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☆町田康の本を読みたいのですが、おすすめを教えてください。

2008年05月31日 00時25分15秒 | 文学
まるで「教えて!goo」のようなタイトルにしてしまった。
何か簡単なものを読みたいという欲望が収まらず、町田康でも読みたいな、と思っている。思ってるが実行するかどうかは分からない。
町田康は一度「告白」の最初の部分を本屋で立ち読みして「すげえ!」(木村拓哉ふうに読んでね)と思い、文庫化を待っていた。そして、文庫化されたのは知っているが未だに読んでいない。いま読むには長すぎるかなあ、と。それにあの文庫は手が疲れそうなほど分厚い。文庫をどんだけ分厚くしても「あり」にしてしまった責任は京極夏彦か笠井潔のどちらかにあると考えている。しかし、この際それはどうでもいい。
「パンク侍、斬られて候」も気になっているが、これも長いな。
エッセイ集か、短編集か、長編でも話がわりとブツ切れのもので、読みやすくていいものがないかな。

町田康の印象は、僕の知っている範囲で言えば「筒井康隆系統のひと」なのだが、同じく筒井康隆系統に属すると思われる川上未映子には全く興味を惹かれない。
これはマスコミに登場しすぎる人を馬鹿だと断定してしまうという私の宿痾に原因があるのだろう。
彼女が椎名桜子か吉本ばななか、まだ判断しかねている状態です。というか、判断する必要も感じていない状態です。

今日はテレビを見ていた。
マルーン5のライブを見た。
最初のアルバムしか聴いてなかったのだが、二枚目のアルバムも今度聞いてみよう。最初のアルバムは、確か映画「恋愛適齢期」の挿入歌に使われていたのを気に入って、聴いていたのだった。
あとは森三中のレコーディング・ダイエットとエド・はるみのグーダンスをちょっと見て、赤塚不二夫の番組も見た。(結局NHKに戻ってしまう。)
赤塚不二夫がさいとう・たかをであり、サルバドール・ダリのようであったということを知った。(つまりプロダクションを作り、自分をギャグにした。)
年老いて以降しか知らないと、若い頃凄かったと言われてもあまりうまく想像できないことがよくある。
ほかには、
岡本太郎
黒澤明
横山やすし
かな。
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☆フッサール「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」読みました

2008年05月30日 01時27分46秒 | 文学
誰のせいでもなく、自分のせいなんだけど、いつの間にか読む本が難しい本”だけ”になっている。
今読んでいるのは、プルーストの「失われた時を求めて」と、フッサールの「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」と、小林秀雄のベルクソン論「感想」だ。
うーん。どう考えてもやりすぎだ。
いちばん簡単な本がプルーストというのはおかしい。
どんどん純粋なものに向かって最終的に破滅に至る革命家集団のようになっている。これは、いかん。
だいたい三冊も同時に読むってのもどうかと思う。
ちょっと考えよう。
プルーストが終わるまでは長い小説を読まないようにしたいので、司馬遼太郎は読めないし、だったらプルーストだけ読んでればいいじゃんって話だけど、そうもいかない。
昔からなんだけど、長編小説を読んでいると、どうしても「終わり」を感じたくなってなんでもいいから短いものを読んで「ああ、読み終わった」って気分を味わいたくなる。
「箸休め」みたいなものだろうか。
つまり今は「箸休め」にさらに「箸休め」が必要になっている状態だ。

読んでいるのがもう一作品あった。
朝日新聞連載の、島田雅彦の「徒然王子」も読んでいるのでした。すっかり忘れていた。
これはどうなんだろう。全く面白さを感じられないんだけど。どのように読んだらいいのか皆目わからない。
新聞の連載小説を読むのは難しい。これまで読んで面白かったものがない。
長嶋有の、麻雀とか競馬とかサイコロとかを題材にしている、たまにざっと読むと全く不可解なもうひとつの小説のほうにいまでは惹かれてしまう。
次は幕末ものか高校野球ものかクラシック音楽ものをやってくれないかな。絶対読むぞ。

というわけでフッサールの「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」(中公文庫)を読み終えた。
これまでフッサールは「厳密な学としての哲学」と「デカルト的省察」を読んで、三冊目なのだが、どうもなんだかしっくりこない。
全部概説を読んでいるような気分で、なんかガツンとくるものがないんだな。
言っていることはわかるのだが(たぶん)、このわかるってのが微妙で、ベルクソンと竹田青嗣の言っていることから類推して、「ああたぶんこのことを言っているんだろう」と思っているわけです。
ぜんぜんフッサールに説得されてる気がしない。
ただ、「志向性」というのが、ああそうか、だった。何が「ああそうか」なんだかこれではわからないが、とにかく「ああそうか」と思いました。そのうち整理がつけば書きます。
やっぱりフッサールは「イデーン」なんだろうか。
馬鹿高い「イデーン」二冊も大学生の頃に買って家にあるので読んでみようか。今では絶対に買わないくらい高い本だ。
ヘーゲルの「精神現象学」も高いのに買ってる。

今後の計画。
ヘーゲル「精神現象学」(作品社)
フッサール「イデーン」(みすず書房)
ハイデガー「存在と時間」(ちくま学芸文庫)
以上、三冊を小林秀雄が終わった後に、のんびりと読む。

しかし、どっちにしてもやりすぎてるな。
お断りしておきますが、私はごくごく普通のサラリーマンです。誤解無きよう。
普通のサラリーマンがビートルズとかジミヘンとか好きでものすごく詳しかったり、ワイン通だったり、漫画好きだったり、プロ野球選手の名前をたくさん知っていたり、風俗に入れあげていたり、そういうものの一種としての読書とお考えください。
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☆「失われた時を求めて」メモ54

2008年05月29日 01時23分18秒 | 文学
プルースト「失われた時を求めて」9巻180ページまで。

・たまにものすごく読みにくいときがある。
下手なんじゃねえの? って疑ってしまう。もちろんプルーストが下手ってことはないんだけど(たぶん)。
しかし、恋愛のあーでもないこーでもないを書いているときはほんとに読みにくい。
これは僕の気質の問題もあるだろう。
・語り手が、これまでぜんぜん自分とは似てないと思っていた家族に似ていると気付く。
僕にはまだあまり経験がないが、いつの間にか父親に似てたとか、母親に似てきたとかよく言われますよね。自分に経験がないことは嘘だろうと思う癖があって、これも「ほんとかいな」と思っていますが。
・眠っているアルベルチーヌを見て過去のいろんなアルベルチーヌを思い出す。
・エメがアルベルチーヌの悪癖(ゴモラ)について何か知っているのではないかと、語り手が突然気付く。
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☆蘇える渡部篤郎 (メモ53)

2008年05月27日 20時01分03秒 | 文学
NHKのBS2で来月放送する映画をチェックしていたら、角川映画をするらしく心動かされる。
今見ると安っぽいだろうな、とか、大林宣彦の特撮って嫌だろうな、とは思いながらも覚悟を決めて「時をかける少女」を見てしまうかもしれない。薬師丸ひろ子と原田知世はやはり特別な存在だ(赤面)。
松田優作主演の「蘇える金狼」も放送予定だった。写真とあらすじが載っていた。
これまで(というか第一回しか見ていないけど)、テレビドラマ「CHANGE」でなぜ木村拓哉がパーマをかけているのか、その意図がわからなかったのだが、あれは松田優作の真似なんだろう、と思った。
「蘇える金狼」の主人公の名前が朝倉哲也で、「CHANGE」の主人公が朝倉啓太なのも偶然じゃないんだろう。
こんなことはどこででも言われていることかもしれないが、ドラマ「CHANGE」にまったく興味がないので調べてない。
しかし松田優作ってそんなに凄いのだろうか。ほとんど見たことがないんだけど。凄い凄いって言われすぎてるんじゃないかなあ。渡部篤郎のモノマネしてるようにしか見えんし。
僕は断然高倉健のほうが好きだ。

プルースト「失われた時を求めて」9巻102ページまで。
・とうとう「囚われの女」。ここまでくればあとはしめたもの、って第一巻に訳者が書いていたから恐らくしめたものなんだろう。
・夫人がドレーフュス派だという噂により、ゲルマント公爵はジョッキー・クラブの会長になれない。
何度も出てくるドレーフュス事件だが、いまいちどんな事件だかつかめないんだよね。
・シャルリュス、モレル、ジュピヤンの関係。
ジュピヤンの姪とモレルは婚約者の関係。シャルリュスとモレルはゲイ関係。シャルリュスとジュピヤンもゲイ関係。
へんな関係だ。
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☆「失われた時を求めて」メモ52 (「ソドムとゴモラ」読了)

2008年05月25日 02時45分53秒 | 文学
失われた時を求めて〈8〉第四篇 ソドムとゴモラ〈2〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)プルースト「失われた時を求めて」8巻読了。
・「ソドムとゴモラ」終わり。
・アルベルチーヌは、ヴァントゥイユ嬢とその女友達と親しいということを語り手に伝える。
語り手は、ヴァントゥイユが死んだあとに、ヴァントゥイユ嬢が父の写真の前で女友達と戯れている姿を覗き見たことがあるので、アルベルチーヌも彼女たちとそのような行為を行っているだろうと確信する。
ヴァントゥイユ嬢とその女友達の場面はかなり強烈に印象に残っている場面です。
・パリでアルベルチーヌを監禁(?)することにする。
・母親には、アルベルチーヌと結婚することにしました、と言う。
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☆「失われた時を求めて」メモ51

2008年05月25日 00時22分44秒 | 文学
プルースト「失われた時を求めて」8巻562ページまで。

・「ソドムとゴモラ」Ⅱ-Ⅱの第三章が終わる。
・シャルリュスはモレルの気を惹くために決闘騒ぎを起こす。
立会人として呼ばれたコタールは決闘が中止になって(もともと本気じゃなかったんだけど)、残念そうにする。
・ゲルマント大公と密会しているモレルがシャルリュスに探偵されるが、周りの人間によりばれずにすむ。モレルはシャルリュスに探られていたことを知り死んだように蒼い顔をしている。
ゲルマント大公がそういう人だってことはもう出てたんだっけ?
知らなかった。
・ブリショにより地名の語源が明らかにされるが、それまで語り手のなかで培われていた地名のイメージが崩れる。語源なんて知らない方がいいのかも、という味気ない感じ。
・バルザックの話が何度か出るとバルザックが読みたくなる。
「幻滅」が気になる。
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☆判断中止

2008年05月24日 17時45分48秒 | 文学
Wiiのゲームソフト「マリオカートWii」はやるたびに腹が立って、罵詈雑言とともに電源をブチっと切って終わる。こんなゲーム二度とやるか! って。
僕にもしアメリカ人のママがいたら「そんなこと言っちゃダメよ、ボーイ」というジェスチャーで諭されそうなくらい、ひどいことを言ってる。
やっとドリフトの意味が分かりかけてきた。

この間自転車に乗っていて、「ゴゴゴゴゴーッ」って音がして、見上げると飛行機が飛んでいた。
それで、ああそうか、と思ったことがある。
この場面で、飛行機を見上げたあとに、隣からラジカセを持った少年が登場したら、この「ゴゴゴゴゴーッ」はラジカセからの大音響なのかも、と一瞬迷うと思う。
つまり飛行機があって、飛んでいるから私たちに「ゴゴゴゴゴーッ」が届いているように思うのだが、私たちに現れる順序としては、初めに「ゴゴゴゴゴーッ」があって、そして飛行機の画像があって、そして飛行機という轟音を出して飛んでいる物体がいる、と思うわけでしょう。
原因と結果を逆にしている、というフッサールの本でよく言われるようなことはこういうことだろうな。
で、ここからはフッサールの悪口なんだけど、とにかく前置きが長すぎるよ、このおじさん。
「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」ってタイトルも長いけど、本も長くて600ページくらいあるんだけど、半分くらいまでは自分がこれからやることの素晴らしさの前置きっぽかったな。
「俺はやるぞ、やってやる、すごいぞー、だってこれまでの人たちぜんぜん駄目だもん、俺はやる、これからやることはすごい、でもその前に……」というようなことが半分くらい続いた。(私の言うことは半分くらいは嘘ですよ。)
やっと超越論的判断中止のお話になった。
でもまあ、これまで読んだフッサールの本の中ではもっとも判りやすい本です。

本屋で内田樹の「レヴィナスと愛の現象学」の最初のところを立ち読みする。
「周知のように」というような言葉で書き始められた部分が、読んでて全く理解できない場合は、自分に宛てて書かれた本ではないので読まない、という部分に深く共感する。しかし、この方式でいくと、江藤淳の本は八割方読めないのではないかと危惧する。江藤淳が「言うまでもなく」と言うとき、私には聞いたこともない話がほとんどだった。
(あ、そっか、)江藤淳の本は私に宛てられた物じゃなかったということかもしれんな。納得。
本の選び方については、吉本隆明の「自分の得意な分野のところを真っ先にめくって、ぜんぜん駄目だ、と思ったら全体を通して読む必要はない」という発言(正確な引用じゃありません)とともに参考にしていこう。
「レヴィナスと愛の現象学」は面白そうなのでそのうち図書館で借りて読もう。この本は私に宛てられていると思う。
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☆ベルグソンについて小林君と語る (メモ50)

2008年05月22日 01時28分06秒 | 文学
外国人の思想家で誰がいちばん好きかと問われたらアランなんだけど、二番目はたぶんベルクソンだろうな。フッサールではない。あとの人は知らない。知らないって別に軽蔑して「そんな奴らのことは知らない、眼中にない」と言っているわけじゃなくてほんとうに知らないだけです。
で、読もうかどうしようか迷っていたのだが、やっぱり読むことにして小林秀雄の「感想」を買って読んでいる。
「感想」は小林秀雄による未完のベルクソン論(小林秀雄ふうに言うとベルソン論)で、まだ最初だけどおもしろい。ベルクソンについてエッセイみたいにして語っているからたいへん読みやすい。
僕の周りにベルクソンについて語り合ってくれる人はいないので、そういうことって単純に愉しい。
これまでそんなふうに感じたことはなくて、逆説的な文章という印象しかなかったのだが、小林秀雄の文章も久しぶりに読むと、いい。
「ああ、そうだよね、ベルクソンっていいよね」といった感じで読んでいる。
淀川長治が黒澤明について語っているのを聞いている感じ。

プルースト「失われた時を求めて」8巻450ページまで。
・シャルリュスがゲイであることはほとんどみんな(常連の男性は全員)が知っているのだけれど、シャルリュス本人はそう思ってなくて、きわどいジョークも言ったりする。周りのみんなは、わざとそれっぽい雰囲気のことを言わせて楽しんでいる。
そのうち、シャルリュスに大波乱が訪れることがほのめかされる。
・シャルリュスがバルザックの「人間喜劇」のどれかを読んでいたことから、バルザックの話になる。
バルザックの小説はあまり読んでないからよく分からないけど、プルーストのこういう文学オタクなところ、大好きです。文学の話になると熱が入っているのがわかる。
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☆竹田青嗣「言語的思考へ」感想

2008年05月21日 01時20分29秒 | 文学
言語的思考へ- 脱構築と現象学図書館で借りて、竹田青嗣の「言語的思考へ 脱構築と現象学」(径書房)を読んだ。
むずかしくて時間がかかった。
フッサールの入門書のようなものを期待していたのだが、そんな生易しいものじゃなかった。
やさしい言葉で難しい内容を語るというのが最近の文学の理想のようによく言われるが、この本は、難しい用語を使ってやさしそうに語る本だった。言っている内容が追えないほど難しくはないのだが(竹田青嗣なのでそこまで難解ではない)、しかし読むのにくたびれる。
竹田青嗣って普段しゃべるときもこんなに哲学用語が使いこなせるのだろうか。なんとなく使いこなせるだろうと思わせるくらい自然に使っていた。おそろしい。

言語の一般性と固有性の話はたいへんおもしろかった。
吉本隆明の指示表出と自己表出という概念ってなんだかよくわかんなかったけど、竹田青嗣は上手に語っている。
言葉を読むとき、その向こうに書いた人を想定してしまう。そして意味を受け取る。
しかし、そのように考えず、誰かから発せられたものではなく、一般的な言語としてとらえてしまうと意味がいろいろに取れる。しかし実際の生活ではそのようなことはない。
というような話だった。(うまくまとめられないなあ。)

最後は、形而上学批判というか、物語批判になるがこれが難しかった。
ほとんど知らない人たちの話だったので。
レヴィナスはいつか読みたいと思っているのだが、批判されていて少し気分が萎える。

引き続き、西研の「哲学的思考」を読もうかと思っていたが、疲れたのでやめるかもしれない。
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☆「失われた時を求めて」メモ49

2008年05月20日 01時43分09秒 | 文学
クリストフ・バラティエ監督の「コーラス」は妻も気に入って、DVDを購入した。
これまで購入した映画のDVDは、岩井俊二監督の「花とアリス」に続いて二本目。めったに買わない。
DVDを買うかどうかの決め手はやはり特典映像だなあ。

プルースト「失われた時を求めて」8巻404ページまで。
・モレルは語り手の自動車運転手と関係があるようだ。(肉体関係?)
このあたりは話を少し先取りしているようで今後詳しく語られる模様。
しかしすぐに忘れそうなので、きちんと書いておく。
語り手の運転手は、シャルリュスの運転手もしている。
しかし、シャルリュスからもらっている賃金より少なく会社に報告しているために、あまり仕事をしていないと会社に思われてパリに呼び戻されそうになる。
モレルは運転手がパリに戻るのが嫌なので、ヴェルデュラン家の運転手にしようと画策する。
ヴェルデュラン家では馬車を使っているのだが、馭者の悪口を広めたり、馬車からものを盗んだりして、失業させる。
そしてヴェルデュラン家の運転手に就任する。
その後、再び語り手の運転手になるらしい。
この運転手はアルベルチーヌとも関係をもっているのではないか、と匂わせるようなことが書かれていた。
・モレルは矛盾した人物として描かれる。
まあ、しかし人間というのはだいたい矛盾している。
・飛行機が飛んでいるのを見て語り手が感動する。
自動車とか飛行機とか時代が変わっていっているな。
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