ダブログ宣言!

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立ち読み

2010年05月30日 23時26分01秒 | 文学
ゲーテの『詩と真実』を通勤時に、トルストイの『戦争と平和』を家で読むようにしていたが、最近Wiiをよくやっているせいであまり本を読んでいない。あまり読んでいないのにゲーテとトルストイを同時に読むというトーマス・マンくらいしかやらないようなことをやってはいけない。もっと気楽なものを読もうと思い、ゲーテはとりあえずやめる。『詩と真実』はゲーテの自伝なのだが、一向におもしろくなる気配がない。『戦争と平和』はわりとおもしろい。
本屋で、マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)を立ち読みする。NHK教育でやっている番組(「ハーバード白熱教室」)の内容を本にしたもののようだ。番組と同様難しいので購入する気にはならない。「ハーバード白熱教室」にはとても興味を持っていて録画はしているのだが、集中して見ないと内容が追えない番組だし、しかも一回の番組で二つの授業を放送するので、なかなか見始めることができない。時間のあるときは、同様に毎週録画している「アメトーーク」や坂本龍一の「スコラ」などを見てしまうことになる。
マイケル・サンデルの本の隣に置いてあった、小川仁志の『人生が変わる哲学の教室』(中経出版)という本の表紙が気になってかなりの時間立ち読みした。ハイデガーやニーチェなどの哲学者が教室にやってきて授業をするというなかなかおもしろい設定の本だ。興味を惹かれた、アランとカントとマルクスの授業のところを読む。
買うほどではない。そのうち図書館で借りて読もう。
著者(小川仁志)の意見が出てきすぎかなあという気がした。

結局購入したのは、木田元『反哲学入門』(新潮文庫)と村上春樹『意味がなければスイングはない』(文春文庫)の二冊。
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NHKを見て思ったこと

2010年05月30日 01時21分14秒 | テレビ
ピアニストの辻井伸行が、ムソルグスキーの『展覧会の絵』を練習している風景を撮ったNHKの番組を録画して見た。
辻井伸行が弾くのを聴いた三人の音楽家たちの、辻井への助言が大体いっしょなのにとても興味を惹かれた。三人とも、辻井が『展覧会の絵』をどのようなイメージで弾いているかを言葉で表現させようとし、そこが明確ではないところを指摘していた。どのようなイメージであろうと明確なイメージをまずは持つこと、そしてそれを言葉で表現することが大切なことであるというところは三人とも一致しているように見えた。
漫画『のだめカンタービレ』で、アナリーゼという、言葉で音楽を分析し表現する授業をパリでやっていたが、そういう欧米のやり方をみんな学んでやってきたのだろうなと思った。
どのように表現するかは自由だけれど、どのようにかは表現しなければならないと考えているところが不自由だなと少し思った。
目が見えないで生活するということがどういうことか想像できないけれど、おそらく言語についての使用方法のようなものも相当違うだろうと思うので、目が見えて欧米で学んできたようなひとたちとは全く違う方法論でピアノを弾く人がいても良いのではないかと思った。

『クリント・イーストウッドの真実』というイーストウッドの映画を振り返る番組をNHKでやっていて、録画していたので見た。
映画『タイトロープ』の映像が少し流れたのだが、ある女が女性たちを集めて襲ってきた男性の撃退法を伝授している場面があった。人形の男性の股間を蹴り上げて、それをイーストウッドが見ているのだが、これはまるで村上春樹の『1Q84』だと思った。『1Q84』でも青豆がスポーツクラブでこれを教えていて顰蹙を買う話があった。
『タイトロープ』は1984年の映画のようなので村上春樹は引用したのかもしれないなあ。
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ガッテン、松本隆、松田聖子

2010年05月27日 23時04分40秒 | テレビ
昨日はNHKの「ためしてガッテン」を見て、「計るだけダイエット」を知る。
朝と夜に体重を計るだけで痩せるというものだった。
一時期流行った岡田斗司夫の「レコーディングダイエット」と同じようなものだろう。
「Wiiフィットプラス」をやっているせいで最近は一日一回は体重を計っていて、グラフにはなっているのだが、それでは駄目だろうか。まあいいだろう、これで。と思い、「計るだけダイエット」はやらないことにする。
僕はぜんぜん太っているわけではないのだが、もう少し筋肉を付けたいと思っている。
片足で立つとふらふらするし。

今日は録画していた作詞家の松本隆の番組を見た(NHK「青春の言葉 風街の歌 作詞家 松本隆の40年~」)。
薬師丸ひろ子の歌はやはり懐かしいなあ。
斉藤由貴も懐かしい。「卒業」をひさしぶりに聴いた。
「赤いスイートピー」の、「何故あなたが時計をチラッと見るたび泣きそうな気分になるの?」のところが今回とても印象に残った。なんで松本隆は乙女心がそんなにわかるんだろう、乙女でもないのに、と自分も乙女でもないのに思うという不思議な気持ちになった。
そのあと続けて録画していたNHKの「SONGS」の「松田聖子 Part2」も見る。
松田聖子の歌も確かに懐かしいのだが、薬師丸ひろ子ほどではない。
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Wiiとゲーテとトルストイ

2010年05月25日 23時38分05秒 | 文学
「Wiiフィットプラス」四日目。
毎日やっている。
思っていたよりもおもしろい。
ジャックナイフという腹筋を鍛える運動がわりと効く。
フラフープは相当疲れる。
リズムカンフーはおもしろい。
よくやるのはこんなところ。
ヨガで片足で立たされる時があるのだが、すごくふらふらしてインナーマッスルを鍛えないといけないなあと実感する。「ふらふらしていますね」とトレーナー(男性)に指摘されるととても腹が立つ。
毎日続ければ確かに鍛えられると思うが、英語の勉強といっしょで一年間とか二年間とかの期間続けることが難しいのだろう。

本はトルストイの『戦争と平和』とゲーテの『詩と真実』を読んでいる。
『戦争と平和』は次から次へといろいろなひとが登場し、短期間で読み終えないと人間関係が分からなくなるだろうなあと思う。すでによく分かっていないし。
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ウィリアム・ワイラー監督『ローマの休日』

2010年05月23日 00時23分06秒 | 映画
ウィリアム・ワイラー監督の『ローマの休日』を生まれて初めて見た。
有名でも見ていない映画も多い。
有名でも、ということでいえば、いまトルストイの『戦争と平和』を読んでいる。戦争の話かと思っていたら社交界の話が続いている。
『ローマの休日』は、新聞記者が王女と知らずに王女に恋をして、最後になって彼女が王女であることを知るという話なのかとずうっと思っていたけれど、そうではなくて、王女と知っていて特ダネ目当てで近づいていた新聞記者が別れるときになって王女に恋をしていたことを知る話だった。ローマのデートもふたりっきりでしているのかと思っていたら、カメラマンを合わせた三人でやっていた。
真実の口にグレゴリー・ペックが手を突っ込んで噛まれる芝居をする場面をこれまで何度も見ている気がするのだが、そこに三人の人物がいるとは気が付いていなかった。グレゴリー・ペックとオードリー・ヘプバーンがふたりでいちゃついているイメージしかない。三人目の人物がそこにいるはずなのに見えていない。
名作映画はやはりよい。

今日は昼間にプールに行って、ひさしぶりに泳いだ。
あまり泳がなかったからそんなに疲れなかったが、少しずつでも泳ごうと思った。
晩御飯は肉を食べに行った。
食事の帰りにふと思いついて『Wiiフィットプラス』を買ってしまった。
よくできている。結構運動になる。
しかしやはり想像していた通り場所を取る。
夏になるので少しずつ健康志向になってきつつある。
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許光俊『クラシックを聴け!完全版』感想

2010年05月21日 23時27分36秒 | 文学
許光俊の『クラシックを聴け!完全版』(ポプラ文庫)を図書館で借りて読んだ。途中から適当に読んだ。
クラシック音楽に興味があるのだが、なかなか良い本に出会えない。
小説を読むのも好きだが、小説についての評論を読むのも好きで、それは小説についての語り方を知ることで小説の読み方が分かるということがあると思う。それでさらに好きになる。
クラシック音楽の語り方を知りたいなあと思いながら読んではみるのだがあまり「びびび」とくる語り方に出会えない。やはり大御所の吉田秀和を読んでみるべきかなあ。
それ以外であれば村上春樹の『意味がなければスイングはない』は読んでみようと思っている。

この前NHKの朝ドラ『ゲゲゲの女房』を見ていたら、水木しげる(向井理)が妻(松下奈緒)にエッカーマンの『ゲーテとの対話』を勧める場面があった。やはり気になった人がいたようで今日書店に行くと『ゲーテとの対話』(岩波文庫)が平積みになっていた。
しかし文字が大きくなっていないので、購入を見合わせる。
『ゲーテとの対話』はずっと読みたいと思っているのだが、そのうち文字が大きくなるんじゃないかなあと思って待っている。
文字が大きくなるのを待っている本は他に、大岡昇平『レイテ戦記』(中公文庫)も。
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『トリック』、坂本龍一『音楽は自由にする』感想

2010年05月18日 00時36分26秒 | 文学
そういえばこの間テレビでドラマ『トリック』のスペシャルを見たのだった。
かつて放送していたときの熱心な視聴者というわけではないのだが(ある程度は見たことはあるが)、最近テレビを見ていると映画の宣伝をやたらめったらしているので気になっていた。
メーテルのような格好をした浅野ゆう子にも興味を惹かれた。
ドラマは懐かしいというか、ああ『トリック』ってこんな感じだったなあ、と思わせるものだった。非常に面白いドラマのように思ってしまっていたが、あんな感じだよなあ。
映画は見に行かなくてよいと判断した。

坂本龍一の自伝『音楽は自由にする』(新潮社)を図書館で借りて読んだ。
ちょっと前、立花隆と梅宮辰夫の対談をテレビで見たときに、立花隆が「テレビに出ているとお金持ちだと思われるけれど、かつかつだ」というような発言をしていて、そういうもんかもしれんなと思った。
なんとなく「♪立花隆は金持ちだ、猫ビル建てた蔵建てた」(童謡『黄金むし』の替え歌)と考えてしまっていた。
で、坂本龍一についても綽名は”教授”だし外国に住んでいるしたまにテレビに出るし離婚したし、金持ちなんだろうなと考えていたが、そんなにヒット作があるわけでもないし、レギュラーのテレビ番組があるわけでもないし、紅白歌合戦に出場もしてないし断ってもいないし、まあ普通の生活をしているのかなあと感じた。そういう下世話なところにいちばん興味を持った。
坂本龍一のアルバムを聴いてみようという気にはならなかった。
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最近読んでいる本について。

2010年05月17日 22時48分11秒 | 文学
最近読んでいる本について。

許光俊の『クラシックを聴け!』という本を読んでいる。
クラシックを聴くためには、本格推理小説を読んでサラダを作れ、という出だしは良かったのだが、読んでいくとだんだん普通の本みたいになってくる。最後まで、本格推理小説とサラダのような話で押し進めてほしかった。
クラシック音楽がなぜ入りにくいのかというと、説明などを読むと、ここが何を表してここはこうで、と書いてあるのだが、それがさっぱり理解できない。ワインの味について「フランスのブルゴーニュ地方の枯葉を思わせます」と言われてもさっぱり理解できないというのに似ている。音楽を表現するために物語で説明するのだが、それなら物語を読むよ、なんでそんなに遠まわしに音楽を聞くことで物語を読まなくちゃいけないの? と感じてしまう。
この本の中で、芸術の二種類の美として、「感情移入型の美しさ」というのと「抽象的な美しさ」というのがあると語っていた。僕が本を読むときに、「感情移入型の美しさ」ばかり求めて、数学的な、抽象的な、構造の美しさにあまりピンとこないのはクラシックを聴かないからなのかもしれない。円環構造? だから? と思ってしまうことがよくある。『1Q84』のおもしろさが分からないのもたぶんそのせい(分からないことだからたぶんとしか言えない)。

坂本龍一の自伝『音楽は自由にする』を図書館で借りてきて読んでいる。
NHK教育の『スコラ』を見ていて坂本龍一のことが気になっているので。
これはなかなか面白い本だ。
ゴダールとかデリダとか、あの時代のひとは興味を持っていたのだなと思う。当時の雰囲気に浸れる。
クラシック音楽についての勉強のために読み始めたのだが、そこはあまり勉強にならない。坂本龍一についてはよく理解できるがそこまで彼に興味はないのですぐ忘れてしまいそう。
いままでのところ、「坂本龍一ってすごい!」とは一度も思っていない。有名人の自伝って、「この人すごい」と何度も思わせるものかと思っていたがそういうものでもないらしい。
ドラッカーの自伝『傍観者の時代』も読んでいる。
意図せざる自伝ブームだ。
ついでに、サイード『遠い場所の記憶』やガルシア=マルケス『生きて、語り伝える』なども読もうか。
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内田樹『私の身体は頭がいい』感想

2010年05月16日 21時01分15秒 | 文学
たまに読みにくいことがある気がするので、本のタイトルを『』で書くことに変える。
ついでに☆を付けることもやめてみる。
テンプレートも「犬とソファー」に変えてみる。
ちょっこし変えてみます(「ちょっこし」はNHK連ドラ『ゲゲゲの女房』より)。

合気道に少し興味があり、内田樹の『私の身体は頭がいい』(文春文庫)を読んだ。
内田樹の本はかなり読んでいるので、新たな発見のようなものはなかった。
『日本辺境論』のなかでも、私という概念の書き換えのことや「無敵」について語っていたが、同じようなことを言っていた。
周りが敵ばかりだと感じるとすればそれは、敵か味方かで世間を判断しているせいであるということはあるだろう。例えば飲食する時に甘いか辛いかでしか判断しなければ、世の中の食べ物はすべて「甘いもの」と「辛いもの」のどちらかしかなくなる。そのようなことがある。
合気道が、相手と自分とを分けて考えず、「複素的身体」としてひとつのものとして考えるというところがおもしろいところだと思う。剣を持つときも馬に乗るときも、それを道具としてとらえるのではなく、自分の身体としてとらえるという発想がこの本のおもしろいところだと思う。

NHK大河ドラマ「龍馬伝」にだんだんと興味がなくなってきた。脚本のせいかなあ。
大河ドラマを見始めて今年で三年目だがそろそろ飽きたのかも。
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☆ヒッチコック監督「引き裂かれたカーテン」、聖書

2010年05月15日 01時12分59秒 | 映画
ずいぶん前に録画していたヒッチコックの映画「引き裂かれたカーテン」を見た。
東ドイツに、(なぜだかよくわからないけれど)潜入したポール・ニューマンが、(なぜだかよくわからないけれど)彼について来たジュリー・アンドリュースとともに脱出しようとする話だった。
何度も何度も迫る敵から逃れるのを繰り返す映画だった。
どういう理由で、なにが目的なのかよくわからなくても、東ドイツの教授からどんな数式を引き出したのかよくわからなくても、なんか逃げているんだなあということさえ分かれば楽しめる映画だった。
バスで逃げるときに「アメリカ人のせいで絶対に捕まる」と言いたてる女と、郵便局に連れて行ってあげようという身元引受人目当てのおばさんと、最初の飛行機でいっしょだった女優(ダンサー?)の三人が強烈な印象を残す映画だった。
ひさしぶりにヒッチコックを見たが、やはり力があるなあと思った。

吉本隆明の講演「喩としての聖書」(「語りの海 吉本隆明3」所収)を読み、新約聖書の「マルコの福音書」を読んだ。
吉本隆明は、偉い人が偉い人であることができるのは家族のそばにいないときだけだ、親族のそばにいると「あいつは大工の倅だよ」と言われておしまいだ、という思想を新約聖書が語っているところがすごい、というようなことを(大雑把にまとめると)言っていた。
「マルコの福音書」を読むと確かにその場面は出てきたが、その場面に僕は何の関心も持たなかった。吉本隆明が当時詩人としてか思想家としてか活躍していたときでも、実家に帰ると「テメエなんか偉そうに言ってるけど、結局はあそこんとこの小僧じゃねえか」と言われたようなことがあったのかもしれないと思わせる。
そのようなことって、まああるだろうなあ。
遠藤周作の「イエスの生涯」を読むと、イエスは無力で何の奇跡も起こさなかったという印象だったのだけれど、「マルコの福音書」では最初っから最後まで奇跡奇跡のオンパレードだった。奇跡を起こしていないときの方が少ない。奇跡を起こしては「みんなには内緒ね」と言って立ち去る。
聖書に何を読むかというのはほんとうに人それぞれだと思った。
遠藤周作について特に思うわけじゃなく、あまり自分の思い込みを投影するだけの読書はしたくないものだなと最近考えている。自分を消してそっちに移る、という才能ある女優のような本の読み方をしたいものだと考えている。
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