ダブログ宣言!

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☆渡辺一夫「狂気について」感想

2010年02月28日 10時54分20秒 | 文学
「渡辺一夫評論選 狂気について」(岩波文庫)を読んだ。
大江健三郎へのインタビュー「大江健三郎 作家自身を語る」(新潮社)を読んで以来、渡辺一夫にとても興味を持っていたのでこの本を読んだ。
自分について、世界について、規定してしまうとそれに縛られ、自分で規定したものの機械になってしまうということが何度か語られた。こういう類の話を期待していたので期待通りではあったが、それ以上のものはなかった。
ラブレーとモンテーニュとエラスムスの話もあり、エラスムスに興味を持った(他の二人はすでに興味がある)。
それと、アナトール・フランスにも興味を持った。
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☆門田由貴子「ザ・チェンジ!」

2010年02月27日 20時29分50秒 | 文学
会社で借りて、門田由貴子「ザ・チェンジ! 人と職場がガラリと変わる12週間プログラム」を読んだ。
さまざまな資質を持った人たちが集まって、それぞれの長所を出し欠点を補ったり弱点を克服しながら大きな敵を倒すという、冒険物語によくあるかたちを会社のチームに適用したような物語だった。実話に基づく、と書かれていたけれど、これは物語だなあ。
意外とおもしろくてすぐ読めた。
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☆新しい新聞の連載小説

2010年02月24日 23時00分52秒 | 文学
朝日新聞の連載小説は森見登美彦の「聖なる怠け者の冒険」が終わって、楊逸(ヤン・イー)の「獅子頭(シーズトオ)」の連載が始まった。森見登美彦の連載は興味がないので読まなかったのだが挿絵がいつも楽しげで、勝手に、高橋源一郎風な、主婦が実はマントを付けて空を飛ぶ正義の味方であるような話(そんな話が高橋源一郎の短編にあった)なのだろうと想像していた。(読んでいないのでどんな話か知らない。)
もう一つの連載小説である川上弘美の「七夜物語」は、毎回ひとつは古臭い表現が使われていてそれはそれで感心しているのだが、最近あまりおもしろくない。料理を作るでかいネズミが出ていたころは興味深く読んでいたが、子どもが給食のカレーシチューをおかわりするとかしないとかの話になって熱心に読んでいない。新聞小説で読者の興味を惹き続けるのはとても難しいことだと思う。
小説を読むこと自体があまりなくなっているし、読むとしても最近のものは読まず、今後読むのもダンテの「神曲」かラブレーの「ガルガンチュア」かで迷っているくらいの状態であるので、新聞小説はいい機会だと思って読もうとはするのだけれど、楊逸の「獅子頭」はちょっと続けて読めないかもしれないなあとまだ二回しか読んでいないのに挫けそうな気持ちになった。まず登場人物が中国名で名前が覚えられない。

このように基本的に新しいものはなかなか受け付けられない性格なので、ブログはやっているが、ツイッターだかツッタカターだか(西川のりおです)にもまったく興味がない。
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☆また風邪

2010年02月23日 21時24分22秒 | 文学
昨日は熱が出て一日中寝ていた。ほんとうに恐ろしいくらい眠っていた。
昼に少し起きてカーリングを一時間ほど見た以外は日中は寝ていた。夜もきちんと眠れた。
週末になるたびに体調が悪くなっている。これはいけない。
「週末になるたびに体調が悪くなっている。」と書くことはあとから見たときに、このころは弱ってたな、と思いだすためでもあるのだけれど、もしかしたら週末ごとに体調の悪くなっている人がいてここを読んだら、自分だけじゃないと勇気づけられるんじゃないかとの思いも、ほんの少しばかりある。
どんなことでも自分だけじゃないと思えばわりとしのげる。

風邪のときには、風邪のことを考えてしまう。
風邪というのは、風邪というものが身体に張り付く現象なのだろうか、それとも身体そのものが不調になる現象なのだろうか、ということを結構考えてしまう。
前者であれば風邪を身体から引っぺがす方法を、後者であれば身体を回復する方法を、取るべきなのだろうと思う。
しかし結局解釈が違うだけでどちらも同じことを別な言葉で言っているだけのような気がするし、やることは薬を飲んでゆっくり寝るということくらいしかできないので、解決のないままだ。
一日寝ていると馬鹿なことを考えてしまう。

カーリングは見ているとわりとおもしろい。
自分でやろうとまでは思わないけど、四年に一度見るくらいだったらよいスポーツだ。
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☆ハイルブローナー「入門経済思想史 世俗の思想家たち」とラブサイケデリコ

2010年02月18日 23時21分31秒 | 文学
通勤時にちびちび読んでいたロバート・L・ハイルブローナーの「入門経済思想史 世俗の思想家たち」(ちくま学芸文庫)をやっと読み終えることができた。この本は「金持ち父さん貧乏父さん」シリーズのどれかを読んでいた時におすすめの本として挙がっていたのを見て興味を持って読み始めた。アダム・スミス以降の経済学者たちのことが紹介される本だった。
土地には価値があって所有者がいてカネのやりとりが発生する、というようなことは実はそんなに歴史のあるものではないということなどを読んでいて最初のころは「はあはあなるほどなるほど」と感心していたのだけれど、だんだんと読んでいくうちに興味が持てなくなってしまった。
続けてアダム・スミスの「国富論」くらいは読みたいなあと思っていたのだが、無理だろうな。

LOVE PSYCHEDELICO(ラブサイケデリコ)は最新アルバム「ABBOT KINNEY」に続いて、「LOVE PSYCHEDELICO III」と「GOLDEN GRAPEFRUIT」というアルバムを借りてくる。
少しずつさかのぼって聴いている。
同じ歌手の(どうも”アーティストの”とは恥ずかしくって言えないのですね)アルバムをこんなに続けて聴くことは滅多にない。
いちばん最近ではMONKEY MAJIK(モンキーマジック)をしばらく聴き続けていたのが最後だ。
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☆9mmと司馬遼太郎の「小説」

2010年02月16日 23時47分31秒 | 文学
三月まではNHKの番組モニターなので、オリンピックも少しは見ている。(メダルがとれて良かったね。)
実際にはオリンピック番組そのものを見て感想をNHKに送ることはないのだけれど、基本的にテレビはNHKを見ているので、いつの間にか見てしまっている。国谷裕子を見たいのにベッキーを見ている。何してるのかなあ、国谷さん。(国谷裕子とは「クローズアップ現代」のキャスターです。)
番組モニターといえば、この間担当番組の「トップランナー」を見て、「9mm Parabellum Bullet」(キューミリ・パラベラム・バレット)なるロックバンドの存在を知る。僕には9mmの良さはよくわからなかったけれど、昭和歌謡を思わせるところが人気の原因ではないかというような分析が番組でなされていた。
なるほど、それは私らの言うところの、イエモンだな、と妙に納得したのでした。(イエモンとはザ・イエロー・モンキーのことです。)
昭和歌謡は強い。

モンテーニュの「エセー」(宮下史朗訳)と柄谷行人の「増補 漱石論集成」を最近は読んでいる。
「エセー」の良さはいまのところまだわからない。
柄谷行人の「漱石論」はまあまあかな。「文」というジャンルに興味を持った。
司馬遼太郎の歴史小説は「竜馬がゆく」のころは明らかに小説なのに、「坂の上の雲」のころになると「下手かっ!」と思わせるほど読みにくい。読みにくいと思わせるのはいわゆる「小説」っぽくないということなのだろう。
それは「小説」ではなく「文」を書いていたからなのかもしれないなと思った。
司馬遼太郎については司馬史観などよりも、彼の文章の書き方のほうに前々から興味がある。そのような切り口の評論があれば読みたいと思うが、寡聞にして知らない。
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☆真夜中の侍

2010年02月15日 02時53分44秒 | テレビ
この二日間風邪をひいてずっと寝てばかりいたので、症状は良くなったのだが、眠れなくなってしまった。明日会社に行けるのだろうか。
眠れないといろいろと考えてしまう。反省もする。悲しくもなる。しかし眠くはならない。

NHKの「龍馬伝」はなかなかおもしろい。
役者では吉田東洋の田中泯が迫力があって良い。
田中泯は映画「たそがれ清兵衛」のときも存在感があった。「メゾン・ド・ヒミコ」のときはそんなに役に合っているとも思わなかった。
今回のリリー・フランキーも良いと思った。
テレビによく出る役者がテレビっぽい演技をテレビドラマで行うのを見ることに飽きているのかもしれない。

龍馬の父親の児玉清が侍の生き方について語っていて、最近の世の中に足りないのは侍っぽい生き方なのではないかと思った。最近の世の中という言い方でごまかさなければ、私、なのだけれど。
ひとつのことを決めて高みに至ろうとすること。
そういうのを侍の生き方だとすると、そういうのは昭和文学にはまだあったように思う。小林秀雄とか志賀直哉とか折口信夫とかにはそのようなものを感じる。
いまは、足をすくわれないように、自分の本心を見せないように、相手の揚げ足を取るように、そのような態度をよく感じる、し、自分もそのような態度を取ることがある。
司馬遼太郎や村上春樹を読むのはそこに一本筋の通った侍魂を感じるからだろう。
しばらく侍について考えてみたい。

すこし眠くなってきた。
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☆ジェフリー・ディヴァー「コフィン・ダンサー」下巻

2010年02月14日 18時52分45秒 | 文学
熱が少しと洟がたくさん出る。
風邪はだるい。

コフィン・ダンサー〈下〉 (文春文庫)ジェフリー・ディヴァー「コフィン・ダンサー」の下巻(文春文庫)を読んだ。
そういうことか! と驚いた。
驚いたがしかし、もう読まなくていいかなという気になった。
飛行機の操縦の場面があるのだが、何をやっているのかほとんどわからなかった。「たいへんだ」ということだけが理解できた。
どんでん返しもあんまり続くと、しつこいなあという気がしてくる。
風邪をひいているからかもしれない。
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☆ジェフリー・ディーヴァー「コフィン・ダンサー」上巻

2010年02月12日 23時59分00秒 | 文学
最近、原辰徳が話しているのを聞くと、高橋源一郎にそっくりだと思えてしかたない。
いったん気付いてしまったらもうそうとしか聞こえない。
話している内容が、一方は野球、一方は競馬(または文学)だから、内容はまったく違うのだけれど、声と話し方はそっくりだ。

そっくりといえば、この間テレビ番組「A-Studio」にゲストで出ていたラブ・サイケデリコを見て懐かしくなり最新のアルバムを借りてきた。
ラブ・サイケデリコはシェリル・クロウにそっくりだ。
非常に良いので、これからはラブ・サイケデリコを聴くことにする。
ここんところ、GReeeeNや絢香や平原綾香のCDを借りてきて聴こうとしてみたが、平原綾香はまだしもGReeeeNや絢香は聴けないなあと思った。洋楽っぽさのあるものでないと聴けないのかもしれない。

コフィン・ダンサー〈上〉 (文春文庫)ジェフリー・ディーヴァーの「コフィン・ダンサー」上巻(文春文庫)を読んだ。
前作ほどはどきどきしない。残虐でもない。
半分読んだのだから、犯人は登場しているはずなのだろうけれども、それに該当する人がひとりも思い浮かばない。不思議だ。
犯人はこれまで登場していないひとなのだろうか。
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☆米アカデミー賞

2010年02月11日 00時12分14秒 | 映画
バスを待っていると黒い服を着た男が風呂敷に包んだ骨壺を抱えてやってきたのだが、よく見ると、骨壺ではなくてナイロン袋に入ったケンタッキーフライドチキンの「バーレル」だった。
「バーレル」は鶏の骨壺と言えば言えるかもしれないが、完全な見間違いだった。

今日は咽喉も頭も痛かったが、だいぶ良くなった。
風邪をひくかと思ったが、ひかないで済むかもしれない。

米アカデミー賞のノミネート作品の中では「ザ・ラスト・ステーション」(原題)と「ジュリー&ジュリア」が気になった。
「ザ・ラスト・ステーション」(原題)はトルストイというところが気になった。タイトルも彼の死に場所を思わせるもので興味を惹く。
「ジュリー&ジュリア」はメリル・ストリープのフランス人っぽい英語(アメリカ人っぽいフランス語だったかなあ)を聞いておもしろそうだと思った。
作品賞ノミネートが10作品になったのは不況の影響なのかなあ。
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