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☆「小林秀雄全作品26」感想

2009年07月30日 01時11分08秒 | 文学
小林秀雄全作品〈26〉信ずることと知ること「小林秀雄全作品26 信ずることと知ること」(新潮社)を読んだ。
数年前に小林秀雄の影響でアランとベルクソンをずっと読んでいたことがあってそのときにフランスの思想家はたいへん面白いと思った。いまでも結構影響を受けていると思う。
今度この本を読んで、「徒然草」と「論語」を読もうかという気になった。

頭でっかちにならずに直に経験することで学ぶことの大切さをずっと小林秀雄は説いているのだと思う。
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☆司馬遼太郎「関ヶ原」中巻

2009年07月28日 01時23分01秒 | 文学
関ヶ原〈中〉 (新潮文庫)司馬遼太郎の「関ヶ原」(新潮文庫)の中巻を読了。
まだ戦いは始まらない。
徳川家康が自分が上杉景勝のところに戦いに行けば石田三成がそのすきに大坂を乗っ取るだろうと考える。まんまとその通りになる、というあたりまで。
徳川につくか石田三成につくかでみんなが悩むという話になっている。
豊臣家を守るためにはどちらに加担するのが正しいことなのかという、名目を、言い訳を、大義名分を、みんながそれぞれで考えている。
変な話だ。
なかなかおもしろい。
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☆休みでいろいろとやる

2009年07月27日 22時21分13秒 | 文学
新しい会社ではじめての有給休暇。一日のんびりと過ごす。
司馬遼太郎の「関ヶ原」を読んでいて、疲れたので「小林秀雄全作品」の26巻(「信ずることと知ること」)を半分ほど読む。
小林秀雄はいつも素晴らしい。
物事を理解するときに理論で理解するのでなく手を動かして理解することは大切なことだということを語っている。そうだそうだ。異議なしっ!
司馬遼太郎も読んでいるとやはり素晴らしく、読んでいない他の小説も読んでいこうかという気になる。「城塞」と「豊臣家の人々」がいまのところもっとも気になる。「この国のかたち」も気になる。しかし「この国のかたち」というタイトルがなんとなく筑紫哲也を思い出させて、うさんくさく感じるんだよねえ。
歴史と政治にいまとても感心がある。

ずっと前に録画していた黒澤明の映画「赤ひげ」を一時間ほど見る。
加山雄三が若い。
三船敏郎の目ヂカラがすごい。
香川京子がこわい。
野村昭子が変わらない。
おもしろい。
おもしろいがしかし、加山雄三がだんだんと三船敏郎の影響を受けて大人になっていくのだろうと思いながらそれを辿っていくことに多少疲れを感じ途中で断念。
また今度(あるかな?)見よう。

先ほどテレビで「機動戦士ガンダム」の第一話を見る。
こういうのはやはり子供の時に熱中した経験がないと見れないものだと思う。
おもしろさを感じられない。
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☆山崎正和をざっくり読む

2009年07月26日 10時58分26秒 | 文学
歴史の真実と政治の正義図書館で借りた山崎正和の「歴史の真実と政治の正義」をざっくりと読む。全部は読んでいない。
司馬遼太郎について書かれたものを読むために借りてきたのでそれを読んだ。
山崎正和の激賞する司馬遼太郎の「草原の記」に興味を持った。おもしろそう。

司馬遼太郎の小説の書き方は独特で、小説なのかどうかすらわからないものなのだが、彼の書き方に対して興味を持っている。
例えば、知的な人がいたとして、その人はとても論理的な話をするのだが、しかし論理的であることがなぜ正しいと言えるのかは証明することはできない。
いや、もしかすると証明はできるかもしれない。
しかしその証明はおそらく論理的なものだ。
論理的な証明によって「論理的であることは正しい」と言うのは、論理的におかしい。証明のために「論理的であることは正しい」ということが前提とされている。
何が言いたいかといえば、このような小説が正しい小説だというぼやっとしたものがなんとなくはあるような気がするのだが、司馬遼太郎の小説を読むと、まあこれも小説かなあと思わせられる。
それはとても健康的で良いことのように思う。
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☆司馬遼太郎「関ヶ原」上巻

2009年07月25日 11時49分58秒 | 文学
関ヶ原〈上〉 (新潮文庫)司馬遼太郎の「関ヶ原」(新潮文庫)の上巻読了。いまは中巻の94ページあたり。
NHKの大河ドラマ「天地人」で、今後上杉家にどんなことが起きるのか、何にも起きないのだろう、退屈なドラマだ、と思っていたのだけれど、この小説を読んでみると豊臣秀吉が死んでから少し面白くなりそうだ。
「関ヶ原」という題名だから関ヶ原の戦いのことを延々と語られるのかと思っていたが、そういうことはなく、それまでのことが延々と語られる。
石田三成が隠居することになるとは思わなかった。
徳川家康はものすごく陰険なやつという印象だ。でも、だからおもしろい。
家康が、戦いには準備が大切でいざ戦う時にはすでに勝ったようなものであるべきだ、というような考えを言うところがあり、これは「新史太閤記」で秀吉も同じような考えを持っていた。秀吉も家康も同じような考えを持っていたのだな、だからどちらも天下が取れたのだな、と素直に思えればいいのだけれどそうは思わず、単に司馬遼太郎がこういう考えだったんだなと思った。
よく聞く、司馬遼太郎が小説を書くときの準備の量はたいへんなものだった、古本屋から関連本が消えた、という話を思い出す。
石田三成がみんなから嫌われる感じもよく分かる。潔癖なひとは息が詰まる感じがして嫌われる。

以前読んだ藤沢周平の「密謀」よりも直江兼続のことがよく分かる。
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☆ヘミングウェイ「武器よさらば」感想

2009年07月23日 23時15分36秒 | 文学
武器よさらば (新潮文庫)ヘミングウェイの「武器よさらば」(新潮文庫)を読み終える。
ヘミングウェイで最も好きなのは「老人と海」なのだが、お話としては共通点のある話だった。どちらも、大きな苦労をしたが得るものは何もなかった(またはとてもわずかなものだった)、という話だった。
「武器よさらば」は少しだらだらと話が続く印象があり、「老人と海」のような緊張感や興奮はなかった。あまりおもしろくはなかった。

村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」がきっかけで読んだのだが、たしかにあちらも子どもと妻を失う(奥さんは死にはしないが)ということで少しは似ているような気がする。戦場が舞台となるところもいっしょ。
だからどうした、ってもんでもないけど。
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☆ジョン・マッデン監督「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」感想

2009年07月19日 17時31分09秒 | 映画
プルーフ・オブ・マイ・ライフ録画していたグウィネス・パルトロウ主演の「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」を見た。ひさしぶりに映画を見た。
ここ最近、数学者を描いたものが多いように思う。
思い出せるだけでも、
マット・デイモン(「グッド・ウィル・ハンティング」)と
ラッセル・クロウ(「ビューティフル・マインド」)と
寺尾聰(「博士の愛した数式」)と
福山雅治(「ガリレオ」)
がいる。じつにおもしろい。(福山雅治は正確には数学者じゃないけれど。)
数学の証明って黒板一杯に書き散らして何をやっているのかわからないけど、なんだかすごいことが行われているという感じを出すのに有効な道具なんだろうなあ。
あんなに書きまくって何を証明しようとしているのか、ほんとうに理解できない。嘘じゃないかと思っている。

なんとなーく、雰囲気で作った映画だなという感じでした。
ぼけたアンソニー・ホプキンスが数学の証明をしてるつもりでノートに「9月の暑さは……」とか「書店の売り上げは……」とか書いているところは悲しくもあったが、すこし笑えた。
いくらぼけてるとは言っても、そんな分かりやすいボケ方はないんじゃないかなあ。
このひとは凡人には理解できないほど賢い、とか、尋常じゃなく馬鹿である、というのはなかなか表現しにくいものだということがよくわかった。
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☆内田樹「知に働けば蔵が建つ」感想

2009年07月19日 16時57分12秒 | 文学
知に働けば蔵が建つ (文春文庫)引き続き、図書館で借りてきた内田樹の本を読む。「知に働けば蔵が建つ」(文春文庫)。
とてもおもしろく、というほどではないが、退屈せずに読んだ。
何かを考えるときに時間というものを勘定に入れるのが内田樹的なのだな、とあらためて思った。
「在留日本人のパリ症候群」は懐かしかった。
僕が内田樹という書き手を意識し始めたのはこの文章あたりだったように思う。ちょうど朝日新聞にパリ症候群について載っていて、留学中に精神的にわりと追い詰められた経験のある人間としてはひとごととは思えず、調べていて内田樹のブログに行きあたったように思う。じゃなくてもしかしたら、その少し前から読んでいて、気になりだしたのがこの文章あたりだった、ということかもしれない。
名前は高橋源一郎がどこかで、なにかで、書いているのを見て知っていたはずである。はずであるが、新しい作家にはなかなか手を出さないので「ふうん、そんなひとがいるのか」という程度だった。
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☆内田樹「こんな日本でよかったね」感想

2009年07月19日 00時18分32秒 | 文学
こんな日本でよかったね─構造主義的日本論 (木星叢書)三連休の初日。図書館に行って予約していた本を受け取り、読み続ける。
内田樹の「こんな日本でよかったね 構造主義的日本論」(バジリコ株式会社)を読んだ。
内田樹のブログはよく見ているので、ほとんど読んだことのあるものばかりだった。なのでお金を出して買う気にならないのであるが、たまに本で読んでみたくなるのだ。
ほとんど読んだことのある内容、見たことのある文体で語られるので、あまり印象に残ったことはないのだが、一箇所、
《また「武道の師弟関係」という疑似家族的な親密圏で、学界の競争的人間関係の中で負った心理的な傷を癒された経験から、》(225ページ)
というところがあり、あまり聞いたことのない発言だなと思い、印象に残った。
ふっと弱いところを見せられると、そのひとのことが少しわかった気になって親近感を持つものだ。
そのようなこと(弱い部分を見せること)は文章を書くときもまた普段でも、意図したり意図しなかったりしてやることは僕もあって、こう書いてしまうとものすごく計算高い人間に思われそうだが(高くないとは言わないが)、そういう書き方ってやってしまったあとに「上手くいったな」という感慨みたいなものがあって、文章を書く楽しさってそういう上手く出せたなという感じにあるように思う。
(なかなか上手く説明できなくて橋本治みたいな文章になってしまった。すみません。)
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☆関ヶ原

2009年07月18日 15時15分52秒 | 文学
初対面の人はどうしても誰かに似ていると思ってしまう。似ている人が見つかるまでその人のことが分かった気がしない。
僕はどうもそうやってカテゴリー分けしてしまう性格のようだ。
最近は立川談志と綾小路きみまろとオードリーの堂本光一に似てる方に出会った。とにかく誰かに似てるということはよく思うほうだ。

似てると言えば織田裕二主演の映画「アマルフィ」は、かつて加勢大周が出演した映画「パレオ」だか「パラオ」だかを思い出す。(といいながら全然思い出せてないので調べてみるとタイトルは「パテオ」だった。)
なんとなく豪華出演者でお祭りっぽい雰囲気が似ている気がする。
お祭り騒ぎは嫌いじゃないが、「パテオ」と同様「アマルフィ」も見ないだろうな。

大河ドラマ「天地人」の予習として司馬遼太郎の「関ヶ原」(新潮文庫)を読んでいる。
秀吉が死んで、家康がどんどん勢力を拡大していくさまが描かれる。
「天地人」と同じで家康は不気味だ。
石田三成は関ヶ原で徳川家康と戦った人、というだけの印象しかなく、歴史を知らない私のようなものには明智光秀と印象がかぶるのだが、謀反を起こした人ではなく、どちらかといえば謀反を起こされた人なんだなあ。
「関ヶ原」はなかなかおもしろい。
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