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チェーホフ『かわいい女・犬を連れた奥さん』

2019年05月30日 21時56分28秒 | 文学
レイモンド・カーヴァーの短篇集をあらかた読んでしまったので自然な流れでチェーホフを読むことにする。
『かわいい女・犬を連れた奥さん』(新潮文庫)を読む。

「中二階のある家」
画家がある家族と知り合いになり、そこの家の次女と仲良くなるが、印象に残るのは長女のほうで、長女と画家は意見が合わないのだが、そういう意見の対立の会話が詳しく描かれる。
読み方がよく分からないのだが、結局この画家は妹ではなく姉のほうに惹かれていたということを、そうは書かずに表現しているという話なのだろうか。

「イオーヌイチ」
昔好きだったけど降られた女に数年後に合うと、なんだか昔の美しさが失われたようで、でも向うからは自分にアタックしてくる。そういう話。

「往診中の出来事」
リーザという工場経営者の娘のところに往診に行く医者の話。
リーザは病気でもないのに、過保護に育てられてベッドに横になっている。夜もいろいろ考えて眠れない。
リーザもリーザの母親も工場の人たちも幸せではないのに、家庭教師の女だけが幸せそうに料理を食べて酒を飲む。工場は家庭教師の女を幸せにするために存在するのだろうか。
そんな話。

「かわいい女」
以前も読んで強く印象に残っている。
女が、付き合う男に影響されて自分の意見をどんどん変える。演出家と結婚すれば芝居が第一、材木屋と結婚すれば経営が第一で芝居などを見る暇なんてないと公言する。

「犬を連れた奥さん」
不倫は文化だと石田純一は言っていないのだが、不倫は文学作品に描かれてきた。チェーホフも不倫を描いている。
そんなに僕にはおもしろくはなかったが、切ない感じは伝わる。

「谷間」
悪い女がいて、一家が不幸になる、というような話なのだが単純にそうとも言い切れない。
アクシーニヤは確かに悪い女で彼女のせいでみんなが不幸になるように思うが、その不幸をだいぶ遠くから描いている。
遠くから見ると不幸は不幸ではない。悪い女も不幸もただの風景、そんなことを言いたいのかも知れない。

「いいなずけ」
何が言いたいのかよくわからない。
サーシャは「生活をひっくり返せ」と言い、ナージャはその言葉に従うが、果たしてどうだったのだろう。生活をひっくり返さないほうがよかったという話なのだろうか、ひっくり返して良かったという話なのだろうか、いいとも悪いとも言えないという話なのだろうか、僕にはよくわからない。
チェーホフは僕にはまだ早かったのかもしれない。
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高橋みどりほか著『沢村貞子の献立日記』

2019年05月26日 20時26分58秒 | 文学
高橋みどりほか著『沢村貞子の献立日記』(とんぼの本)を図書館で借りて読んだ。
NHKの「365日の献立日記」という番組がテレビをつけていたらやっていたので、見るともなく見ていると興味を持った。5分間の番組なのだが、沢村貞子の献立日記をフードスタイリストの飯島奈美が作るという番組。料理をきちんと作る映像はいつでも見ていられる。
それでもちろん沢村貞子の『わたしの献立日記』にも興味を持ち書店で確認したのだけれど、献立の表に載っているのが大部分な本なので「これをとても最初から最後まで読んではいられない」と思い、ひとまずと思いこの本を図書館で借りて読む。
沢村貞子は女優なのにエッセイが上手というのは昔から聞いていたのだけれど、実際に読んでみようと思ったことはなかったのだが、これを機会に何か読みやすいものを読んでみてもよいかもしれない。
ただなんとなく、沢村貞子を読むのなら幸田文の未読のものを読んだほうがいいのかなとも思う。
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ヘミングウェイ『蝶々と戦車・何を見ても何かを思いだす ヘミングウェイ全短編3』

2019年05月23日 23時30分05秒 | 文学
ヘミングウェイ『蝶々と戦車・何を見ても何かを思いだす ヘミングウェイ全短編3』(新潮文庫)を読んだ。
そろそろヘミングウェイがおもしろいんじゃないかと勝手に思って、短篇集を読んでみたけれどあまりおもしろくなかった。
戦場の話が多かった。
「何を見ても何かを思いだす」という、よくできる息子の話が一番おもしろかったかな。
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片岡義男『豆大福と珈琲』

2019年05月21日 22時27分07秒 | 文学
片岡義男『豆大福と珈琲』(朝日文庫)を読んだ。
片岡義男の小説は誰もこんなふうに書かないだろうというような小説だ。よそではお目にかかれない。
連作短篇集で、最後の五つ目の短篇で話が繋がる、というほどは繋がらない。
私はこんなふうに小説を書くのが上手なのです、と言われているような気がして鼻につくのだがたまに読みたくなる。
この本は単行本のときから気になっていて、一度図書館で借りたがなんとなく読まなかった。

表題作の最初の短篇でおいしそうに描かれるので気になり、そういえば僕も豆大福というものを食べたことがないなと思って、妻が買って来てくれたので夕飯の後に食べた。
おいしいが三つは食べられない。
また別の店のものも食べてみよう。
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加藤典洋逝去

2019年05月21日 22時05分07秒 | 文学
今朝の新聞で加藤典洋逝去の記事を読んで声を上げて驚いた。えっ!
ちょうど本を読んだところだったし、新刊の『9条入門』を読もうかどうしようかと迷っていたところだった。なによりも、加藤典洋は僕が一番読んでいる評論家だろう。
最初は竹田青嗣に興味があり、たくさん読んでいて、「その友だち」という感じで加藤典洋の本を読んだのだった。
竹田青嗣よりはよくわからないことを書き、あまりおもしろくないこともあったが、それでも読んできた。『言語表現法講義』が彼のなかで一番好きな本だ。
『さようなら、ゴジラたち』のなかの「戦後を戦後以後、考える」もとっても良かったと記憶している。
文学というものがどういうもので、どうやったらそばに寄れるかというようなことを学んだように思う。
たぶん書かないだろうけれど、竹田青嗣に追悼文を書いて欲しい。そしてそれを読みたいものだと思う。
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加藤典洋『どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ。 幕末・戦後・現在』

2019年05月15日 23時02分02秒 | 文学
加藤典洋『どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ。 幕末・戦後・現在』(岩波書店)を図書館で借りて読んだ。
戦後の平和が、ある意味でいい加減な部分が根っこにあって、でもそれがなければ生きない、駄目であるというような話だった。
頭でっかちになって、理屈が正しければ正しいのだと考えていると、自衛隊がいるのに軍隊を否定しているというような矛盾が受け入れられないことになるのだが、しかしそのいい加減さ(「正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい」)を一階部分に持つことで普遍性に繋がるということだった。
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石山さやか『サザンウィンドウ・サザンドア』

2019年05月14日 23時47分35秒 | 文学
ずいぶん前にテレビ番組「あさイチ」で紹介された漫画、石山さやか『サザンウィンドウ・サザンドア』(祥伝社)を図書館で借りて読む。
ある団地で起きた出来事を、連作形式で描く。
なかでも好きだったのは「3部屋目 ババアは」。若者とおせっかいなおばあさんの話を興味深く読んだ。
どの話も、何かに深く切り込んだということもなくたんたんと終わる。もう少し、深くまでやったほうがいいんではないかと思うが、そこまでは行かない感じだった。
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ハンス・ロスリング他著『FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』

2019年05月14日 21時44分53秒 | 文学
ハンス・ロスリング他著『FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』(日経BP社)を図書館で借りて読んだ。
よく書店に並んでいるのでどんなにおもしろい本なのだろうと思って読んだ。
長くて少し退屈する部分もあったが、そこそこおもしろかった。
世界に対する思い込みは、ずいぶん昔に学校で得た知識から変わっていないが、実は世の中はどんどんよくなっているので知識をアップデートする必要があるというようなそんな話だった。
それは確かにその通りだが、日本に限ってはどんどん良くなっているとは言えなくて、やはりどんどん悪くなっている。という思いも正直なところやはり拭いきれないのだが、世の中をデータから正確に見ることは必要だとは思う。
明日になれば忘れてしまいそうな感じだが、密かに肝に銘じておきたい。
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黒澤明監督『蜘蛛巣城』

2019年05月09日 22時42分02秒 | 映画
録画していた黒澤明監督『蜘蛛巣城』を観た。
村上春樹の『騎士団長殺し』を読んだあとにこの映画が観たくなった。
シェイクスピアの『マクベス』を日本の戦国時代に置き換えたというところを、オペラ『ドン・ジョバンニ』の場面を日本画で描いたという「騎士団長殺し」から連想したのかもしれない。よくわからない。
有名な映画なのだが観たことはなかった。
古い黒澤映画にありがちだが、ちょっと何言ってるか分かんなかった。字幕が必要だ。
黒澤映画が日本よりも外国でうけるのは字幕のせいではないかと昔から思っている。黒澤映画は日本映画だと思わずに洋画だと思って、DVDでは字幕か吹き替えかを選べるようにしたらいいのではないかと思う。三船敏郎の吹き替えは例えば木村拓哉とかと決めて、テレビ放送でもそのようにしていると、いつかオリジナルの三船敏郎の声で映画を見たときに違和感を感じることになるだろう。しかしそのくらいしないと若者の黒澤離れは止められないだろう。
何言ってるのか分からないのはつらい。
最後の、森が動くシーンは『もののけ姫』のイノシシの皮を被った人間が動くところを思い出した。たぶん宮崎駿は参考にしたのだろう。
もののけの予言によって自分が城主になると信じて頭がおかしくなっていく三船敏郎がすごかった。目に力がある。子どもが観たら泣くだろう。若者の黒澤離れは止められない。
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大森望・豊崎由美『村上春樹「騎士団長殺し」メッタ斬り!』

2019年05月06日 21時28分56秒 | 文学
『騎士団長殺し』を読み終えたら読もうと決めていた、大森望・豊崎由美『村上春樹「騎士団長殺し」メッタ斬り!』(河出書房新社)を図書館で借りて読んだ。
昔吉本隆明が村上春樹の小説を批評するときに(たしか『ダンス・ダンス・ダンス』とか)、批評的にあらすじを取り出して切り刻んだらぜんぜんおもしろくなくなってしまう、という意味のことを言っていてまさしくいまでもその通りだなと思いながらふたりの対談を読む。
この対談は『騎士団長殺し』だけではなく、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』についても『1Q84』についても語られているが、やはり村上春樹の小説を読み解くのは難しいのだなと感じる。
『騎士団長殺し』は褒めたいのに批判してしまったと豊崎由美が語っていたが、内容のあれやこれやを取り出して分析してしまうとアラが見えてしまうのだ。しかし読んでいるときは、次に何が起きるかというわくわく感があり、料理ができていく嬉しさがあり、絵画(文章)についての考察に感心したり、免色さんの家のディナーに呼ばれてドキドキする感じなどがあり、とても愉しい。そういうのが批評ではなかなか取り出せない。

対談はところどころ声を出して笑えるところがあり、楽しかった。
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