ダブログ宣言!

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☆グッバイ、レーニン! グッバイ、ペアマッチ!

2008年06月29日 16時45分11秒 | 映画
金曜日はお酒を飲んで帰る。
一次会で帰るつもりだったがついつい長居をしてしまう。
同年代の人とくだらない昔話をするのってどうしてこう楽しいのだろうとよく思う。最近昔話ばかりしている。
帰りのタクシーで運転手の話を少し聞く。
どうしてタクシー運転手の話はいつも野球と政治の話なんだろう。どっちも興味がないので「興味ありません」という雰囲気の相槌しかできない。
タクシーが禁煙かどうかよりも、僕はタクシー運転手が無口かどうかのほうが気になる。「沈黙タクシー」があれば僕は好んで乗るだろう。

土曜日はテレビの「スマステーション」で80年代を振り返る番組を見る。
エリマキトカゲはCMから人気が出たと言っていたけど、関口宏司会の「わくわく動物ランド」からじゃないかなあ。その他、田原俊彦(トシちゃん)が過去の人として扱われていたのに比べ、近藤真彦(マッチ)と少年隊を現役として扱っていた。
何らかの印象操作を感じる番組だった。
しかし概ね楽しい懐古番組であった。

日曜日。
ひさしぶりに「新婚さんいらっしゃい!」を見ると、番組の最後で行うゲームが「ペアマッチ」じゃなくなっていた。
ひとつの時代の終わりを感じた。
グッバイ、レーニン!中沢新一の「はじまりのレーニン」は未読なのだが、録画していたドイツ映画「グッバイ、レーニン!」を見た。(この二作品になんらかの関係があるのかどうかは知らない。)
母親が意識不明の間に東西ドイツが統一し、目が覚めた母親にショックを与えないために(ショックを与えると心臓に負担がかかり危険なので)、息子を中心に周りのひとが昔のままの状況であるという芝居をする。
誰かが死ぬと、周りの人間はそのひとの死をすぐには受け入れることができないので、本当の意味で周りの人間のなかでそのひとが死ぬのはしばらく時間がかかる。というような話を内田樹がしていたように思う。
死ぬのが人ではなくて祖国であっても同じようなもので、この映画は、母親に対して演じることによって、死んだ祖国が息子のなかで本当に死ぬ話なんだろう。
部屋を抜け出した母親がすっかり変わってしまった外の世界を彷徨うところ、ヘリコプターで移動中の空飛ぶレーニン像と遭遇するところは凄かった。
確か「フォレスト・ガンプ」くらいからか、過去の映像に虚構の人物を入れ込んで映像を作りだしたが、この映画もそれをやっていた。それについてこれまで面白いともなんとも思ってなかったが、これは司馬遼太郎なんだ、と気付き、とたんに興味がわく。
時代のなかでひとがどう生きるかというところに興味がある。
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☆シェイクスピアの短編集

2008年06月26日 23時43分45秒 | 文学
ほぼ毎日麻雀ゲームをやっている。
悔しいから、なかなかやめられない。
ボロ勝ちしてからやめようと思って続けるが、ボロ勝ちしてももう一回、と思ってやってしまう。完全にはまっている。
いかん。

プルーストも読んでいない。
週末はソファに座って本を読むことにする。
新しい、ちょっと高めの、ひとり掛けのソファを購入してしまったのです。

会社の往復で、チャールズ・ラムとメアリー・ラムの「シェイクスピア物語」(岩波文庫)を読んでいる。
シェイクスピアの戯曲を短編小説にしている短編集。
これは読みやすくて良い本だ。
「あらし」「真夏の夜の夢」「冬物語」「から騒ぎ」を読んだ。
「冬物語」はおもしろい。ほかのもおもしろい。
シェイクスピアの戯曲を僕はいつもあまり楽しめないのだが、それは、あらすじがよく分からないまま、このひと誰だったっけ? という状況で読み終えることが多いからだろう。
だいたい話はどたばたと結婚するか、ばたばたと死んじゃうかどっちかで「つまらん」と思ってしまう。で、どたばた結婚を「喜劇」、ばたばた死亡を「悲劇」って呼んでいるようなんだけど、なんかそれぞれ可笑しくもないし悲しくもない。
という認識でしたが、この短編集を全部読んだらなんとなくはシェイクスピアがつかめるかもしれない。
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☆ロマン・ロラン「ベートーヴェンの生涯」感想

2008年06月24日 01時04分43秒 | 文学
ベートーヴェンの生涯 (岩波文庫)トルストイの「クロイツェル・ソナタ」に続き、ベートーヴェンものということでロマン・ロランの「ベートーヴェンの生涯」(岩波文庫)を読んだ。
ロマン・ロランの本を読むのは初めて。
これには理由があって――というほどたいした理由ではないが――、大学の時の授業でノーベル文学賞の話になったときに、先生が「ノーベル文学賞も、あとから考えると何であのひとにあげたんだろうっていうようなことがたまにあって、例えばロマン・ロランとか……」と言っていて、その言葉のせいも多少あり、読書の優先順位としては高くない作家だ。
まあロマン・ロランは僕にとって、印象としては日本の作家で言うと遠藤周作とかそういった感じです。おもしろくないことはないんだろうけど、なんとなく余程のことがない限り読まない作家ですね、たいしたことなさそうで(ファンの皆様、ごめんなさい)。
村上春樹がなにかのエッセイで、大学の先生がテネシー・ウィリアムズのことを貶しているのを聞いてしばらく読まなかったけれど、読んだらおもしろかった。あんなことを言うべきじゃないんじゃないか、という趣旨のことを書いていたように思うが、そういうことって確かにある。
僕は、大学の授業の大部分のことはきれいさっぱり忘れているけれど、あの先生はあの作家が嫌いだった、あるいは好きだった、こんなふうにこきおろした、というような記憶は不思議なくらい忘れずに憶えている。そして多少は影響を受けているように思う。

で、「ベートーヴェンの生涯」ですが、ロマン・ロランがベートーヴェンをものすごく敬愛していることはよく分かった。つらい時はいつもベートーヴェンとともにあった。
あと、ベートーヴェンは耳の病気にものすごく悩んでいた。
そのくらいかな。
クラシック音楽を聴きなれていないので、比喩を使ってすごさを説明されてもあまり納得できない。
ふうん、そういうものかな、といった感じ。
来月のアランの「音楽家訪問」(岩波文庫)には期待してます。
ロマン・ロランではあと「ジャン・クリストフ」があるが、長いからしばらくは読まないな。
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☆「失われた時を求めて」メモ59 (「囚われの女」読了)

2008年06月22日 14時51分43秒 | 文学
失われた時を求めて 10 第五篇 完訳版 (10) (集英社文庫 ヘリテージシリーズ)プルースト「失われた時を求めて」10巻読了。

・ヴェルデュラン夫妻にも優しい部分のあるところが示される。
完全に善人であったり、完全に悪人であったりするわけではなく、状況や相手によるものである。
・ドストエフスキー論。
ドストエフスキーの長編小説に対するかなり詳細なコメントが、語り手とアルベルチーヌとの会話という形で述べられる。
「源氏物語」で言うと「蛍」に当たるのだろうか。
ドストエフスキーの全作品を通して、ある共通の感じがあるということが語られる。
それはどの作家についても、たぶん、言えることだ。
・それにしてもアルベルチーヌの嘘は次から次へとばれる。
さっき言ったことをもう忘れて、辻褄の合わないことを言ってしまう。
さまざまな女性(同性愛の趣味があるとされるすべての登場人物)とアルベルチーヌはたぶん関係があるのだ。ひどい。
・アルベルチーヌが逃げる。
語り手がヴェネツィア行きを決めた途端にアルベルチーヌが消える。
「源氏物語」で言うと、源氏が妻の葵と心が通じ合ったと思ったときに葵が死んでしまうようなものか。
・なんで「源氏物語」で喩えるかと言うと朝日新聞の朝刊で「失われた時を求めて」と「源氏物語」が似ているという話が載っていたから。なんどか聞いたことがある話ではあるけれど、そんなに似てるかなあ。
長くて挫けそうになる所はそっくりだけど。
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☆ゲイリー・フレダー監督「サウンド・オブ・サイレンス」感想

2008年06月22日 11時16分01秒 | 映画
サウンド・オブ・サイレンス録画していたゲイリー・フレダー監督の「サウンド・オブ・サイレンス」を見た。
暇つぶし以外の何ものでもない映画だった。
あんなちっちゃな、小石みたいな宝石にこのおっさんは何人殺して、何年時間をかけてるんだ!? 馬鹿ですか? と思った。
それに何で番号を知ってると思ったんだろう。なにかその理由は描かれていたかなあ。

ヒッチコックのマクガフィンの話で、サスペンスにおいてお宝の価値は問われない、登場人物たちが重要と思っていればよく、思わせぶりであればそれでいい、というようなことが言われ、まあ言ってることはその通りなのかもしれないが、あまりにもどうでもいいものすぎて映画全体が馬鹿馬鹿しいものになってしまっている。
現代文学で、もうこれまで言われていないことはなく、すべて誰かが言ったことの引用だ、というようなことが言われることがある。それはそうかもしれないが、そういう気持ちで作ったものは真剣さに欠けているように思われ、こちらもまともな気持ちで付き合う気になれず、興味を惹かれないことが多い。
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☆トルストイ「クロイツェル・ソナタ」

2008年06月22日 00時21分49秒 | 文学
ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第九番は「クロイツェル・ソナタ」と呼ばれていて、それを題材にしたトルストイの小説「クロイツェル・ソナタ」(新潮文庫、原卓也訳)を読んだ。再読。
トルストイの考えていることは、なかなか共感しにくいことが多いのだが、誰からも聞いたのことのないような考えを言うのでいつも感心する。
この中編小説は、前半と後半に分かれている印象だった。
前半には、男の子が自然に女性との性交渉に進むわけではなく、周りから急かされてそれを済ましている、世の中はそうなっているがそれは嘆かわしいことだ、というようなことが書かれていた。
後半は、妻を殺した男の語る話。
男の妻がピアノを弾き、ヴァイオリニストの浮気相手と合奏する曲として「クロイツェル・ソナタ」が登場する。

おもしろくないこともないのだが、ものすごく入り込んで「すごい!」って程ではなかった。
思うに、もう少し年齢を重ねないと駄目だ。
読んでいて谷崎潤一郎を思い出した。
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☆ヴァイオリンソナタ

2008年06月20日 21時40分20秒 | 文学
昨夜の「BSマンガ夜話」は、出演者たちに「ハチミツとクローバー」(羽海野チカ著)がおおむね好評なので意外だった。
全くつまらないマンガだと思ったのに。
わからないものだ。
読み続けていないと分からないマンガの面白さというものがあるのだろう。
見続けていないと分からない映画の面白さ(これはあまり分からない)や、読み続けていないと分からない小説の面白さ(これは少し分かる)があるようなものだろう。
聴き続けていないと分からないクラシック音楽の面白さというものもあるのだろう。
ぱったりとやめていたのだが、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタを再び聴こうとしている。
というのも、「のだめカンタービレ」(二ノ宮知子著)を読んだときに、アランの「音楽家訪問 ――ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ――」(岩波文庫)が読みたくなり復刊の希望を岩波書店にメールを出していたのだが、それが功を奏したのか来月復刊されるらしい。
こういうことがあると、意外と岩波書店に復刊希望メールを出しているひとは少ないのかな、と思う。
一時、講談社文芸文庫を買うと挟まれている読者アンケート葉書に必ず刊行希望の本を書いて送っていた時期があるのだが、江藤淳の「小林秀雄」とフォークナーの「死の床に横たわりて」はしばらくすると刊行された。そのときも案外希望って通るのかなと思った。
ちなみに、「小林秀雄」は買って読んだが、「死の床に横たわりて」は買ってすらいない。ごめんなさい。
しかしよく思うのだが、岩波文庫の復刊される本の中には、誰が読むのだろう、誰の希望だろう、と不思議な本が必ず入っている。世の中は広い! と思う瞬間だ。
講談社文芸文庫は最近全く手の出せない本しか刊行されない。

今日は眠いので、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタを聴きながら「のだめカンタービレ」を読んで過ごす。
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☆「BSマンガ夜話」を見る。

2008年06月19日 01時30分34秒 | テレビ
昨夜はNHKの「BSマンガ夜話」を見た。
山田芳裕の 「へうげもの」のことは全く知らなかったが、古田織部が主人公の漫画があるんだなあ。井上靖の「本覚坊遺文」が大好きな小説で、野上弥生子の「秀吉と利休」や岡倉天心の「茶の本」などもついでに読んだこともある千利休好きの私としては、古田織部にも興味がないことはないのだが、絵の感じがものすごく好きという感じではないので、この漫画はおそらく読まない。
おもしろそうだとは思ったのだが。
しかし、歴史物語のことを思うにつけ、司馬遼太郎が読みたくなる。
今回は「新史太閤記」が読みたくなった。「国盗り物語」がおもしろかったので、その続きも読みたいと思う。
もう何度も書いたように思うが、プルーストが終わったら司馬遼太郎を読もう。
「BSマンガ夜話」では今回、羽海野チカの「ハチミツとクローバー」も取り上げられる。あの漫画は全く面白くなかったのだが、番組はぜひとも見てみよう。

で、今夜も見た。雁屋哲原作、池上遼一作画の「男組」。
これは絶対読むことはない漫画だな。
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☆クイズゲームを買う。 (メモ58)

2008年06月17日 22時10分40秒 | 文学
意見を訊くと、自分がどうしたいか、ではなく、世間では何が正しいとされているか、を答える人がいる。話が通じ合わない気がして、わりと悲しい気持ちになる。
なんでこういう答えをする人がいるのか長年の疑問だ。
正しさとは何かを考える上で重要な問題だと思う。
正しいということのなかに自分の欲望を含んではいけないと考えているのではないか。

そういえば任天堂のゲーム機Wiiのインターネット接続を無線LANから有線LANに変更したのだった。
どうも最近接続状態が悪く、よくエラーになっていたので、うちのマンションに妨害電波が飛んでいるのではないかと思い、有線LANに変えた。
Wiiには直接LANケーブルが挿せるわけではなく、専用別売りの機器がなぜか必要なので購入した。
これで問題なく麻雀が出来る。
クイズ番組に出場し問題に答えるという設定のゲーム(「TVショーキング」)も買った。
僕は(たまにしか行かないが)ゲームセンターではクイズゲームしかやらないというほどのクイズ好きなのです。かつては「アタック25」のテレビゲームも買った。
得意分野は文学と映画と幕末と芸能界で、苦手な分野はスポーツと政治と地理かな。

プルースト「失われた時を求めて」10巻158ページまで。
・ヴェルデュラン夫人のサロンで、ヴァントュイユ作曲の七重奏曲が演奏される。
それを発掘したのはヴァントュイユの娘の女友だち(ゴモラ友だち)。
・招待客たちは主催者のヴェルデュラン夫人ではなく、貴族のシャルリュスに挨拶して帰っていく。
ひどい。
ヴェルデュラン夫人はシャルリュスへの復讐を決意する。
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☆ウディ・アレン監督「マッチポイント」感想

2008年06月16日 23時29分12秒 | 映画
マッチポイントテレビでウディ・アレンの監督作品「マッチポイント」を見る。
ウディ・アレンの映画には多くを期待しないので失望もない。いつも期待通りの感じだ。たまに見たくなる。
主人公のジョナサン・リース=マイヤーズがはじめの方でドストエフスキーの「罪と罰」を読みながら一緒に「罪と罰」の解説本を読んでいるところが可笑しかった。
しかしこれは伏線で、物語は「罪と罰」をなぞるような展開になる。
ああ、なぞってる、なぞってる、と安心して見ていたのだが、最後のところで裏切られた。あのような結末になるとは思ってなかった。
これはほんとにやられた。
マッチポイントってそっちか! と思った。

あとは確かソフォクレスが登場した。文学作品からの引用のある映画は無条件に素晴らしい。
セックスと死をあまり直接描かない、「おしゃれ」と言ってもいいのかもしれない映画だった。
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