ダブログ宣言!

ひとりでするのがブログなら、
ふたりでするのがダブログ。

清涼院流水『TOEICテスト300点から990点へ、「7つの壁」を突破するブレイクスルー英語勉強法』

2016年10月31日 22時55分06秒 | 文学
清涼院流水『TOEICテスト300点から990点へ、「7つの壁」を突破するブレイクスルー英語勉強法』(講談社)を図書館で借りて読んだ。
あまり英語の勉強のために参考になることは、(僕にとっては)書いていなかった。
このひとがTOEICテストにものすごくこだわっているということは、前に別の本を読んだときも感じたが、今回も思った。TOEICで満点の990点を取ってもまだ試験を受け続けるのはなぜなのだろう。まったく理解できない。
年齢は私と同じなのだが、まるで大学生が書いたような本だなという印象を受けた。クセのあるひとなのだろうなということが文章からよくわかる。いっしょにいると疲れそうな気がする。これ以上書くと悪口になってしまいそうなので(もう充分なっている)、このくらいでやめるが、どんな感じの小説を書くのかほんのちょっと興味を惹かれる。

満点を取っても試験を受け続けることについて、
《TOEICを1度も受けたことがない方でも、「20回連続で全問正解できる人」と、「20回受けて1度だけ数問ミスの990点を獲得できた人」のあいだには実力に天地の開きがあることは、容易に予想できるでしょう。》(203頁)
とあり、僕はTOEICを1度も受けたことがない方だが、まったく共感できなかった。「天地の開きがある」とまでは思わない。0点と990点には天地の開きがあると言える。ちょっとこだわりがありすぎるのだと思った。

もっと何か別の方向に行ったらいいんじゃないか、と思うが、結局英語が出来たところで何をするのかと言っても実は何もなくて、TOEICのテストを受けるくらいしか現実にはないのかなとも思う。僕自身が、英語を勉強していても何か明確な目標があるのかと言ったらない。海外旅行に行っても不便を感じないようにするとか、洋書を読むとか、そんなことしかない。

この本では『オバケの英語』を薦めていて、僕も前から気になっているのだが、発音の勉強を始めて勉強が続かなくなったという経験があり、ちょっと怖いのでもう少しいまの勉強を続けようと思う。
確かに発音は気になる。
いまはRの発音が気になっていて、最初に出てくるRはなんとなく出来るように思うが、PRETTYのようにPのあとに出てくるRはどうやって言えばいいのかわからない。ひとつひとつの発音もむずかしいが、組み合わせるとさらにむずかしいのではないか、しかも口の動かし方が違うのではないか、と思っている。もっともっと気になりだしたら発音の勉強をすることとする。
コメント

チェーホフ「ワーニャ伯父さん」、村上春樹「イエスタデイ」

2016年10月30日 22時39分28秒 | 文学
チェーホフ「ワーニャ伯父さん」(浦雅春訳)を再読。
誰かは誰かのことが好きで、その誰かは別の誰かのことが好きという話になっている。

セレブリャコフ ← エレーナ ← ワーニャ
            ↑ アーストロフ ← ソーニャ

村上春樹は「ドライブ・マイ・カー」のなかで、家福をワーニャに、みさきをソーニャに一応なぞらえているように思う。誰かを好きだけれど、誰かに好きになられてはいないひとたち。
そうだとしても、何かが分かったようには思わない。「ドライブ・マイ・カー」も「ワーニャ伯父さん」も。
「ドライブ・マイ・カー」はテーマの一つとして、ひとを懲らしめようとしたけれどしなかった、ということがあると思う。いま思うのはそのくらい。

引き続き、村上春樹の「イエスタデイ」(『女のいない男たち』所収)を読む。
村上春樹はビートルズを題材にするとどうしても、この話をしてしまうのかもしれない。僕にはどうしても『ノルウェイの森』を思わせた。
関西弁をしゃべる東京出身者と、標準語をしゃべる関西出身者というのがおもしろいなとは思ったけれど、あとはほんとうに『ノルウェイの森』だったな。
語り手の見たウディー・アレンの映画が何なのか気になるように書かれているが、『アニー・ホール』ではないかと思っている。
もしかすると村上春樹はこの短編集を、何かを見てその影響でひとつひとつの作品を作り上げるというようなことをやっているのではないかと妄想する。「ワーニャ伯父さん」から「ドライブ・マイ・カー」を、『アニー・ホール』から「イエスタデイ」を、というように。しかし、村上春樹の作品では過去の芸術作品に言及されるのは日常茶飯事なので、そういうつもりはないのかもしれない。
コメント

村上春樹「ドライブ・マイ・カー」

2016年10月29日 23時28分55秒 | 文学
村上春樹の『女のいない男たち』(文春文庫)に収録されている最初の短編小説「ドライブ・マイ・カー」を読む。
舞台俳優と運転のすこぶるうまい若い女の話で、いったい何が行われたのか僕には明解に言葉にすることができない。
舞台俳優は、死んだ妻と肉体関係のあったと思われる自分より年下の役者といっしょに何度か酒を飲んだ話をする。
「この作品で作者の言いたかったことは何でしょうか。25字以内で書きなさい。」と言われても僕は試験終了まで一字も書くことはできないだろうと思う。
作中では『ヴァーニャ伯父』と呼ばれる『ワーニャ伯父さん』ってどんな話だったかすっかり忘れてしまっているので読んでおこうと思った。チェーホフの話はなぜだか覚えることが出来ない。
コメント

トルストイ『戦争と平和(二)』

2016年10月29日 22時00分46秒 | 文学
トルストイ『戦争と平和(二)』(新潮文庫)を読んだ。
アンドレイと婚約中のナターシャが、アナトーリ・クラーギンのことが好きになり、危うく誘拐(駆け落ち?)されそうになるがマーリヤ・ドミートリエヴナに気付かれて止められる。しかしアンドレイとの婚約は解消される。アンドレイの友人であり、アナトーリの義弟でもあるピエールがアンドレイの家とナターシャの家を訪問する、というあたりまでの話だった。
読むときは非常に惹き込まれるのでおもしろいのだろう。
しかしあまりに時間をかけて読み過ぎている。後半はもっと早く読みたい。
コメント

チップ・ハース&ダン・ハース『スイッチ!』

2016年10月29日 20時59分42秒 | 文学
チップ・ハース&ダン・ハース『スイッチ!』(早川書房)を図書館で借りて読んだ。勝間和代の『最後の英語やり直し!』に出て来て興味を持ったので読んだ。
とてもおもしろい本だったので、文庫を買おうかとも思うくらいだが、もう一度あの長いエピソードを読むのかというと読まないなと思う。
エピソードがたくさんありおもしろいのだが、実際に役に立つフレーズは用紙一枚に収まる程度のような気がする。
・人間の問題に見えても、実は環境の問題であることが多い。
・セルフコントロールは消耗資源である。
・上手くいかない中で上手くいっている例外=ブライト・スポットを見つけたら他にもコピーする。
・大事な一歩の具体的な行動を考える。
・抵抗しているように見えても、実は戸惑っている場合が多い。

英語の勉強に使えそうな気がする。
象使い(理性)と象(感情)の比喩も分かりやすかったと思う。いまちょうどアランの『幸福論』を読み返しているので、こういう考え方はすっきりとなじむ。
コメント

「デスノート 逆襲の天才」

2016年10月29日 00時54分51秒 | テレビ
映画の新作が公開されるので放送された「デスノート 逆襲の天才」をテレビで見る。昔の映画の総集編になっていた。まとめ過ぎていて見ていないひとにはなんにもおもしろくないものだろうけれど、僕にはおもしろかった。
松山ケンイチのLのしゃべりかたがとても懐かしかったそれで、
公開される映画も見たくなった。(松山ケンイチのLっぽく改行しました。)
テレビで放送されるときは必ず見ようと思う。
新作映画の宣伝であったので新作に出演する池松壮亮も出ていて、このひとの出ている『バクマン。』を見たいと思いながら見ていないなと思ったけれど、あちらは染谷将太だった。
だんだん誰がだれだかよく分からなくなって来つつある。
今回テレビを見ていて、夜神月(藤原竜也)の妹役を満島ひかりがやっていたのを知った。たくさんのひとがデスノートに書かれて芸能界から消えていったけれど、満島ひかりはとっても成長したのだな。
コメント

村上春樹『職業としての小説家』

2016年10月23日 23時56分24秒 | 文学
テレビで自動車のCMを見てその音楽を聴き、これはいい、と思い、Suchmos(サチモス)というバンドに興味を持つ。
Youtubeで見てもとてもいいと思ったので近所のレンタルショップへ行き、CDを探すが見つからなかった。まだ早かったのかもしれない。しかし、いずれどこのレンタルショップでも借りられるようになるだろう。それまで待つ。買って聴いてもいいけれど、買って聴くほどかというとまだ迷うところがある。
本人たちがジャミロクワイが好きだと言うだけあり、確かに影響を受けたのだろうと思う(僕も流行った当時は相当にジャミロクワイを聴いていた)が、CMを聴いたときはMonkey Majikに聴こえた。
もう新しいものを聴いてもかつて聴いた何かに似ていると思い、そのノスタルジーに浸るために聴いているところがある。

娘(四歳)があやとりの本を買って(もちろんお金は親が払うのだが)、練習しているので僕も「ぱんぱんほうき」と「バッタ」を練習し、出来るようになった。こどもの成長しようとする姿勢は凄まじいものがあり、なんだか励まされる。

村上春樹『職業としての小説家』(新潮文庫)を読んだ。
本が溜まっているので読んだ。
第四回、第五回あたりまでとてもおもしろく読んだ。
《「自分が何を求めているか?」というよりはむしろ「何かを求めていない自分とはそもそもどんなものか?」ということを、そのような姿を、頭の中でヴィジュアライズしてみるといいかもしれません。》(112頁)
というところがもっとも印象に残った。
第十一回の、自分が海外でどれだけ評価されているかの文章は、こんなことを書くのだな、と思った。で、僕の勝手な印象では村上春樹はあまりこういうことを書かないひとだと思っていた。ちょっと意外だった。
第三回の芥川賞について書いてあるところを読むと、ノーベル文学賞なんかどうでもいいよ、と(はっきりとは書いていないが)そんな印象に読めたのだが、第十一回を読むともしかするとかなり気になっているのかもしれないなと思った。
コメント

「プロフェッショナル 仕事の流儀」皆川明

2016年10月20日 01時50分43秒 | テレビ
デザイナーの皆川明というひとで、知らない人だが気になったのでNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」を録画して見る。
とてもおもしろく見た。
このひとの作る服にはあまり惹かれなかったけれど、苦労して、きちんと自分でものを考えてきたひとは普通じゃないことを言うなと思った。
今後も注目していきたいひとだった。
コメント

片岡義男『と、彼女は言った』

2016年10月15日 13時03分29秒 | 文学
片岡義男『と、彼女は言った』(講談社)を図書館で借りて読む。
最後の短編は、急いで読んだからかあんまりおもしろくなかったが、他の作品は退屈せずに読むことが出来た。
片岡義男は独特だなといつも思う。
何がしたいのかよく理解できないが、何かしたのだろうとは理解できる。
コメント

「SONGS」のSEKAI NO OWARI

2016年10月14日 01時25分19秒 | テレビ
一応はSEKAI NO OWARIのファンのつもりなので(しかしファンと言うと、コンサートに行ったりファンクラブに入っていたりするひとを言うのであればそうではないので「好意を持って見守っている」とでも言ったほうがいいかもしれない)、NHKの「SONGS」のSEKAI NO OWARIの放送を見る。
「RPG」と「Dragon Night」を歌っているのを聴くが、やはりあまりいいと思わない。
「RPG」と「Dragon Night」があんまり好きではないからかもしれないが、SEKAI NO OWARIはテレビで聴くといつもあまりよくない気がする。
新曲の「Hey Ho」もテレビ番組のあれやこれやで三回くらい聴くが、そんなにいいと思わない。
たぶん、テレビにはテレビの歌い方のようなものがあって、それがこのバンドのヴォーカルにはまだ身に付いていないのではないかなという気がする。身に付けられるような種類の技術なのかもよくわからない。
ミュージックビデオの良さがテレビでもっと出たらなと思う。

でもやはり今後も好意を持って見守っていきたい。「RPG」と「Dragon Night」以外の曲をテレビで歌うことがあれば是非見たい。
コメント