ダブログ宣言!

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The Secret Gardenを読む

2011年11月29日 23時18分46秒 | 文学
児童文学特集ということで、バーネットの『秘密の花園』を読んでいる。
以前に買ったままにしておいた洋書があり、英語で読んでいる。
はじめて読む本だが、たぶん名作なのだろうなと思う。
不機嫌な少女が、朝ごはんを食べたり、散歩したり、鳥の声を聞いたり、そういうことが嬉しいということを発見する物語なのだろう。(英語で読んでいるので誤読しているかもしれない。)
ご飯を食べるのが嬉しいということを書いてある小説は、無条件に素晴らしい。
とても良い小説だと思うのだが、女中や庭師が登場し彼らの台詞が読みにくい。「あなた」のことを「thee」と書いてある。「you」じゃない。辞書を引かずに読んでいるので何を言っているのかよく分からかったのだが、ふとこれは「あなた」のことじゃないか! と気付いた。英語で本を読んでいるとこういうことがある。「ウォーラー!」と叫ぶ気分だ。(ヘレン・ケラーの自伝より)
「thee」だけじゃなく、いろいろと省略するので何を言っているのかよくわからない。おそらく翻訳で読むと「おめえのことはよく知らねえけんど、おいらは」みたいな表現がされるのだろう。

全部読み終わったら翻訳で読むかもしれない。
でも思っている話と全く違っていたら悲しいので読まないほうがいいのかもしれない。
いまは、主人公が庭師と話をしたあと、庭を歩いていて緑の扉を入ったら果樹園があり、その向こうに壁に囲まれた場所があることを知るところまで読んだ。
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歯医者のこと

2011年11月28日 00時02分26秒 | 衣食住
過去の記事を検索すると、歯医者に行ったことはきちんと書いてある。
二年に一度くらいの割合で歯医者に行っている。
なのできちんと書いておかなければいけない。
この週末に歯医者に行った。歯石をとってもらいに行った。
歯医者の予約を取ろうとしたら、そこは土曜日の午前は診察しているはずなのに電話すると留守番電話だった。もう一軒別の歯医者に電話したら午後からしか開いていないしいま予約状況がわからないから後で電話すると言われた。後で電話すると言われても、行ったこともない歯医者(しかも行こうとしていた歯医者ではなくついでに電話した歯医者)に連絡先を教えるのも嫌なので、いや連絡されてもこちらも出先なので、と言って電話を切る。
僕はこういうときは「精霊が」と言っても「運命が」と言ってもいいのだが、そういう超越的なものを信じるようにしていて、今日は歯医者に行くべきではないのだな、と思いテニススクールに行った。(歯医者はテニスのあとに行くつもりで予約しようとしていた。)
しかしテニスから帰ってくるといきなり自宅に電話がかかり、夕方だったら空いてますので来てくださいと、ついでに電話した歯医者から連絡がある。連絡先を教えてなかったのに、電話番号表示で分かったんだな。しかし、掛けてくるとはやるなと思う。
「いややっぱり今日はやめました」と断ってもよかったのだが、これも何かの縁だと思い言われた時間にその歯医者に行く。
行ってみるとなかなか良い歯医者で、歯石を取るのも一回で終わった。歯医者で次回の予約をせずに一度だけで終わるなんて奇跡だ。だいたい僕は歯医者に一度行くとなかなか終わらず、自分で「もういいだろう」と思う頃に次回の予約をしながら次回行かない、ということが多い。歯医者の診察の終わりは俺が決める、と思っている。
今回行ったのは、いままででいちばん良い歯医者だった。(きちんと歯が磨けていると褒めてくれたし。)
また行きたいくらいだが、歯が悪くないのでもう行けない。診察の終わりは俺が決められるが、診察の継続は歯医者しか決められないものなのだ。
歯の裏がきれいになってとても気持ちが良い。
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ケストナー『飛ぶ教室』

2011年11月27日 23時22分25秒 | 文学
ケストナーの『飛ぶ教室』(光文社古典新訳文庫)を読んだ。
フィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』に続き二冊目の児童文学。
『飛ぶ教室』は岩波少年文庫にも入っているが一応オトナなので光文社古典新訳文庫で読んだ。大人が児童文学を読むのって、少年が少女マンガを読むのと似たような恥ずかしさがある。電車やバスでカバーもなしに読むことはできない。僕は子どものころに本を全くと言っていいほど読んでいないので、岩波少年文庫を一冊も読んだことがない。だからいい機会なので気になるものは読んでおこうと思う。
『飛ぶ教室』はタイトルは知っていたが、こんな話とは思わなかった。学校がいろいろな場所に飛んでいく話で、物語を楽しみながら歴史や地理もついでに学べるようなそんな素敵な話なのかと思っていた。ぜんぜん違った。
僕には小学校高学年になる甥がいて、おもしろいものがあったらプレゼントしようと思いながら読んでいるのだが、「これは子どもが読んでおもしろいのだろうか」といつも考えてしまう。「ギムナジウム」とか「ディクテーション・ノート」とか「ゲネプロ」とか言って分かるのかなあ。光文社古典新訳文庫は大人の本だけれど、岩波少年文庫は子ども用なのでもっと分かりやすくなっているのだろうか。他の子どもが読んでいるのなら読めないこともないか。
そもそも登場人物の名前がドイツ人なので覚えにくい。マルティンとマティアスがしばしば混乱した。
クリスマスにお金がなくて両親のところに帰れない、そしてそれを人に打ち明けることもできないという感情って、日本人の子どもに共感を得るのだろうか。難しいかもしれない。最初の、学校同士のタイマン勝負も、人質をとって縛って打っているのって、ドイツの子どもはすげえと思ってしまった。
わりとおもしろいと思ったけれど、フィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』のほうが好きだ。プレゼントするならそっちにする。
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マキアヴェッリ『君主論』

2011年11月26日 21時15分52秒 | 文学
マキアヴェッリ『君主論』(講談社学術文庫)を読んだ。
なぜこの本が名著と呼ばれるのかわからなかった。
僕には学ぶべきことがほとんど、いや全く、ない本だなと思った。
モームの『昔も今も』を先に読んでマキアヴェッリへの興味をかきたてたほうが良かったかもしれない。
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「仕事学のすすめ」大久保恒夫

2011年11月24日 23時33分07秒 | テレビ
NHKの番組「100分 de 名著」で取り上げられた本がアランの『幸福論』だったので今月は見ていたのだが、ついでにそのあとの番組「仕事学のすすめ」もおもしろくてすべて見てしまった。こちらのほうがおもしろかった。大久保恒夫というセブン&アイ・フードシステムズの社長に話を聞く番組だったが、こんな上司はいいなと思った。
どこがいいって、怒らないのがいい。
このように周りから見ると良いと思える社長のいる会社の社員は、実際のところ、社長のことをどのように思っているのかが気になった。
テレビには映っていないが怒っているのかもしれないし、きちんとした考えがあるのでめんどくさいのかもしれない。「挨拶が大事」と言い続けるらしいし。
いまのところ会社を変わる気はないのでセブン&アイには行けないのだが、だれか社内の評判を教えてくれないかしらと思う。

内田百の『御馳走帖』(中公文庫)を会社の往き帰りで読んでいる。
家では児童文学を読み、会社では老人文学を読んでいる。
内田百の食事に関するエッセイをまとめた本のようだが、なかなかおもしろい。会社の往復はこういう、「ふむふむ」言いながら読める、難しくない本が良い。内田百は美味しいものではなくていつも同じものを求める。蕎麦も酒もいつも同じものを食べる。
老人というのは偏屈でなければならぬ、と思う。

図書館で本を借りて読むことも多いのだが、この間ふと思い立って、今後は図書館で本を借りまいと思った。
図書館で借りて読んだ本というのは大体において記憶に残ってやしないのではないかという気がした。
やはり、自分で働いてお金を稼いで本屋さんに行って選んで財布からお金を出して本を買ってお釣りをもらう、という行為が実はとても大切なことなのではないかという気がした。
そして自分の財布で買える程度と量の本を読んで、思想を育てるということも大切な気がする。図書館で借りると手を広げ過ぎてよくない。本も思想も借りものはいけない。
なにごとも身銭を切らないと身につかないという仮説を一度信じてみる。
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フィリパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』

2011年11月23日 08時38分51秒 | 文学
大江健三郎の『読む人間』を読んで気になった、フィリパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』(岩波少年文庫)を読んだ。
とてもおもしろかった。
児童文学を子どものころに読んでいない。有名なものは読んでみるべきだと思った。
トムにとってはハティが幽霊のような存在なのに対して、ハティにとってもトムが幽霊のような存在であるというところに感心した。
それから甥っ子が家に遊びに来た時の、子どものいない夫婦の感じがよく出ているのではないかと思った。おばさんは甥がまだここに居たいと言うと非常に喜んだり、おじさんは子どもにどう接していいのかよく分からなかったり、というところが、自分の経験としては実際にはそういうことはないのだが、そういうものかもしれないなと思った。
児童文学は子どもが大人になるところをよく描くのだろうが、そういう場面は「いいな」と感じさせる。
しかし子どもがこの本を読んでおもしろいと感じるかどうかはよくわからない。
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アラン『幸福論』

2011年11月20日 21時49分18秒 | 文学
アランの『幸福論』(白水Uブックス)を読んだ。
たとえば「私生活について」と題されたプロポなどで、結婚生活とはこのようなものだ、などと言ってないで上手くいくように努力しろよ、なんで努力しないんだ、というようにアランは言っている。そういうところで、この本を初めて読んだ時にガツンとやられてひどく反省したことを思い出した。夫婦というのはこういうものだ、妻とはこういうものだ、夫とはこういうもんだ、という言葉はいくらでもあるが、そこに安住していてどんどん関係が悪化していくままにしていくのはおかしい、とアランは言っていて、その通りだと思った。「夫とはこういうものだ」という言葉を証明するために私は生きているわけではない。
今回読んで、『幸福論』は単にアランの幸福に関するプロポを集めているだけではなくて、なかでも似たようなプロポはまとめて編集していることに気付いた。
何年かに一度は読むべき本だなと改めて思った。
次回は岩波文庫で読もうと思う。
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トーマス・マン『詐欺師フェーリクス・クルルの告白(下)』

2011年11月20日 09時17分58秒 | 文学
トーマス・マンの『詐欺師フェーリクス・クルルの告白(下)』(光文社古典新訳文庫)を読んだ。
トーマス・マンにはもっと期待してたんだけどなあ。期待はずれでした。
もっともっとクルルの活躍が描かれるのかと思っていたらそうでもなかった。
『赤と黒』(スタンダール)っぽい雰囲気があって、『赤と黒』が読みたくなった。それと『日はまた昇る』(ヘミングウェイ)っぽい感じと『ボヴァリー夫人』(フローベール)っぽい感じもあった。さまざまな名作文学の「ぽい」雰囲気が出ていたが、僕の期待するトーマス・マンっぽい感じだけはなかった。勝手にこちらが期待していただけなのですが。
北杜夫や辻邦生がトーマス・マンのどこに惹かれたのか知りたいものだ。
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クックックとの対話

2011年11月17日 23時56分36秒 | 文学
トーマス・マンの『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』の下巻を読んでいる。
クルルが列車でクックック教授と出会い、人類の進化について会話をするところを読んだ。つまらなかった。賢者に出会ってすばらしいお話を主人公が聞くという場面はいつも心躍るものなのだが、だいたいにおいて話の内容には退屈させられることが多い気がする。こちらの期待が高いからだろう。トーマス・マンでは、ずっと昔読んだ『魔の山』はえんえんと主人公が話を聞かされる話だったように思うが、当時(たしか大学生)は退屈だったかもしれないが、いま読めばまた違うかもしれないとも思っていた。しかし、クックック教授の話がおもしろくないということは『魔の山』もおもしろくないかもしれない。
列車で賢い人に話を聞く場面は、夏目漱石の『三四郎』にも、ゴダールの映画『中国女』にもあるが、なんでだかわからないがものすごく心惹かれる。

ほんとうに賢い人の話を聞きたいと思い、エッカーマンの『ゲーテとの対話』を読んでみるとたいへんおもしろい。この本は本当におもしろい。ゲーテはすごいひとだと初めて思った。いいことがあちこちに書いてある。
ゲーテは、一度読もうとしていくつか読んで結局あまり読めなかったことがあるが、『ゲーテとの対話』を最後まで読んでおもしろかったら彼の本を読んでいってもいいかもしれない。
大江健三郎は三年周期で一人の作家を読むということを渡辺一夫先生に教わって実践してきたらしいが、僕も三ヶ月周期くらいで一人の作家を読もうかと思い、その作家はトーマス・マンがいいのではないかと思っていたが、ゲーテに変えるほうが賢明かもしれない。
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「グッド・ワイフ」第1シーズン

2011年11月15日 22時37分10秒 | テレビ
海外ドラマ「グッド・ワイフ」の第1シーズンをすべて見終える。
おもしろいドラマだった。
ごちそうさまでした。
しかし半分くらい内容の分からないところがあった。アメリカに住んでいないとむずかしいのだろう。
第2シーズンはまた来年あたりにNHKがまとめて放送するだろうからそのとき録画して、気が向いたら見てみようと思う。
しかしそのころにはアリシアとウィルの関係のことも、いつも注目してしまうダイアンのこともすっかり忘れてしまっているのだろう。
アリシアとウィルの仲がだんだんと親密になっていくところがこのドラマで気に入らないところだった。アリシアはそんな女じゃないはずだ! と思って見ていた。
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