ダブログ宣言!

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亡くなった師についての回想

2012年01月30日 23時23分45秒 | 文学
辻邦生の『西行花伝』(新潮文庫)を読んでいる。100頁ほど読んだ。
長い小説だが苦にならない。
井上靖の『孔子』と『本覚坊遺文』が大好きなのでこの『西行花伝』も好きにならずにいられない。雰囲気がそっくりだ。
亡くなった師について弟子が回想するという形式がものすごく好きなのだ。思わせぶりな雰囲気もよい。
「二の帖」では霊媒に西行(佐藤義清)の従兄(佐藤憲康)の霊を呼び出してもらうという場面が出てくるのだが、「なぜに本人ではなく、いとこ?」と思った。霊媒に知人を呼び出してもらってその人から話を聞くとはなんと遠回しなことをするのだ。とても不思議だった。
しかしこの「二の帖」では、流鏑馬についての興味深いお話があった。
的を射ぬくことよりも雅であることのほうが大切であるという話で、僕もついこの間テニスは相手に勝つことよりもボールを打つ姿が美しいことのほうが重要なのではないかと考えたことがあったので興味深く読んだ。
このような偶然があることによっても、この本はいま私に読まれるべき本であることがわかる。
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オースター『幻影の書』読了

2012年01月29日 23時11分20秒 | 文学
大河ドラマ「平清盛」の三回目か四回目の放送を見る。
松山ケンイチは、黒澤明の時代劇における三船敏郎のような存在だなと思った。
いつもギャーギャー騒いでいる感じが似ている。顔も似ているような気がしてくる。
狙っているのなら見事というしかない。

ポール・オースター『幻影の書』(新潮文庫)を読み終える。
後半は少し退屈した。
前半はおもしろく、後半は退屈するというのが僕のいつものポール・オースターの読み方のようで、そのせいであまり熱心に読んでいないのだ。今回読んでいて思い出した。
大江健三郎の『臈たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ』も映画の話で、架空の映画の内容が詳しく描かれたと思うが、感想としてはそのときと同じで「そんな映画見たくないなあ」という感想だった。映画の描写があんまり長いと、そんな映画ないのになんで詳しく知る必要があるの? という元も子もない、だったらなんで作りごとの小説なんか読んでいるんだ、というほんとうに恐ろしい全否定の問いに発展しそうな考えに陥りそうになる。
いろいろなひとが死ぬのだが、全体的に作りごとめいているところがあるのであまり悲しい気持ちにはならない。
最初の、こちらの勝手な思い入れが強い、妻子が死ぬところ以上に切ない気持ちになるところはなかった。
僕はもう、ポール・オースターは読まなくてよいのかもしれない。
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オースター『幻影の書』読書中!

2012年01月28日 23時40分07秒 | 文学
ポール・オースターの『幻影の書』(新潮文庫)を読んでいる。(120頁ほど)
オースターの本を読むのはひさしぶり。ひさしぶりと言うほどの熱心な読者であったことはないのだが、オースターの本が流行っていたとき(いまでも流行っているのかもしれません)、いくつか読んだ。最初の短編集は英語で読もうとして本を買ったはずだけれど英語では読まなかった。その短編集の三作品と『最後の物たちの国で』と『ムーン・パレス』を読んだように思う。
『幻影の書』は妻子を飛行機事故で亡くした男が他に何もできなくなったがある無声映画にだけは惹かれるものを感じその映画作家の研究をするという話。
この、妻子を亡くし(特に妻)何も出来なくなるという設定に僕はとにかく弱い。それと実際の世の中にはないものを小説の設定の中で作ってそれを研究するという手の込んだ設定にも弱い。
何も出来なくなったけれどあることだけは出来て、必死でそれにしがみついて生きていくというのは惹かれる話だ。
思い出すのは、加藤典洋が若いころに全く本を読めなくなったが中原中也の詩集だけは読むことができて花屋で花を買ってきてそれを部屋に飾って中原中也の詩集を読んでいたという話。そういう話になぜだか惹かれる。
僕自身の経験としても、なんだか夏目漱石だけが僕の気持ちを分かってくれる気がして、夏目漱石の小説をずっと読んでいた時期がある。
そういうことが青年にはわりとよくあることなのかもしれないので、オースターはいまでも(たぶん)人気があるのだろう。
『幻影の書』には無声映画の描写が「そんなの知らねえよ」というくらい詳しく描かれる。たぶん、チャップリンとかバスター・キートンとかのイメージからオースターが作ったものなのだろうけれど、あまり無声映画を見たことがないので大学時代にNHKでよくやっていたミスター・ビーンのイメージに結び付けて読んでしまっている。(ミスター・ビーン好きだったなあ。)
で、読んでいると当然のごとくミスター・ビーンが見たくなってきた。
僕の身にもなにか不幸が訪れて、何も出来なくなってそれでも生命保険とかいろいろで生活に困らないというような状態になったらミスター・ビーンのDVDボックスを買って家で一日中ミスター・ビーンを見続けたら笑いが取り戻せるかもしれない。それはひとつのプランとして記憶しておこう。
『幻影の書』の主人公は、無声映画の研究のあとでシャトーブリアンの回想録の翻訳をやっている。なかなか不思議な話だ。確かに何もしないでいるよりは何か手を動かして仕事をするというのは救いになるのだろうなということはよくわかる本だ。そのへんの感じが切実で、そこが退屈そうな話なのに読んでしまっている理由なのだろう。
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『吉村昭の平家物語』感想

2012年01月27日 00時27分20秒 | 文学
吉村昭『吉村昭の平家物語』(講談社文庫)を読んだ。
平清盛は意外と早い段階で死んでしまって、そのあとは木曽義仲が中心になり、義仲が死んだあとはもうごちゃごちゃといろいろな人が出てきては戦って死んでいった。平家も源氏も似たような名前であまり特徴もつかめないまま出てきては消えていった。もう少し長い話のほうが『平家物語』を楽しむのには良いかもしれないが、全体をつかむにはちょうど良い長さだった。
興味のあった西行や崇徳については全く登場しなかった。

通勤時に『フラナリー・オコナー全短篇』を読んでいる。ちょうど一日に一つの短編を読むくらいのペース。
「不意打ちの幸運」という、妊婦が階段を登って途中でオモチャのピストルを拾うというだけの話があったのだが、フラナリー・オコナーはなんだかわからんがすごいなと感じさせた。フラナリー・オコナーがいったい何を言いたいのかはよくわからないのだが、想いというかイメージというか何かは強烈に伝わる。
小説というのは理屈を物語を通して伝えるものではないのだな、ということがフラナリー・オコナーを読むとよくわかる。
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モーム『昔も今も』から西行

2012年01月24日 21時54分49秒 | 文学
サマセット・モーム『昔も今も』(ちくま文庫)を読んだ。
モームが書いた歴史小説ということで期待したのだけれど、あまり入り込めなかった。そんなにおもしろくはなかった。
これでマキアヴェッリ関連の本を、
塩野七生『わが友マキアヴェッリ』
マキアヴェッリ『君主論』
モーム『昔も今も』
と三冊読んだのだけれど、どれも印象に残らなかった。マキアヴェッリは合わないのだろう。

次は西行を読もうと思っている。
大河ドラマ「平清盛」を見ていて、西行はこの時代の人なんだなと思い、これまで何度か西行についての本を読もうと思ったことがあったが読めないままであるのでこの機会に読もうかと思う。
辻邦生『西行花伝』
吉本隆明『西行論』
白洲正子『西行』
がいまのところの予定。
しかし藤木直人の西行はどうなのだろう。この人の出ていたテレビドラマ「ギャルサー」を、僕はなぜだかものすごく期待して第一回目の放送を見たのだが(なぜそんなに期待したのか思い出せない)、ぜんぜんつまらなくてチャンネルを変えたのを最後に彼の芝居しているのを見ていない。
「平清盛」ではそのほか玉木宏も出ている。NHKの朝ドラ「こころ」が好きでよく見ていたのでその当時は玉木宏も好きだったのだが、ちょっとだけ見た「のだめカンタービレ」での指揮がものすごおく下手くそに見えて「千秋がそんなに指揮が下手なわけないだろ」と思ってあまりいい印象ではない。
このふたりは、松山ケンイチとの力の差がありすぎるのではないかと思っている。
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高野和明『ジェノサイド』

2012年01月21日 14時55分07秒 | 文学
高野和明『ジェノサイド』(角川書店)を読んだ。
おもしろかった。
マイクル・クライトン的な話だと思った。感想は大体前回書いた通りなのだが、あの後読んだ続きでもうひとビックリがあった。そういうことだったのか、と思った。
ちょっと主人公が幼いようなところがあって、死んだ父親が不倫してたとして、しかも不倫していたかどうか確定しているわけでもないのにそこまで拒否反応を示すものかなあと思った。死にそうな女の子の父親が医者に薬を渡すから退院してくれと言われて「はい、そうですか」というふうになるかなあとも思った。それから、あと何日で死ぬと言われた人は正確にあと何日で死ぬものなのだなあと思った。
ちょこちょことミステリー特有の、登場人物の性格の歪みみたいなものが見られた。これは仕方ない。

ミステリーでは次は『ミレニアム』が気になっている。
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人智を超えたと言われる人智を超えないもの

2012年01月20日 00時23分05秒 | 文学
高野和明『ジェノサイド』を読んでいる。あと100頁くらい。
NHKの番組「週刊ブックレビュー」でこの本が取り上げられたときに、室井滋が「わたしは雑誌『ムー』が好きなのだが『ムー』を読んでいるみたい」というように言ってこの本を絶賛していた。「ムー」は読んだことはないのだが、超常現象はわりと好きなほうなのでこの本を読むことにした。
この本には”見たことのない生き物”が登場するのだけれど、その登場まではわくわくしたがそのあとは少し、退屈、というほどでもないが熱中はしていない。やはり”見たことのない生き物”は見てしまうと”見たことのある生き物”になってしまう。
見たことのない、人智を超えたものが登場するときにもっとも困るのは描いている作家は人智を超えていないのでどうしても人智を超えたと言われる人智を超えないものになってしまう。残念なことだ。”見たことのない生き物”もわりと普通だった。もっと見たことのない存在であってほしかった。
あとは、子供を救え! とか、世界平和! とかのメッセージがあまりに強くて、疲れる。
作者が何を考えているかがあまりに分かりすぎるのもちょっとなあ。描かれる人物がみんな作者の分身みたいになって、それが疲れる。誰としゃべっても同じことしか言わない社会って、嫌じゃないかなあと思うんだけれど、ちょうどそのような感じになってしまう。誰かが死んだときにみんながお悔やみを言うなかでひとりくらい(ひとりくらいでいいが)笑っているひとがいるくらいがちょうどいいのではないかと思ってしまう。

そういう不満はありながらも、そこそこおもしろい小説だと思う。
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大河ドラマ「平清盛」二回目

2012年01月15日 23時41分40秒 | テレビ
そういえば書き忘れていたけれど、行定勲監督の『今度は愛妻家』で印象に残っている場面のひとつに、豊川悦司が薬師丸ひろ子に「俺が思いつかないようなことを言ってくれ」と要求するけれど、薬師丸ひろ子は何も答えずににこにこ笑っているという場面があった。
とても哀しい良い場面だった。
「一人暮らしは気楽でいいねえ」と豊川悦司が薬師丸ひろ子に言う場面もよく考えると良い場面なのだなあ。
『今度は愛妻家』はしばらく経って「いい映画だったのかもしれないな」と思わせる映画だ。

NHK大河ドラマ「平清盛」の二回目を見た。
清盛の元服の舞を見ていたときに「このドラマはずっと見ていられるかもしれない」と思った。松山ケンイチはいい役者だ。松山ケンイチを一年間見ていようという気分になった。大河ドラマが見ていられるかどうかは、ほとんど主役のことしか描かれないわけだから、結局は主役を一年間見ていられるかどうかなのだなと思った。福山雅治と上野樹里は一年間見られなかった。
清盛がどうこうというよりも、松山ケンイチが役者として力を出している姿を見られるというだけで僕は幸せなのかもしれない。
伊東四朗も注目していたのだけれど、二話で死んでしまった。今後は脇役では三上博史に注目していこう。

「平清盛」のあとに、「運命の人」という山崎豊子原作のドラマを見ていたけれど、途中で見るのをやめてしまった。沖縄返還のころの話には興味があったのだけれど、ちょっと長かったかな。大河ドラマもそうなのだが、第一回目の放送時間を長くするのはやめた方がいいのではないかと思う。内容どうこうよりも、そんなに長い時間集中していられない。僕には50分くらいがちょうど良い。
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行定勲監督『今度は愛妻家』

2012年01月13日 00時30分48秒 | 映画
行定勲監督の『今度は愛妻家』を見た。
薬師丸ひろ子がかわいい映画だった。

この間井上ひさしの舞台『父と暮せば』を録画していたものを見たのだが、印象としてはそれに非常に近い。もともとが演劇で映画になったことも一緒なのでさらにそう思うのかもしれない。
死者を弔うことは演劇の大切な役目なのだなと思う。
『父と暮せば』と吉本ばななの『キッチン』と、あとは岩井俊二監督の『Love Letter』を混ぜたような印象だ。
映画よりも演劇で見たほうがいいのだろうなと思った。
濱田岳は良い役者なんだろうなと思った。声が良い。濱田岳のファンになりそうだった。

『今度は愛妻家』は子どものいない夫婦を描いた作品で、子どものいない夫婦の作品をいま見ておかなくてはいけないだろうと思い、見ておいた。子どものいない夫婦には子どものいない夫婦にしか分からないことがあるはずだ。
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大河ドラマ『平清盛』第一話

2012年01月09日 23時19分16秒 | テレビ
NHK大河ドラマの「平清盛」の第一話を見る。ここ数年はずっと大河ドラマの第一話だけは欠かさず見ている。
第一話には松山ケンイチが出てこなかったので第二話も見てみようと思った。公家のひとたちが不気味でいいなあと思う。國村隼が特に不気味。デーモン小暮閣下が隣にいても不自然ではないくらい不気味。三上博史とARATAは顔がよく似ていると思った。ARATAは「井浦新」に名前を変えたのだなあ。
しかしテレビドラマはいつも思うがもう少し非情に描けないものかなあ。あるひとがつらい場面にある、というのはよいが、つらいと思っているのがその人物だけではなくて、作家もそう思っているし観客にもそれを強要するようなところがあり、それが見ていると疲れる。このところテレビドラマが見られなくなる原因はそれに尽きる。ニュースも見られなくなってきている。
「平清盛」は最後まで見られるだろうか。

この前NHKの「週刊ブックレビュー」を見ていたら、高野和明の『ジェノサイド』を取り上げていてたいへんおもしろそうだった。「このミステリーがすごい!」の海外編の第一位はたいしておもしろくなかったが、国内編の第一位はおもしろいのかもしれない。「見たこともない生物」が登場するらしい。「見たこともない生物」とか言われると気になる。見たい。「週刊ブックレビュー」の番組では室井滋が「今日その絵を描いてこようと思ったけどやめました」と言っていた。それを聞いてさらに興味が増した。
僕も読んだら描いてみようかと思った。
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