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☆復習と予習

2009年10月31日 00時43分12秒 | 文学
そういえばこの間本屋に立ち寄ったときに小島信夫の本が文庫になっていて、大江健三郎を読んでいて面白いし小島信夫も似たテイストのものを書くのじゃなかったっけと思い文庫を手にとって小島信夫が死んでいることを知った。そうか、2006年に死んだんだ。
全く知らなかった。
「抱擁家族」って全然面白さが分からなかったけれど、江藤淳の「成熟と喪失」を読むためだけに読んだな。

大江健三郎の「取り替え子」のおさらいとして、また続編「憂い顔の童子」の予習として、アマゾンから送られてきた加藤典洋の「小説の未来」(朝日新聞社)を読んでいる。
この本は、
村上春樹「スプートニクの恋人」
村上龍「希望の国のエクソダス」
川上弘美「センセイの鞄」
保坂和志「季節の記憶」
江國香織「流しのしたの骨」
大江健三郎「取り替え子」
高橋源一郎「日本文学盛衰史」
阿部和重「ニッポニアニッポン」
伊藤比呂美「ラニーニャ」
町田康「くっすん大黒」
金井美恵子「噂の娘」
吉本ばなな「アムリタ」
が取り上げられている。
このなかで読んだことがあるのは、「スプートニクの恋人」と「センセイの鞄」と「流しのしたの骨」と「取り替え子」と「アムリタ」。
「取り替え子」のところまで読んだ。

「スプートニクの恋人」のところで、すみれがミュウに囁くがミュウには聞き取れないという場面があり、それが「お母さん」だったのではないかという加藤典洋の読みが素晴らしいと思った。
実はこの場面について全く憶えていないのだけれど、はぁそうだろうな、「お母さん」だろうな、そうじゃなきゃな、と思った。
これはいつか加藤典洋の別の本を読んだときに、カミュの「異邦人」について、語り手は何も言わないけれど彼が最も言いたかったのは母親のことが好きだということだ、というのを読んでとても感動したのに似ている。
加藤典洋のこういうところは素晴らしい。

さて、この本の「取り替え子」についての部分を読んだので、「憂い顔の童子」に取り掛かろうか。
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☆大江健三郎「取り替え子(チェンジリング)」感想

2009年10月30日 00時39分37秒 | 文学
取り替え子(チェンジリング) (講談社文庫)大江健三郎の「取り替え子(チェンジリング)」(講談社文庫)読了。
古義人の妻の千樫を主人公にした終章は、あまりに文学的すぎてそれほど愉しめなかったけれど、全体としてはとてもおもしろい小説だった。知的で文学的な小説が読みたかったのでぴったしの選択だった。
いつもはあまり読まないのだが、沼野充義の書いている解説も読んでみる。
小説に登場する”アレ”について大変ぼやかして書いているけれど、沼野充義は本当に”アレ”が何なのか分かっているのだろうか。非常に疑わしい。
なぜなら僕には”アレ”が何のことなのかよく分かっていないから。
自分が分かっていないことを人が曖昧に語る時、その人も分かっていないのだろうと考えてしまう。悪い癖だ。

曖昧に書かずに僕に分かったことをここではっきりと書き残しておく。(この小説は三部作の最初であるから、今後のこともあるので。)
吾良の遺したシナリオは二つ存在し、そのひとつはアメリカ人のピーターが吾良ではなくほかの四人の男女と性的なことをおこなって、吾良は何もされずに帰される。もうひとつのシナリオはアメリカ人のピーターがみんなにリンチに遭う(殺されたのかもしれない)。
このどちらか、または両方のことを”アレ”と呼んでいるのだろうか。
それともこれは吾良が書いたシナリオであるので本当に起こったのは別のことで、吾良が曖昧にしたかったアメリカ人のピーターに犯されたというようなことを、”アレ”と呼んでいるのだろうか。
いまのところ考えられるのはそんなところです。
太平洋戦争のあとに日本がアメリカに占領された七年間の終わりごろが話の中心となるのだけれど、そこで日本は向こう側にさらわれて、取り替え子としての別の日本となったというようなことも言いたいのだろうか。そういう日本と吾良が重なる。
そのように文学的にも僕は読んだのでした。

続編の「憂い顔の童子」で加藤典洋が実名で登場する。
これがこの三部作のもっとも惹かれるところであるので楽しみだ。
しかし解説で沼野充義が書くような感じで、間違った解答を書いて先生に叱られた生徒のように加藤典洋のことを見るのは違っていると思う。そのようなとらえかたをよくされているが違うと思う。
大江健三郎ってそんなに偉いの? と思ってしまう。確かに偉いがそんなに特権的に偉いわけじゃなかろうと思う。対等じゃないのかなあ。
これについては続編を読みながら考えてみたい。
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☆批判に耳をすます

2009年10月29日 00時12分49秒 | 文学
自分への他人の批判というのは相当に注意深くしていないと聞き逃してしまう。
これはひとによるのかもしれないけれど、私はそういう人間だ。
何度も言われて、やっとそういうことを言われていたのかと理解できる(ことがたまにある)。しかしそこまで執念深く言ってくれるのは妻ぐらいしかいない。

大江健三郎の「取り替え子」はやはり凄いものがある。毎日、おもしろい、おもしろくない、と言うことが変わるが、やはり全体を通せばおもしろい。
吾良(伊丹十三がモデル)に、これまで大江健三郎の小説に対して言われてきたすべての批判を言わせる。
《ところが古義人はさ、考えてみれば驚くべきことだが、この三十年ほども、読者のことを考えて主題と書き方を選んだ形跡がない!》(220頁)
《きみが理解しなければならないのは、いま書いている小説を出版する時、本屋に来る読者はひとつ面白そうな小説を探しているのであって、古義人の新作をあてにしてはいないということだ。古義人の全作品を読んで、次作を待ちかまえている読者など、あったとしても稀少例だよ。》(221頁)
こんなことを平気な顔して(わかんないけど)言わせている大江健三郎はすごい。しかも特に弁解もしていない。
なんだかすげえ小説だ。
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☆「爆笑問題のニッポンの教養」を見た

2009年10月28日 00時45分17秒 | テレビ
ついこの間著書「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」を読んだ加藤陽子が出演するのでNHKの「爆笑問題のニッポンの教養」を見た。
この番組はこれまでも数回見たことがあるけれど、太田光がずっとしゃべっている。そんなに太田光の話を聞きたいわけじゃなくてゲストの話が聞きたいといつも思ってしまう。
太田光の話って、酔っぱらったときの大学のまじめな先輩が話してる雰囲気がして、結構退屈なんだな。もう少しゲストの話をきちんと聞いたほうがいい番組になると思う。
その旨をもうすこしやんわりとした表現で、番組モニターとしてNHKにレポートする。

大江健三郎の「取り替え子」は、以前読んだ時も思ったが”大黄(だいおう)さん”が登場するあたりでおもしろくなくなる。
「またあの、四国の森の話ですか!」と大江健三郎の登場人物のモノマネをして言ってみたくもなる。
もう四国の森の神話は勘弁してほしい。正直めんどくさい。
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☆チェンジリング始めました

2009年10月27日 00時05分24秒 | 文学
録画していた昨日の大河ドラマ「天地人」を見る。
おもしろかった。
兼続の弟の実頼(小泉孝太郎)にものすごく腹が立った。結果を考えて行動できないことは愚かであること、敵を作っているのは実は自分の柔軟でない考え方のせいであること、などおもしろい回であった。

昨日は大河ドラマを見ずにNHK教育の蜷川幸雄と養老孟司と瀬戸内寂聴のインタビューを見ていた。
蜷川幸雄はなかなかすごいと思った。結構偉い人なんだな。
養老孟司は知ってるのであんまりすごいと思わなかったけれど、いいこと言ってた。
瀬戸内寂聴はもう飽きたかな。

大江健三郎の「取り替え子(チェンジリング)」を読み始める。
文章に緊張感があって息が詰まる感じ。凝縮された感じで結構疲れる。
しかし相当おもしろい。
やっぱり大江健三郎は凄いよなと感じさせる。こんな小説は他では読めない。
田亀のルールとか、馬鹿らしいルールなのにそこに真剣に拘っている主人公の姿はそのまま自分の小説のルールに拘って書く作者に重なる。
ビートたけしとかおすぎを思わせる人物についての批判もあって、そういうところもおもしろい。
大江健三郎の小説には、「同時代ゲーム」を読んでいないと読んじゃいけないんじゃないかと思わせるシリーズがあって、過去の自作品の引用が多くてめんどくさいのだけれど、「取り替え子(チェンジリング)」にはそういうところがあまりなくて良い。
第二章の終りに《ウソでないことだけを、勇気を出して書いてください》と妻に言わせておいて、ここから大ウソが始まるところもおもしろい。
第三章に入ったところだが、いまのところかなり愉しめている。
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☆関川夏央「「坂の上の雲」と日本人」感想

2009年10月25日 21時40分31秒 | 文学
「坂の上の雲」と日本人 (文春文庫)関川夏央の「「坂の上の雲」と日本人」(文春文庫)を読んだ。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」はいつか最後まで読もうと思いつつ読めていないのだが、NHKがドラマを放送している三年間の間には読み終えたい。登場人物に俳優を当てはめたら読んでいけるかもしれない。
(そういえばチェーホフの「桜の園」を読んでいる時も、役者を想像して読んだほうがいいだろうなと思い、ラネーフスカヤは杉村春子で、ガーエフは北村和夫で、と考えていたら虚しくなったのでやめた。やはりチェーホフは古いという印象がどうしてもあるので想像する役者も物故者しか出てこない。今度ほんとうの舞台をNHKでやることがあれば録画して見てみたい。
昨日小林秀雄の全集のなかの「チェホフ」という、チェーホフの「桜の園」について書いてある文章を読んだ。もうちょっとチェーホフを読んでみようという気になった。)
いまだになぜ「坂の上の雲」が人気があるのかよくわかっていないのだけれど、最後まで読んで理由を知りたいもんだと思う。
関川夏央のこの本は、そんなにおもしろくなかった。やはり「坂の上の雲」を読んだ後に読むべきだったかもしれない。
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☆チェーホフ「桜の園」感想

2009年10月25日 00時40分06秒 | 文学
桜の園 (岩波文庫)これまで何度も読もうとしたことはあるけれど、読んでいなかったチェーホフの「桜の園」を読んだ。
家にちくま文庫のものはあるのだけれど、新訳があるならそのほうがよいと思い岩波文庫版を買って読む。
どこがおもしろいのかよくわからない話だった。
私は土地に対する想いというものがどうにも分からない性質らしく、おそらくそのせいで登場人物たちの桜の園への想いが理解できないのかもしれない。もしかしたら他にも感じるべきところはあるのかもしれないが、私には思い当たらない。
年をとった大学生のトロフィーモフが少しおもしろいことを語るように思ったが、ものすごくよいというほどではない。
ロシア文学はトルストイはわりと好きなほうだが、ドストエフスキーもチェーホフもよく理解できないことが多い。

「桜の園」と一緒に大江健三郎の「取り替え子」と「憂い顔の童子」も買う。
開高健のことを考えていたら大江健三郎が読みたくなった。
「取り替え子」だけは一度図書館で借りて読んだことがあるのだが、三部作(「取り替え子」「憂い顔の童子」「さようなら、私の本よ!」)の続きは読んでいない。目次を見ていると大江健三郎ってやっぱり独特だなあと思いとても興味を惹かれてしまった。
出来れば「臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ」もついでに読んでしまいたいのだけれど、文庫になっていないので文庫になったら読もう。
たまに発作的に、知的で文学的な小説を読みたくなる。
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☆加藤陽子「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」

2009年10月24日 11時54分11秒 | 文学
それでも、日本人は「戦争」を選んだ加藤陽子「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(朝日出版社)を読んだ。
日露戦争あたりまでの話はよくわかりおもしろかったのだが、日中戦争、太平洋戦争のあたりは複雑で難しかった。
学生への講義という体裁の本なのだが、学生への質問、それに対する答えも日清戦争や日露戦争のときは多く、すごい高校生がいるなと感心していたのだけれど、終わりのほうの太平洋戦争になると加藤陽子がひとりでしゃべりまくっている印象で、このとき学生はちゃんと聞いているんだろうか、退屈してないかな、と心配になった。
もっともおもしろかったのは序章で、歴史というのは学問なのだなと初めて思った。これまで僕は歴史を学問とは思っていませんでした。すみません。
しかしどういうところで感心したのか、もう忘れてしまったので、加藤陽子の、この本の序章を一冊にしたような本があれば読んでみたい。
《つまり、戦争などで外国で戦死した青年の魂は、死んだ場所死んだ時を明らかにして葬ってあげなければならない。》(390頁)
そうしないと魂はたたる、という慰霊の感覚はもう僕にはないように思う。
《引揚げ体験を元にした小説『けものたちは故郷をめざす』(新潮文庫)は傑作ですので読んでみてください。》(393頁)とあったが、安部公房「けものたちは故郷をめざす」(新潮文庫)は絶版のようだ。僕は結構本屋には行くほうだが、この本が新潮文庫の棚に並んでいるのをこれまで一度として見たことがない。
こういうのって調べといてくれると嬉しいなと思う。
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☆「ウォッチメン」感想

2009年10月23日 00時58分31秒 | 映画
ウォッチメン スペシャル・コレクターズ・エディション振り返って考えてみれば、僕はスーパーヒーローをテーマにしたアメリカ映画が好きだ。
「バットマン」も「スパイダーマン」も「Mr.インクレディブル」も「アンブレイカブル」も結構好きだ。
今回公開当時気になっていた「ウォッチメン」を見てみたがなかなかおもしろかった。しかし長いのと、暴力シーンがちょっと多いかな。最近、暴力シーンにものすごく自分が弱くなっていることに気付く。戦争映画もあまり見たくない。なんだか結構傷ついてしまう。
昔はこんなに繊細じゃなかったのだが、――いや他のところでもっと繊細であった部分もあるのだが暴力シーンに対してはなんともなかったのだが、最近はほんとうに駄目だな。おそらく「北斗の拳」など、いまではもう見られなくなっているだろう。

ベトナム戦争のシーンで、でっかいドクター・マンハッタンが歩いているシーンには笑った。
何といってもドクター・マンハッタンがすごい映画だった。
正義とは何かということを考えさせる映画、なのかと思っていたがそんなにも何かを考えさせる映画じゃなかった。
嘘の上に正義が成り立っちゃ駄目だけど成り立ってる、という話だと受け取ったが、そこに驚きを感じることが出来なかった。
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☆司馬遼太郎「城塞」中巻

2009年10月19日 23時22分44秒 | 文学
城塞 (中巻) (新潮文庫)司馬遼太郎の「城塞」中巻を読み終える。
大河ドラマ「天地人」と同様、徳川家康が魅力的だ。
建前では豊臣家の家臣でありながら、実質はまるで違うというところがおもしろい。
冬ノ陣のあと、大坂城のお堀を埋めてしまうところもおもしろかった。
引き続き下巻を読む。
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