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山﨑圭一『一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書』

2020年10月29日 23時00分11秒 | 文学
南北朝時代あたりのことが知りたくて、山﨑圭一の『一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書』(SBクリエイティブ)を読んだ。
鎌倉時代や室町時代あたりまでは興味もあったので読めていたが、だんだんと興味がなくなってきて、「長いな」と思いながら読んだ。
明治時代以降が長すぎるのではないかと思う。これを「一度読んだら絶対に忘れない」というのは嘘だ。絶対に忘れる。
いまは吉川英治の本を読んで、歴史を学んでいこうと目論んでいる。
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谷崎潤一郎『春琴抄・蘆刈』

2020年10月29日 18時42分18秒 | 文学
谷崎潤一郎の本は有名なものはいろいろと文庫が出ているので、どれを買うべきが迷う。そして谷崎潤一郎好きなら誰もが困ると思うが『蘆刈』が新潮文庫にも中公文庫にもなく岩波文庫の字が小さいものしかない。そして『吉野葛』とセットになっている。

岩波 『吉野葛・蘆刈』
   『春琴抄・盲目物語』
新潮 『春琴抄』
   『吉野葛・盲目物語』
中公 『春琴抄・吉野葛』
   『盲目物語』(入手困難)

このような感じで、『蘆刈』を岩波で手に入れると『吉野葛』が付いてきて、『盲目物語』を新潮で読もうとすると『吉野葛』がかぶってしまう。といって岩波は字が小さいしすぐに色褪せるので岩波で揃えたくない。中公で『春琴抄・吉野葛』を手に入れるくらいなら新潮で揃える。しかし『蘆刈』が……。
新潮文庫が『蘆刈』を『春琴抄』とセットで出すか、単独で出せば問題が解決するが『蘆刈』は人気がないのか出ない。
ということで、教育出版の「読んでおきたい日本の名作」というシリーズに『春琴抄・蘆刈』があり、ちょうど良いのでこれを買った。
谷崎潤一郎は段落の初めを一文字空けずに書くのだが、この本では空けて書いている。ここが少し残念なところ。谷崎らしさが殺がれる。

『春琴抄』
春琴という盲目の女性について書かれた冊子を見つけて、それを辿り、冊子に書かれていることの嘘を見破ったり、ほんとうは何があったかを想像していくというような体裁の小説。
最後に佐助が自分の目を針で突くシーンを読むといつも、子どもの頃に三浦友和がこの小説の映画化作品で目を突いていた場面を思い出す。トラウマはなかなか消えない。
山口百恵がどんな春琴だったかはちっとも憶えていないのにそこだけ憶えている。
春琴がいわゆる「お嬢さま」で、周りの人間をいじめたり暴言を吐くのだが、自分に娘ができると娘のようなものだなと思って納得できる。
うちの娘は三味線の撥(ばち)で人を殴るようなことはしないが、たまにすごくいじわるになることがあり、世の中にはそういうことも、またそういう人もいる、ということは納得できる。
あからさまにいじわるな人間というのも最近はあまり出会わないけれど、子どもを見ていると「いるな」と思う。そして自分の中にもいる。

『蘆刈』
初めのほうに古典からの引用があり読みづらく、ぞっとするのだが、語り手が男に出会い、その男の父親と母親とその姉の話を聞くあたりから俄然おもしろくなる。
好きな女性と結婚できないので代わりにその妹と結婚し、その妹と協力して好きな姉と仲良くなるという不思議な、谷崎潤一郎でしか読めない話だった。いったい語り手の出会ったこの男は誰の子どもなのだろうと引っ張るのだが、しかし父親は妻の姉とは肉体関係は持たなかったという話で、語り手が出会う男は父親と母親の子どもであるという話だった。
最後に男が消える、というのも変だった。
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三浦しをん『仏果を得ず』

2020年10月27日 21時03分42秒 | 文学
三浦しをん『仏果を得ず』(双葉文庫)。
何年か前にバスに乗っているときに「仮名手本忠臣蔵」だったか「妹背山婦女庭訓」だったかの文字を章のタイトルに使っている小説を読んでいる女性を見かけ、非常に興味を惹かれた。どんな小説なのだろうかと思った。古典芸能の紹介の本のようには見えず、括弧書きの会話文もあるように見えたのでわりと軽い小説なのだろうと考えた。
家に帰ってそれが三浦しをんの『仏果を得ず』だということは分かった。
そのあとずっとそのままにしていたが最近谷崎潤一郎の『吉野葛』を読んで、浄瑠璃の物語に興味を持ったので読んでみることにした。

読み始めて、無口で変人の美しい青年というのをこの年代の女性作家はいつも描いているのだろうかと思った。
あまり読まないのに、同じ三浦しをんの『舟を編む』もそうだし、恩田陸の『蜜蜂と遠雷』にも宮下奈都の『羊と鋼の森』にもなんだか同じような傾向の青年というのが登場したように思う。
無口で変人の美しい青年が登場し、物語が始まるというのがひとつの型になっているのかもしれない。
少女漫画の影響もあるだろうが、もともとはシャーロック・ホームズから始まっているのかもしれない。

登場人物たちが必要以上に純情だったり、鈍感だったり、怒りっぽかったりして、そんなやつはいないよなと思いながら読んだ。
マンガのようだった。
正直に言えば腹立たしい感じだった。
そんなことで本当の人間は「えーっ」と思ったり、「はい?」と拍子抜けしたりしないな、と思いながら読んだ。
もう少し浄瑠璃の話に興味を持つかと思ったが、知らなければまるで興味を持てない書き方だった。
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井上ひさし『東京セブンローズ』

2020年10月23日 23時23分45秒 | 文学

井上ひさしの『東京セブンローズ』(小学館)を読んだ。
旧字旧仮名遣いで語られる日記形式の小説で、雰囲気があっておもしろい小説だった。
前半と後半では、後半の日本語のローマ字化に対抗する話よりも、前半の戦時中の話のほうがおもしろかった。詳しく書かれていて、戦時中の生活がよくわかるようになっている。
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谷崎潤一郎『変身綺譚集成』

2020年10月21日 22時20分27秒 | 文学
谷崎潤一郎『変身綺譚集成』(平凡社ライブラリー)。
谷崎潤一郎の変身譚と聞くと「秘密」をすぐに思い出したが「秘密」は収録されていなかった。

「人間が猿になった話」
猿に付きまとわれて、結局猿と一緒にどこかに行ってしまった女の話。
人を集めてお爺さんが話をして、その話の中で女が話をするところが好きなところだった。括弧書きの中に括弧書きがある話になぜか惹かれる。

「紀伊国狐憑漆搔語」
狐に誘われて放浪する男の話。

「白狐の湯」
この短篇集を最後まで読んでみるともっともおもしろかったのはこれかもしれない。
狐が外国人に化けている話。

「人面疽」
頭木弘樹の『落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ』で紹介されていて興味を持った。あの本では「人面瘡」と間違って表記されていた。
おもしろくて、盛り上げるだけ盛り上げて、結局落ちはなし、というところが落語っぽい構成なのかもしれない。
お笑いコンビ千鳥のノブの顔をいろいろな有名人にはめた映像を見せる「ノブ違和感」を最近テレビでよく見るのだが、それを思い出した。
ある女優が、自分が撮影した記憶のない映画(写真)に出演しているという噂を聞く話。

「魔術師」
気になっていた短篇だったがあんまりおもしろくなかった。

ゴーチエの翻訳「クラリモンド」はおもしろくなさそうだったので読まなかった。
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谷崎潤一郎『吉野葛』

2020年10月20日 21時26分19秒 | 文学
谷崎潤一郎の『吉野葛』(新潮文庫『吉野葛・盲目物語』所収)を読んだ。
短いのに、なかなかに複雑な話でおもしろく読めた。
こういうのは古典の知識がなければ読めないものでもあるだろうから、『義経千本桜』などをきちんと読んで、もう一度読んでみたい。『太平記』にも興味を持った。南北朝時代と言われてもよく分からない。
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黒澤明監督『生きる』

2020年10月17日 23時04分28秒 | 映画
黒澤明監督の『生きる』を観た。
頭木弘樹の本で読んだ通り、後半は主人公の志村喬が死んだ後に通夜で周りにいた人間が生前の彼について語る構成になっている。
まあおもしろく、そんなに退屈もせずに見られたが、志村喬の「つまり……、その……、私は……」の台詞にイライラさせられた。それと、やはり黒澤明の”ヒューマニズム”にもイライラさせられる。
サムライの格好をしていないとちょっと受け付けられないところがある。サムライの格好をしていると自分の世界とは離れた絵空事で、どんな勧善懲悪も許せる気持ちになるのだが、背広を着ているとちょっと「有り得んだろ」と思ってしまう。
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小林秀雄「骨董」「トルストイ」

2020年10月15日 21時38分28秒 | 文学
小林秀雄がトルストイの『クロイチェル・ソナタ』(『クロイツェル・ソナタ』)について書いているものを、以前も読んだことがあるが引っ張り出して読んでみる。(『小林秀雄全作品16』所収の「骨董」、『小林秀雄全作品17』所収の「トルストイ」)
どちらも全く同じようなことを全く同じように書いてある。
行進曲では行進できる、舞踏曲ではダンスできる、しかし「クロイチェル・ソナタ」を聴いたらどうすればいいんだ、という話だった。
私たちは何かの行動をすることが目的であり喜びであり生きることであったのに、椅子に座って音楽を聴いたり、ガラスケースに入った芸術品を見たり、というのは間違っているのではないか。とトルストイは言っている。と小林秀雄は言っている。
それは確かにそういうこともあるだろう。よく考える必要がある。
しかし、もはや音楽を聴いて踊り出していた感覚というものがもう僕にはあまり分らない。
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トルストイ『イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』

2020年10月15日 20時46分12秒 | 文学
トルストイ『イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』(光文社古典新訳文庫)を読んだ。
「イワン・イリイチの死」も「クロイツェル・ソナタ」も一度読んだことはあるけれど、あまり印象に残っていない。『戦争と平和』を読んだので、記念に(?)読んでみた。
「イワン・イリイチの死」は死ぬ話で、「クロイツェル・ソナタ」は殺す話。
どちらかといえば「クロイツェル・ソナタ」のほうがおもしろかった。頭木弘樹の『落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ』を読んだせいで、詳しいわけでもないのにこれは落語だなと思った。ある人が話をして、その人の話の中で別の人が語るという入れ子構造で語られる。
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頭木弘樹『落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ』

2020年10月15日 00時03分27秒 | 文学
頭木弘樹『落語を聴いてみたけど面白くなかった人へ』(ちくま文庫)を読んだ。
タイトルを見て、これは私に向けて書かれたものだなと思った。何度か落語に惹かれながらそこまで熱心に聴いていない。
頭木弘樹の本を何冊か読んだことがあるが、この人は信頼できる人だと思っている。

「落ち」で終わらせることができるから話をいくらでも膨らませることができるという話はとても納得のいくものだった。
村上春樹の小説なども、広げた話がすべて収拾できていないとよく言われたが、村上春樹の小説にもそのような、これが来たら終わり、というようなシステム(「やれやれ」と言ったら終わりとか)があれば良いのかもしれない。
結末を意識すると話が小さくなってしまうということはあるだろう。

落語では「三軒長屋」の話が聴きたくなった。
基本的に、本を読むことで理解しようとしてしまうのだが、落語は聴かなければいけないのだろうなと思った。それがむずかしい。

黒澤明の『生きる』に興味を惹かれた。そういう話であることを知らなかった。早速見てみよう。

いつか入院するというようなことがもしあれば、落語を聴いてみよう。
父が入院しているときに、あまり受け答えもきちんとできるような状態ではなかったので落語を聴かせるようなことができなかったが、今後だれかが入院して病院で退屈するようなことがあった場合は落語を勧めてもいいかもしれない。まあそのためには自分でも聴いておく必要はあろうと思う。
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