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三島由紀夫『美しい星』感想

2011年04月30日 19時44分23秒 | 文学
三島由紀夫の『美しい星』(新潮文庫)を読んだ。
途中までは興味が持てたのだが、助教授と床屋と銀行員の三馬鹿トリオみたいなのが登場するあたりから急激に興味を失った。この三人は、「タイムボカンシリーズ」の悪玉トリオや「ドラゴンボール」のピラフ一味みたいな雰囲気で、主人公の大杉重一郎に敵対する。いや、敵対しているのかどうかも実は僕にはよくわからなかった。長い長い議論が繰り広げられるのだが、いったいなにを言い合っているのかよくわからなかった。釦を押す押さないの話がえんえんとされていて、当時は核爆弾のボタンを押したら世界が終わるという話がよくされていて「釦を押す」と言えばそのことを指すというのが一般的によく言われていたのだろうなと思った。
なんだかバカバカしく感じてしまってうまく物語を追うことができなかった。
最後は重一郎が胃癌になって、一家で山に登って空飛ぶ円盤を見るという結末だった。何が言いたいのだろう。
この小説をアメリカで読んで、褒める批評を日本に送って不評だったこの小説を援護したという江藤淳はすごい。なんというか勇気がある。この小説のどこがすばらしいのか僕にはわからなかった。

そもそもこの小説がSFなのか、というところに大いなる疑問を感じるが、一応UFOが出るのでSFと考えて、順位は、
1位 『幼年期の終わり』(クラーク)
2位 『夏への扉』(ハインライン)
3位 『ボッコちゃん』(星新一)
4位 『マイナス・ゼロ』(広瀬正)
5位 『ソラリス』(レム)
6位 『美しい星』(三島由紀夫)
となる。
『美しい星』よりも下になるSF小説はないのではないかと思われる。
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三島由紀夫のSF

2011年04月25日 23時14分29秒 | 文学
日本でSFの歴史を勉強しようとすると避けて通れない三島由紀夫の『美しい星』を読んでいる。
三島由紀夫はあまり好きではない。いま、SF小説を読むたびに順位を付けているが、かなり高い確率で最下位になるんじゃないかと思う。そのように思いながら読み始めた。
がしかし、……というほどでもないが、いまのところそこそこ興味を持てて読んでいる。
あるとき突然自分たちは宇宙人であるという意識に目覚めた大杉一家の話だ。
父親の重一郎は火星人、母親の伊余子は木星人、息子の一雄は水星人、娘の暁子は金星人らしい。細木数子の占いの話ではなくて、彼らがその惑星からやってきたと考えているという話なのだが、いま読んでいるところまででは、ただの思い込みの激しい、頭のイカれた一家の話として読める。家族はそれぞれに空飛ぶ円盤を見て、地球人ではないと思いこむのだが、まだ家族全員で空飛ぶ円盤を見ていない。つまり空飛ぶ円盤の存在を客観的には証明できない状態である。
この話を、彼らが客観的に宇宙人であるというふうにもっていくのか、それとも最後まで思い込みの激しい人たちという話(またはそういうふうにも読めるという程度にか)でもっていくのか、そこにもっとも注目している。「三島由紀夫がんばれ!」という少し応援する気持ちで読んでいる。

三島由紀夫以外の日本の作家が書いたSFで読みたいものは、あまりないのだが、一度読もうとしてやめた平野啓一郎の『ドーン』は読んでみようと思っている。大江健三郎の『治療塔』と『治療塔惑星』は読まないんじゃないかな。
本職のSF作家の書いたもので興味を惹かれたものはなくて、そんなんじゃダメだ三島なんか読んでる場合じゃないとも思うのだが、興味がないものは仕方がない。
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最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』下巻

2011年04月24日 23時33分08秒 | 文学
最相葉月の『星新一(下) 一〇〇一話をつくった人』(新潮文庫)を読んだ。下巻はおもしろかったのですぐ読めた。
ショートショートの一〇〇一話目としていろいろな出版社に原稿を渡したけれど、どれもそんなに評判にならずに担当の編集者でさえも忘れてしまっているという話が悲しかった。
そんなつもりはなかったのに小中学生相手の作家みたいになってしまい、ファンレターもこども相談室みたいな質のものになっているのも悲しかった。
いろいろと悲しい。
小松左京よりも筒井康隆よりも安部公房よりも今のところ星新一のほうが読まれているように思うので、そこが救いかもしれない。

日本のSF業界について詳しくなりすぎてしまった。詳しくなったわりには読みたくなった本はあまりない。
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最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』上巻

2011年04月24日 00時48分45秒 | 文学
最相葉月の『星新一(上) 一〇〇一話をつくった人』(新潮文庫)を読んだ。
星新一が星製薬社長になって辞めるまでの話はとても退屈したのだけれど、作家になってからの話はおもしろく、興味を持って読んでいる。星新一の作家活動よりも当時のSF文学界の話がおもしろい。
日本空飛ぶ円盤研究会や雑誌「宇宙塵」の話は最近いろいろなもので日本のSFについて読んでいるので知っているが、まとめて読めるのでよい。SFが好き、という気持ちだけでみんなが集まって同人誌を作ったり、”空飛ぶ円盤”について狭い部屋で(知らないけど、狭そう)真剣に語り合ったりしているのって、なんだかいいなあと思う。

読んでいたらレイ・ブラッドベリの『火星年代記』に興味を持った。
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広瀬正『マイナス・ゼロ』

2011年04月23日 13時42分44秒 | 文学
広瀬正の『マイナス・ゼロ』(集英社文庫)読了。
おもしろかった。しかし、という感じだ。
しかし、何だ? というと、昭和七年の描写が長すぎるかなと思った。たぶんここがこの小説の魅力なのだろうが、僕には長すぎた。
タイムマシンを使って行ったり来たりして、いろいろなひとが巻き添えを食って、あのひとがあのひとなのかということがわかって、最後にはすべてが納得というところも、タイムマシンもののおもしろさなのだろうけれど、そこも推理小説みたいであまりたくさん読まなくて良いかなと思った。
太平洋戦争のときの兵隊の話になるのかと思ったらそこはすっとばされていたのはよかった。兵隊の話(上官にぶん殴られるとか)は読みたくない。

さてSF小説の順位は、
1位 『幼年期の終わり』(クラーク)
2位 『夏への扉』(ハインライン)
3位 『ボッコちゃん』(星新一)
4位 『マイナス・ゼロ』(広瀬正)
5位 『ソラリス』(レム)
かな。
同じタイムマシンものの『夏への扉』のほうが上位なのは、先に読んだということと、あちらのほうが短かったということによる。『マイナス・ゼロ』のほうがよく練られた話ではあったように思う。
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タイムマシンの既視感

2011年04月21日 00時40分52秒 | 文学
わりと評判の良いSF小説である広瀬正の『マイナス・ゼロ』(集英社文庫)を読んでいる。
日本のものを読むのであれば小松左京を読むのが本当なのかもしれないが、小松左京はどうも僕には難しそうな気がして手が出ない。
『マイナス・ゼロ』にはタイムマシンが登場する。タイムマシンが登場すると、どうしても映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を思い出してしまう。
『マイナス・ゼロ』では主人公がタイムマシンに乗ろうとするところに巡査がやってきて、揉み合っているうちに巡査のほうがタイムマシンに乗って消えてしまう。主人公は過去に置き去りにされる。うーん、このパターンはどこかで見たなあ。「大長編ドラえもん」で見たのかもしれない。「アラレちゃん」でも見たかも。でもたぶん『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でもこんなことはあったような気がする。
しかも『マイナス・ゼロ』では、過去に置き去りにされた主人公が、待っていればタイムマシンに乗った「先生」が現れるはずであると思ってこの時代で待っている。これもなんか見たなあ。マイケル・J・フォックスはドクに何度もデロリアンを作ってもらったような気がする。
タイムマシンものは見たことのある設定が多数登場する。ほとんどそれだけで物語が出来上がっている。
おもしろいと言えばおもしろいのだが、いくつか読んだら飽きるだろう。
それに、タイムマシンって、結局、存在しないものだし。タイムマシンものを読んで、「うーむ」と深い思想を感じることがあるのだろうか。
タイムマシンもので深い話があれば読んでみたい。

SFで不満なのは、おもしろい評論がないことだ。
良い本があれば読みたいと思って結構探しているのだが、ベスト50とかベスト100とかのタイトルを紹介している以上の、内容に踏み込んで分析しているようなものがあまりない。あるのかもしれないが、僕の目につくところにない。残念だ。
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ディケンズ『荒涼館4』

2011年04月20日 18時51分38秒 | 文学
ディケンズ『荒涼館4』(ちくま文庫)を読んだ。すべて読み終えた。
僕にはこの小説のおもしろさがいまいち理解できなかった。ディケンズの小説全般がおもしろいとは感じられない。残念だ。
登場人物のリチャードが馬鹿だ、大馬鹿だ、という印象が強く残った。
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スタニスワフ・レム『ソラリス』

2011年04月19日 23時41分38秒 | 文学
スタニスワフ・レムの『ソラリス』(国書刊行会)を図書館で借りて読む。
読み始めて期待したほどはおもしろくならなかった。ある程度予想通りで、盛り上がりに欠ける展開だった。SFなんだから(などと言うと作者に怒られそうだが)もっとわくわくする展開を期待していたが、ものすごく難しい話になってしまった。主人公が図書館で本を読んでいる場面がこんなに多いSF小説は珍しいのではないかと思う。ソラリスという惑星にいるのだけれど、そこの基地みたいなところの図書館でソラリス学の文献を読んでいた。サルトルの『嘔吐』みたいだ。
自殺した恋人ハリーが惑星ソラリスの海の影響で、主人公ケルヴィンの前に現れる。一人目は宇宙に飛ばしてしまうのだが、二人目には愛情を抱くというのが大まかなあらすじになるかと思う。
ソラリス学にはあまり興味が持てなくなってしまったのだけれど、恋人ハリーが健気でわりと切ない。彼女は自分がなんでこんなところにいるのか、自分がいったいなんなのかということがわかっていない。そういう部分は興味を惹かれた。NHKでカズオ・イシグロについての番組があって見たのだけれど、『わたしを離さないで』はこのハリーを語り手にしたような小説なのだな、と思った。また読んでみたくなった。今回の私のSF週間のあいだにいつか再読したいと思う。
『ソラリス』はマイクル・クライトンの『スフィア』に似ているのだが、『スフィア』のほうがおもしろかった。

ここ最近読んだSF小説を順位付けすると、
1位 『幼年期の終わり』(クラーク)
2位 『夏への扉』(ハインライン)
3位 『ボッコちゃん』(星新一)
4位 『ソラリス』(レム)
となる。おもしろいので、SF小説であればなんでもかんでもこの順位表に追加していってみよう。
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SF漬け

2011年04月18日 00時36分28秒 | 文学
『星新一 一〇〇一話をつくった人』(最相葉月著)という本を読んでいる。作家星新一に対してはあまり関心はないのだけれど、当時の日本のSF文学界には興味がある。
いまはまだ星新一の父親の星一についての話。早く星新一が作家にならないかなあと思いながら読んでいる。

その他、スタニスワフ・レムの『ソラリス』も読んでいる。
ソダーバーグの映画は見たことはあるのだけども、あまり印象に残っていない。ソダーバーグの映画があまりおもしろくなかったので、そのあと見ようと思っていたタルコフスキーの映画『惑星ソラリス』も見ていない。タルコフスキーの映画は『ストーカー』と『サクリファイス』は見た。どちらも眠い映画だった。なぜタルコフスキーの映画を見たかというと、大江健三郎の『静かな生活』にタルコフスキーの『ストーカー』についてかなり詳細な説明が書かれていてそれで興味を惹かれて見た。
で、スタニスワフ・レムの『ソラリス』なのだが、たぶんこれはものすごくおもしろいのだろうと思う。わくわくする。
神様にしても死者にしても宇宙人にしても、自分の思想の延長線上にいるうちはまだまだで、例えば神であれば、人間が悪いことをすれば罰を与えているうちはまだまだなのだ。そのような人間の道徳で推し量れて、これが悪かったからいま私は罰せられていると想定できるような、道徳のお化けのような存在として神を想定してはいけない。
私たちの善とか悪とかそんなものを理解するのかどうかすら、そもそも何事かを考えているのかすら想像できないような、そんなものとの接触をテーマにした小説というのはおもしろいと思う。たぶんそれが『ソラリス』なのだと思う。たのしみだ。
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加藤典洋『さようなら、ゴジラたち』感想

2011年04月17日 00時05分45秒 | 文学
加藤典洋『さようなら、ゴジラたち――戦後から遠く離れて』(岩波書店)を図書館で借りて読んだ。
加藤典洋の『敗戦後論』は発表されたときに評判になって、僕も読んだのだけれど正直言うとピンと来なかった。今回この、『敗戦後論』以降に発表された論文を集めた本を読んで、あのときよりはよく理解できたように感じる。
もっともおもしろいと思ったのは「戦後を戦後以後、考える――ノン・モラルからの出発とは何か」で、若い世代が社会とのつながりをどのように感じたらよいのか、その感じ方がわかっていないのではないかということについての論文だ。大きな社会問題には関心を持つけれど、身近な問題にはあまり関心がない若者について、
≪その時僕が感じたのは、いまの学生が社会的な関心をもつことへの、ただならない「難しさ」というようなことです。僕は、強いクスリにしか反応しない抗薬物性の身体がここにある、と感じました。≫(35頁)
≪でも、なぜこうなってしまうのでしょうか。それは、彼らが社会的なことがらと通常のつながりをもてないでいるからです。いわば「ただの社会的なこと」だけでは関係を作れないくらい、彼らの内部の社会性の基部は弱くなっている。そのため誰か可哀想なひとがいるのを見て助けたいと思っても、偽善者だと思われるのを怖れて行動を起こせない。神戸の大震災くらい大きな「不幸」が現れて、やっとはじめて社会的な行動を起こせる。≫(36頁)
これはほんとうに僕らの世代の大きな問題であるのだろうな、といま大きな「不幸」が現れている時期であるだけに余計に強く思った。僕らはたぶん前の世代が感じていたらしい社会とのつながりの感覚というものをおそらく持てていない。
もうひとつ、「シューティング・スポット」の話もおもしろかった。
待ち合わせをしているときに、待ち合わせのその場所(たとえばハチ公前)ではなく、その場所が見える場所にいて、相手が来るのを待つということがある。その、待ち合わせ場所を見ている場所を「シューティング・スポット(狙撃地点)」と言うらしい。
≪ものを考える上で大切なのは、むしろ自分を狙撃される位置、ハチ公の位置に立たせることだ。そうでないと、その「考えること」は、結局その人自身の身にならないだろう――。≫(48頁)
これは、ほんとうに、ほんとうに、その通りだろうな、と深く反省した。

この論文に感銘を受けすぎて、そのほかの、憲法九条の話も『ゴジラ』の話も『千と千尋の神隠し』の話も、おもしろかったのだけれど、そこまでの衝撃はなかった。久しぶりに読んだ加藤典洋はやっぱりすごかった。
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