
コメント

☆「司馬遼太郎全講演 第1巻」感想

2008年01月22日 01時00分16秒 | 文学
司馬遼太郎全講演〈第1巻〉1964‐1983図書館で借りた、「司馬遼太郎全講演 第1巻」(朝日新聞社)を読み終えた。
司馬遼太郎が思想というものが信用できず、思想で目の曇っていない正岡子規の写生の文章が好きであるということがよくわかった。
そして(これは知っていたが)太平洋戦争時の日本の陸軍が嫌いということもわかった。
「週刊新潮」等の週刊誌の創刊によって、一般の人々の文章力があがった、または一定のものになったというのは面白い。

山田風太郎もどこかで中里介山の「大菩薩峠」を最後まで読んでいないと語っていたが、司馬遼太郎もちょっとしか読んでいないらしい。
ひとが何かを読んでいないという話はわりと好きだ。勇気づけられる。

正岡子規の「墨汁一滴」等はぜひ読もう。
司馬の子供のころの絵の授業の話で、
《だれか上手な絵かきさんが描いたりんごの絵を、そっくりに写すことが絵画教育でした。
これは物を見ない絵ですね。》(「松山の子規、東京の漱石」)
というところがあり、思えば最近の映画は”物を見ない絵”ばかりなのかもしれない、と思った。
コメント

☆黒澤明監督「用心棒」

2008年01月21日 19時59分19秒 | 映画
新聞に載っていた大学入試センター試験の日本史Bをやってみた。
45点。(100点満点中)
よくわからないがおそらく平均点以下だろう。

用心棒昨夜、黒澤明の映画「用心棒」を見る。黒澤映画はあまり見ていないので初見。
おもしろかったが、ものすごく面白かったと言えるほどではない。
三船敏郎がボコボコにされたあたりで少し退屈した。
チャンバラ映画なのかと思っていたが違って、殺陣のシーンはあまりない。ハードボイルドミステリー、なのかな。
仲代達矢の目がギラギラしていて怖い。ひとを殺しそうな雰囲気がよく出ている。
山田五十鈴は「必殺仕事人」のころの印象しかなく、この当時の顔をはじめて見た。彼女であることがわからなかった。原節子的な美人役なのかと思っていたが杉村春子のような役だった。(小津安二郎の「東京物語」による喩え。)
三船敏郎の後姿がかっこいい。

これまで見たことのある黒澤映画(「七人の侍」「天国と地獄」「影武者」「八月の狂詩曲」と、この「用心棒」)の中ではもっともおもしろかった。
ちなみに「用心棒」を見るまでは、原作(村田喜代子「鍋の中」)が好きなこともあり「八月の狂詩曲」がいちばん好きだった。
夏休みのおばあちゃんの家の雰囲気ってわりと好きだ。雷が鳴って少し呆けたおばあちゃんが原爆を思い出し、子どもたちにシーツを掛ける場面を憶えている。
コメント

☆市原悦子と島田雅彦の仕事

2008年01月20日 11時02分14秒 | 文学
テレビアニメ「まんが日本昔ばなし」の始まりの歌は、これまでずっと市原悦子が歌っているものだと思っていた。
しかし彼女の歌といえばドラマ「家政婦は見た!」ではるみちゃん(飼猫)に向かって歌われる演歌しか聞いたことがない。そして記憶をたどって考えてみると、あの演歌と「まんが日本昔ばなし」の歌が同一人物によって歌われているとは思えない。テクニックが違う。
♪ほーろほーっろと
♪もーのーがったーりー、ぃーぃー
のあたりはどう考えてもプロの仕事だ。
調べてみると花頭巾というひとに歌われているようだ。だれだ、花頭巾。
市原悦子についてもうひとつ。彼女の息継ぎのタイミングは、ひとが息をするタイミングではなく、ひとがしゃっくりをするタイミングなのではないかと気づいた。
「旦那さまあのわたくし(ひっく)、存じあげません。」
市原悦子の芝居の秘密が攫めた気がする。

今朝の朝刊から島田雅彦の連載小説「徒然王子」が始まる。(朝日新聞)
どうせつまんねーだろうと意地悪な気持ちで読み始めたのだが特にけなすところなし。今後に期待する。
やはり歴史を感じられるものはよい。
しかも最近、天皇家の歴史に興味を持っているのでちょうどよい。
コメント