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猪瀬直樹『ピカレスク 太宰治伝』

2012年11月25日 21時19分43秒 | 文学
このところ猪瀬直樹を読んでいるので、『ピカレスク 太宰治伝』(小学館)を再読した。とてもおもしろかった。
太宰治の戦中戦後の作品はほんとうに充実しているなと思った。まとめて読みたくなった。
この本は太宰治の遺書のことば「井伏さんは悪人です」の謎を解明することで引っ張っていき、確かに井伏鱒二を悪人のように描くのだが、ほんとうにそうなんだろうかという気持ちがどうしても残る。猪瀬直樹が井伏鱒二のような、曖昧にしか返事をせず、断るべきときや言うべきときに何も言わない人間が嫌いなことはよくわかったのだが、果たしてそれがそのまま太宰治にも当てはまるのかどうかはわからないと思った。
太宰治が井伏鱒二の選集を編むときに「薬屋の雛女房」を初めて読み、それで井伏のことが嫌になる大きな原因であったというようにこの本には書いているのだが、自分も身辺のことを題材に小説を多く書いている人間がそんなに決定的に傷つくかなと疑問に思う。

しかしひとつの物語としてとてもおもしろい本だと思う。
太宰治のことをよく知りたいと思ったら読むべき本の筆頭だと思う。
太宰治の左翼活動について、あまり大きく取り上げられることは文学史ではないのだが、詳しく書かれている。
『マガジン青春譜』の川端康成と大宅壮一のその後も描かれ、『ピカレスク』を読む前には『マガジン青春譜』を読むべきなのだなと思った。

引き続き猪瀬直樹を読もうと思い、図書館で借りた『構造改革とはなにか 新篇日本国の研究』を読んでいるのだが、何の味もついていない食パンを食べているような感じで、私にはこの本は無理かもしれない。文学と政治がちょうどよいバランスでないと読めない。興味が続かない。
次は『こころの王国』を読もうと思う。

ノンフィクションがおもしろいので、他におもしろそうなものはないかと考え、カポーティの『冷血』はどうかなと思っている。殺人事件なのでちょっとどうかな。
ほかに何かないだろうかと考えて、江藤淳の『漱石とその時代』は猪瀬直樹の書いているものと雰囲気が近いのかもしれないと思い至る。
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『小林秀雄全作品 25』

2012年11月24日 17時47分53秒 | 文学
『小林秀雄全作品 25』を読んだ。
数学者岡潔との対談「人間の建設」が中心。
他には「常識について」というデカルトについて書かれたものもあった。デカルトについてはアランを読んでいたときに関連で読んだことがあるのだが、また『情念論』などを読みたくなった。しかし全体的には何を言っているのかよくわからなかった。

小林秀雄は井伏鱒二の評価が高い。いま猪瀬直樹の『ピカレスク』を読んでいるのだが、猪瀬直樹は井伏鱒二に個人的な恨みがあるのではないかと言うくらい評価が低い。井伏がどんな行動をとろうが悪くとる。
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小林秀雄「考えるヒント」後半

2012年11月20日 22時45分32秒 | 文学
昨日インフルエンザの予防接種を受けたら今朝寒気がして少し熱があった。
いまはだいぶ楽になったのでおそらく予防接種のせいなのだろう。

『小林秀雄全作品 24』を読んだ。「考えるヒント」の後半部分が入っている。
荻生徂徠の話が中心で難しい。わかるところもあればわからないところもある。
成熟するにはどうしても年齢を重ねる必要がある、というようなことを言っている部分があり、「そうかもな」と思った。
「ネヴァ河」という文章で、ドストエフスキーの『死の家の記録』について語られていて読みたくなった。
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太宰治についての講演ふたつ

2012年11月19日 20時08分19秒 | 文学
図書館で、太宰治についての講演CDを二つ借りてきて聞く。
猪瀬直樹の「今解き明かされる文豪たちの謎 第十一巻 太宰治」と井上ひさしの「井上ひさし講演 名優 太宰治」。
どちらもおもしろかった。
太宰治には味の素信仰があり、睡眠薬にも味の素をかけて呑んだという井上ひさしの話が印象に残った。
猪瀬直樹の話では、プロレタリア文学は労働者の運動というよりもハードボイルド小説で、横光利一の影響があり、芥川龍之介が死んだあとにモデルを失った太宰治がプロレタリア文学に乗り換えた、というのがおもしろかった。芥川龍之介の小説は理知的だけれどもたいしたことは書いていないというのも印象に残った。
猪瀬直樹は文学を崇め奉らないのが良いと思う。
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猪瀬直樹『ペルソナ 三島由紀夫伝』

2012年11月17日 20時11分13秒 | 文学
猪瀬直樹『ペルソナ 三島由紀夫伝』(文春文庫)を読んだ。
『マガジン青春譜』と違って(覚えていないがおそらく『ピカレスク』とも違って)、この本では「僕」という一人称で作者が登場する。それが違和感があった。突然「僕」が何度か出てくるのだが、これが三島由紀夫の書いたものからの引用のように勘違いさせる部分があった。
三島由紀夫については『鏡子の家』に少し興味を惹かれたが、たぶんつまんないだろうなと思っている。川端康成同様、三島由紀夫の小説でもおもしろいと思ったものがほとんどない。
『豊饒の海』の四部作については、読みながらおもしろくなくて気分が憂鬱になった。今だったら読めない。
猪瀬直樹はこれまでの文学史ではあまり語られることのなかった、原稿料などの経済的な面を語り、とてもおもしろい。売れないものこそ文学で、お金について考えるなど文士とは言えない、みたいな思想が日本の純文学史にはあって、しかしそれでもお金に引きずられる面は大いにある、というようなことを考えさせる。
三島由紀夫の最期の事件について詳しく書かれていたのでどのようなことがあったかはよくわかったのだが、時代の雰囲気が僕には理解できないところがあり、なんで三島由紀夫がそんなことを考えたのか、なんで楯の会の若い人は三島由紀夫につき従ったのか、わからなかった。同じ時代を生きていないとわからないことってあるなと思う。

これで猪瀬直樹が日本の文学史について書いたノンフィクションは全部読んでしまった。
なんだか読むものが全くなくなってしまった気分。
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川端、三島

2012年11月12日 21時56分40秒 | 文学
昨日車に乗っているときにFMをつけていたら、川端康成の『古都』について話していた。
つい先日猪瀬直樹の『マガジン青春譜』を読み終えたばかりで、川端康成に少しだけ興味があるのでラジオを聴いていた。あとで調べたら小川洋子のラジオ番組だったのだが、あまり『古都』そのものは読みたくはならなかった。
昔テレビで山口百恵の映画がやっていて、離れ離れの双子が出会う話だったのだが、あれが『古都』だったのだろうなと思う。
川端康成では『眠れる美女』に興味があるので、読むのならまずはこれを読むと思うが、川端康成の小説をおもしろいと思ったことが一度もないのであまり読む気がしない。

いまは引き続き猪瀬直樹の『ペルソナ 三島由紀夫伝』を読んでいる。
ずっと昔に買ってほったらかしにしていたのだが、良い機会なので読む。
なんでこれまで読まなかったのかというと、読めなかったのだろう。第1章は三島由紀夫はほぼ登場せず、三島の祖父の平岡定太郎の話がえんえんと続く。当時の政治状況について詳しく書かれる。
三島由紀夫に興味があって読み始めたのに三島由紀夫がぜんぜん登場しないと思ってこの本を投げ出した人は多かったのではないかと思う。
政治と文学史を分けて記述することに違和感を感じてこのような記述を猪瀬直樹はしているのだろうから、その意図には合っているのだろうが、それにしてもやりすぎのような気がする。
三島由紀夫のことを語るのにその祖父から語るというのは、橋下徹の言うところの血脈主義なのだろうか。
いまは三島の父の平岡梓の変人ぶりが語られている。
三島由紀夫の幼少時代の話は、いつ聞いても悲しい気持ちになる。
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このところ見ているテレビについて

2012年11月07日 22時42分50秒 | テレビ
テレビ番組「世界は言葉でできている」を見ていたら、司馬遼太郎の名言が出てきて、名言自体にはそれほどの感銘を受けなかったのだが、思いつくことがあった。
昨日猪瀬直樹の『マガジン青春譜』を読んだのだが、猪瀬直樹のやっているのは司馬遼太郎のやってたことと同じなのだろうなと思った。何をやろうとしているかを僕なりの言葉で言うと、小説から文学らしさを排除すること。司馬遼太郎も文学らしい文章は書かずに、思いつきで書いているような、型にはまらない書き方だった。たぶん、猪瀬直樹もそんなところを目指しているのだと思う。だから、関川夏央が解説を書いていたのだろう。

ついでに最近のテレビについて書いておく。
「世界は言葉でできている」以外で最近見始めたのは、(といっても一回目はきちんと見たが二回目は最後しか見れなかった)「アイアンシェフ」。「料理の鉄人」をわりと熱心に見ていたので懐かしくて見てしまう。
「料理記者暦四十年」の岸朝子とか「かの魯山人の愛弟子」平野雅章が登場しないかと思って見たが登場しなかった。
料理で対決という発想はこの番組までなかったと思う。
「ぴったんこカン・カン」と放送時間が重なっているのでどちらを見るか迷うという、最近では珍しい気持ちになった。どちらも録画して見るほどの番組ではない(または録画するのが恥ずかしい)というところで競り合っているのが奇跡的。

そのほかでは「実験刑事トトリ」というNHKのドラマの一回目を見た。
ジョニー・デップみたいになってる三上博史が魅力的なのだが、それだけで、脚本がいまいちかもしれない。でも気軽に見られる推理ドラマなので続けて見るかもしれない。

新しく見始めたのはそのくらい。
逆に「アメトーーク!」は録画だけして見ていない。
「A-Studio」は連ドラ予約をやめてしまった。ゲストがドラマや映画の宣伝のためにやってくるだけの普通のトーク番組になってしまった。
「アシタスイッチ」はゲストに興味がないと早送りして来週のゲストだけ確認している。これも名越康文をチュートリアル徳井に変えてからおもしろくなくなった。
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猪瀬直樹『マガジン青春譜 川端康成と大宅壮一』

2012年11月06日 22時47分17秒 | 文学
猪瀬直樹『マガジン青春譜 川端康成と大宅壮一』(小学館)を読んだ。
とてもおもしろかった。川端康成の気色悪さがよくわかる。
もともと川端康成に興味があり読み始めて、川端康成の小説のブックガイドのようなものを期待していたのだが、川端康成の小説については初期のものしか登場しなかった。昭和に入ったところでこの小説は終わる。
映画の、『ドライビング Miss デイジー』でも『ベンジャミン・バトン』でもいいのだが、主人公の死ぬまでを描く長い映画を見ると、「死ぬまでやるなよ、長いよ」とよく思うものなのだが、この小説は川端康成の死ぬまでを描いてほしかった。
そのくらいおもしろかった。

芥川龍之介の自殺についても明確な理由付けがされていて、確かに僕らは文学者の自殺についてあまりに文学的でロマンティックなものを感じすぎているのかもしれないと思った。

島田清次郎(略して島清)というベストセラー作家がいたことを知った。とんでもないひとがいたんだなと思った。
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岡本太郎『青春ピカソ』

2012年11月04日 11時15分27秒 | 文学
岡本太郎『青春ピカソ』(新潮文庫)。
西岡文彦『ピカソは本当に偉いのか?』を読んだついでに、岡本太郎のこの本も読んでみた。
ルーブル美術館でセザンヌとピカソを見て泣いた話が最初にあったが、そこがもっともおもしろかった。解説にもあったが、絵を見て泣くということがちょっといまでは考えられない。
たぶん、ほんものを見る前にいろいろな情報が入りすぎていて、実際に経験したときの感動を味わう力が衰退していると思う。

ピカソ関係では次は小林秀雄の『近代絵画』を読む予定。
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コナン・ドイル『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』

2012年11月01日 22時08分06秒 | 文学
コナン・ドイル『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』(光文社文庫)を読んだ。
結構前に山本周五郎の『寝ぼけ署長』を読んで、その後ポーの短編集を読み、引き続きホームズの未読のものを読もうと思い読み始めた。会社の往復で少しずつ読んだので時間がかかった。
印象も薄い。
印象が薄いのは時間がかかったせいだけではなく、あんまりおもしろくなかったせいもあると思う。
奇妙な殺人事件が起こった。その原因は奇妙な症状を起こす薬が使われていたからだ。というような、ちょっと無理やりな感じの話が多い印象だった。

続けて未読のものをすべて読もうと思っていたのだが、たぶん続かない。
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