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☆司馬遼太郎「翔ぶが如く(5)」感想

2006年09月30日 01時08分51秒 | 文学
翔ぶが如く〈5〉司馬遼太郎の「翔ぶが如く(5)」を読んだ。やっと読んだ。
だんだん遅くなっている。
読み出すと面白いのに他の本を読んで間を空けているのがいけない。

昔、テレビドラマ「少女に何が起こったか」において、「うす汚ねぇシンデレラ」である小泉今日子が紙に描かれた鍵盤でピアノの練習をしていた。
たぶん全く関係ないと思うが、「もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング」というゲームには、画面に表示された鍵盤をペンで押して楽譜通りに演奏するトレーニングがある。数日前のトレーニングで「あんたがたどこさ」が課題曲になり、弾きながらこの曲の歌詞の意味がやっとわかった。

あんたがたどこさひごさひごどこさ熊本さ

と、この「熊本」という言葉にいたるまでずっと意味不明な歌詞が続いていて、全体通して何を歌っているのかさっぱり判らなかった。「ひごどこさ」って単なる意味のない呪文のようなものだと思っていた。意味がわからないままに歌っている歌はかなりある。
ここでいう「ひご」っていうのは「肥後」なんだ。
そして肥後っていうのは白川県、つまり熊本県のこと。宮崎八郎のいた熊本のこと。それを歌っているんだっていうことが弾きながら突然に判った。
「翔ぶが如く」を読んでいて良かったなあ。
僕はちょっとずつ賢くなってる。ほんとにちょっとずつ。
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☆スーパーマリオブラザーズリンク

2006年09月29日 18時27分39秒 | ゲーム
スーパーマリオブラザーズの8-1面は長すぎる。
時間が足りない。
このサイトこのサイト
精読してクリアを目指す。

コンティニューのやり方も知らなかった。
DSでも出来るのかなあ。やってみよう。

しかしここまで一生懸命やるなんてバカみたいかも。もう31なのに。
人生において、僕がもし間違った方向に進んでいたとしてもジュゲムは正しい方向を教えてはくれない。
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☆松

2006年09月28日 12時37分42秒 | 映画
このあいだ妻がうちにある「花とアリス」のDVDを見ていたので横からちょっと一緒に見ていた。
平泉成の万年筆の話はやっぱり最高。
蒼井優は電車で別れるときになって初めて彼を”パパ”と呼ぶんだなあ、なるほど。
「パパ! ウォ・アイ・ニー」
「そういう時はね、ツァイ・ツェン、また逢いましょう」
この辺のすれ違いの感じは上手いなあ。

岩井俊二は最近どうしてるんだろう。
って知り合いじゃないんだけど。
そろそろ新作撮らないかなあ。
だんだんと僕の中の岩井俊二的乙女ごころが枯れてきつつある。
最近、「デスパレートな妻たち」と司馬遼太郎だらけだから。サリンジャーも乙女ごころではないし。
「ハチミツとクローバー」はあんまり面白くなかったからなあ。
蒼井優が出ていても映画を見る気にはならない。

岩井俊二映画の中では、「Love Letter」が最も好きで、「花とアリス」が続き、あとはどうでもいい。
しかしこの二作の系譜に属すると思われる「四月物語」をまだ見ていないことに昨日気づいた。そういえば。
これはいつか見てみよう。
最近見てみたい映画としては、あと、
三谷幸喜監督の「THE 有頂天ホテル」と、
山田洋次監督の「隠し剣 鬼の爪」
があるが、よく考えたらどれも松たか子なんだなあ。
松たか子ってそんなに意識したことなくて、別に嫌いじゃないんだけど、もしかしたらものすごく好きなのかもしれない、無意識に。
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☆「キャッチャー・イン・ザ・ライ」をつかまえる③「サリンジャー戦記」

2006年09月26日 21時21分54秒 | 文学
前回、スーパーマリオブラザーズについて「ワープしまくっても5-1面までしか行けない」と書いたら妻に、ワープしまくったら5-1面は通らないはずだと指摘される。
「ジャックと豆の木」の豆の木を出して8-1面に行くやり方なんか、もちろん僕が知るわけがない。
しばらくやって、スーパーマリオブラザーズのコツが少しだけつかめた。
キノコもスターも取れなくたって深追いしないこと。ノコノコやクリボーが踏んづけられなくたって放っておくほうがよい。
深追いすると絶対に溝に落ちて死ぬ。
去るものは追わず。
あくまで僕にとっての経験則です。

男の子のやっていることは結局だいたいいつも、いつまでたっても「肝試し」なのではないかとふと思った。
お酒がどれだけ飲めるかとか、どれだけ女を知ってるかとか、どれだけ夜の街を知ってるかとか、集まればまあほとんどそんな話ばっかりしているし、実際の行動でそれを誇示しようとする。夏目漱石における近代的知識人の悩みがどれだけ判るかとか、そんな話は誰もしない。
サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」で16歳のホールデン・コールフィールドがホテルに娼婦を呼ぶが、何もせずに帰ってもらい、あとから約束の倍の金を取られて泣く、という場面があった。性に関することを早く終わらせたいがでも怖い、という感じがうまく出ていたと思う。
お化けもお酒も女性も、不気味であり魅力的、というところが共通していて、その気持ちが男の子たちを「肝試し」に駆り立てるんだろうなあ、と思う。
男の子たちがいつも、自分がどれだけ強いか知りたがっている、ということをきちんと見抜いていた尾崎豊は偉大だと思う。あと何度自分自身を卒業したって本当の自分にはたどりつけないだろうと考えているのもまあまあすごいが。

翻訳夜話2 サリンジャー戦記村上春樹と柴田元幸の「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」(文春新書)を読んだ。
村上春樹と柴田元幸の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」をめぐる対談と、サリンジャー側の意向で載せることの出来なかった「キャッチャー・イン・ザ・ライ」訳者解説と、柴田元幸の創作的な解説が入っている。
どうしても読まなければいけないものでもないが、村上春樹が「キャッチャー・イン・ザ・ライ」という小説についてどのように考えているかがわかる。
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☆「キャッチャー・イン・ザ・ライ」をつかまえる②

2006年09月25日 20時22分42秒 | 文学
ニンテンドーDSライトではゲームボーイアドバンス用のゲームソフトも遊べる。
「スーパーマリオブラザーズ」を借りてきてやってみる。
ワープしまくっても5-1面までしか行けない。
これは子どものころは出来ていて、しばらくやってなかったから出来なくなったわけではなくて、子どものころから出来ない。むしろ大人になって上手くなった。
僕の記憶では小学生の頃は”1面のクッパ”(という呼び方でいいのだろうか。敵のボスのこと)を倒せたことはなかったはず。
当時うちにはファミコンがなく、友達の家でルイージ(つまり2プレイヤー)で少しやらせてもらっていただけなので仕方がない。どこに何が隠れているとか、どのような操作をすればいいか、などを全く知らない。
ある世代のひとは、これが必ずできる、というようなものがあって、軍歌が歌えるとか、麻雀の符計算ができるとか、いろいろあると思うが、僕らの世代にとっては「スーパーマリオ」がクリアできるというのがそれに当たるんじゃないかと思ったりする。
いまさら攻略本を買ってきて極めようとはさらさら思わないけれど。

キャッチャー・イン・ザ・ライサリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読み終わった。
結局、この12月の土曜日から月曜日が西暦何年の12月の何日なのかまでは判るようには書いていないようだ。
月曜日になってもまだクリスマス・イブは来ていない。
最初に「去年のクリスマス前後に僕の身に起こったとんでもないどたばた」と書いてあるけれど、クリスマス後の話はしていないんだな。

話の筋だけを追っていこうとしてもなかなかつかめない小説だなあ、と思った。
口述表現という授業で、発表している生徒のスピーチがわき道にそれると、みんなで「わき道!」って怒鳴る、それが嫌だ、ってコールフィールドが語るところがあるが、いわばわき道だらけの小説だ。
最後まで読んでもいったいなんなんだかよく判らん話だし。
コールフィールドの気分のようなものを感じる小説なんだろうなあ。おそらく。
大衆との距離の取り方というのはわりと難しい問題で、コールフィールドは映画が嫌いということをしきりと述べるが、大衆っていうのはほんとにバカでインチキ野郎たちだから、そいつらの好みで成り立っている大衆文化、テレビも漫画もテレビゲームも全部クズだ、という考え方も考え方としては成り立つ。
しかしあまりにも俗なものと離れすぎてしまうと、いったいどこでどうやって生きていけば良いのか判らなくなる、ってこともあるんじゃないかな。冗談抜きで。
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☆羽海野チカ「ハチミツとクローバー (10)」感想

2006年09月23日 01時11分34秒 | 漫画
「ねえ、知ってる? 島田雅彦って”だまされました”のアナグラムなんだぜ」
ちょっと知的に聞こえるかもしれない台詞。
しかしまったくのデタラメ。
だいたいこんなこと言っても、島田雅彦って誰? アナグラムって何? って言われるだけです。
アナグラムというのは恋の呪文です。スキトキメキトキスみたいな。
名台詞といえば「ギムレットにはまだ早すぎる。しかしニコレットには遅すぎる」で有名な、チャンドラーの「長いお別れ」の村上春樹訳「ロング・グッドバイ」が来春発売されるらしい。今日知った。チャンドラーにはあまり興味ないけど。何度か読もうとしたが読めない。
それにしても村上春樹ってよく働くなあ。
そのうちカポーティの「ティファニーで朝食を」の村上春樹訳「ブレックファースト・アット・ティファニーズ」や、フォークナーの「八月の光」の村上春樹訳「ライト・イン・オーガスト」、モームの「月と六ペンス」の村上春樹訳「ムーン・アンド・シックスペンス」なども出すかなあ。

ハチミツとクローバー (10)羽海野チカの「ハチミツとクローバー」の10巻を読んだ。最終巻。
もう読んだというだけ。
何も感じられなかった。
はぐはとっても成長した。背が伸びた。
後半の付録のような漫画は読んでいない。
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☆「キャッチャー・イン・ザ・ライ」をつかまえる①

2006年09月22日 00時20分03秒 | 文学
とくにゆっくり読もうとしているわけじゃないが、ちびちびやってる感じ。肴はあぶったイカでもいいが、明かりはぼんやりじゃなく、しっかり灯らないと本が読めない。
大袈裟なタイトルになってしまったが単なるメモです。
①と付けたが②以降があるかどうかは判らない。

「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読みながらのメモ。現在ペーパーバック・エディションの92ページ。
・この話は、コールフィールドが去年のクリスマス前後に自分の身の上に起こったことを語っている。当時16歳。
・彼の兄のDBは『秘密の金魚』という短編集を出していて、一番いいのは表題作の「秘密の金魚」。自分の金で買った金魚を誰にも見せない小さな子どもの話。
・コールフィールドの話の始まりの日付は、12月の土曜日。
・その日の朝に、ニューヨークで、ひさしがものすごく長い赤いハンティング帽を買う。
帽子を使ったギャグが2つ。
ひさしを引っ張り下ろして「ああ、お母さん、手を貸してください。どうしてあなたは手を貸してくれないんですか?」(p40)
「こいつは人間撃ち帽なんだ」(p42)
・昔、チェッカーをやっていたジェーン・ギャラガーに対するコールフィールドの想いの描き方は本当に上手い。
・弟のアリーが白血病で死んだのは1946年7月18日。コールフィールド13歳のとき。
ということは語っているのは1949年12月の土曜日のことかなあ。しかしこれは彼の誕生日がいつかということによるな。いまのところ誕生日についての記述はなかったと思う。
ちょっと頭のネジのゆるんでるおばあちゃんが年に四回くらい誕生祝いのお金を送ってくれるとあり、一週間くらいまえにお小遣いをくれたとあるが、祖母が正しい誕生日に送ったとする決め手に欠ける。
ちなみに、
1949年12月25日は日曜日のようだ。(参考
読んでいたら、そのうち決定的な記述に出会えるのだろうか。
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☆あーむ

2006年09月21日 12時59分16秒 | 文学
スペンサー先生の「あーむ」のイントネーションがわからない。冗談抜きで。
やれやれ。

昨夜ちょっと読んだだけだけれど、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は村上春樹節がさく裂しているなあ。期待通り。
これはたいへんおもしろい。
おもしろいから、「マルサの女」で権藤(山崎努)が語るように、ぽたぽた落ちてくるしずくをコップに溜めて、いっぱいになっても飲まないで(飲んじゃうのは貧乏人)、コップからあふれて、垂れてきたやつを舐めるような感じでゆっくりと惜しみながら読んでいこう。

しかし、それにしても「あーむ」なんて言っているひとを見たことがないんだが。
「あーん?」って語尾をあげて半分疑問、だけど答えは求めてない、っていう感じ、不良がセンコーにガンつけて「あーん? あんだと、ごらぁ」の「あーん?」の感じかなあ。「はい、おクチ開けて、あーん」の「あーん」ではないんだろうなあ。
スペンサー先生の「あーむ」はほんとにわからないなあ。冗談抜きで。
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☆猪瀬直樹「天皇の影法師」を読んだ

2006年09月21日 00時13分52秒 | 文学
天皇の影法師「日本の近代 猪瀬直樹著作集10 天皇の影法師」(小学館)を読み終わった。
結局最初の「天皇崩御の朝に」が面白かっただけで、他のはあまり興味を惹かれないままに終わってしまった。
こちらに歴史の知識のないせいだろうな、と思う。

日本の歴史や歴史小説を読もうとすると、天皇は避けて通れない。
これからも興味を惹かれるものがあれば読んでいきたい。
いま気になっている本としては、
ハーバート・ビックス「昭和天皇
半藤一利「日本のいちばん長い日」「聖断
など。
しかし、こういったいままで読んだことのない種類の本はすこし気が重い。
そういえばソクーロフ監督の「太陽」もちょっと気になる。DVDになったら見てみよう。
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☆杜仲茶

2006年09月20日 00時06分23秒 | 衣食住
最近あまりお腹の調子がよくないので、杜仲茶を飲むのをやめてみる。
ぴったり同じかどうかわからないが、杜仲茶を飲み始めたのと腹がゆるくなった時期が重なるような気がする。
みんなに良いといわれるものが自分に良いかどうかはわからない。そこは判断が必要。
癌についての本を読みまくっていたときに、「患者よ、がんと闘うな」で有名な近藤誠が漢方にも副作用がある、ということをしきりに言っていて、そんなもんかなあ、と思っていたが、これも副作用と呼べるものなのかもしれない。

猪瀬直樹の「天皇の影法師」は三つ目まで読んだ。
「棺をかつぐ」は八瀬童子(やせのどうじ)について。
「元号に賭ける」は森鴎外の「元号考」について。
なかなかおもしろかったが、そこまでは興味を惹かれず。

「デスパレートな妻たち」は10話まで見た。
いったいこのドラマはどこまで行くのだろうという感じ。
テレビ的にNGとか、この時間帯はここまで、とか、公序良俗に反するものはテレビではやってはいけない、とか、まあこの程度やっとけば大衆どもは見るだろうバカだから、などという日本のテレビドラマによくある常識が通用しない。
とんでもないところまでやってるように思う。
まあ、アメリカのテレビにはアメリカの、別の常識があるのかもしれませんが。
それにしても面白いとしか言えないドラマだなあ。
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