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芥川龍之介を求めて、丸山眞男へのキセキ

2012年06月25日 00時14分08秒 | 文学
テレビ番組「スマステーション」の映画コーナー「月イチゴロー」を見ていて、『幸せへのキセキ』に興味を持つ(稲垣吾郎の評価は一位)。
タイトルがちょっとどうかと思うのだけれど、監督がキャメロン・クロウなので少しだけ期待できる。少しだけ、というのはこの監督の作品で『あの頃ペニー・レインと』は好きなのでそんなような感じだったら良いと思う。

ボルヘスの『伝奇集』はやっぱり私には難しいと思うのだけれど、読んでいたら確か「アル・ムターシムを求めて」という短編で、死体から金品を盗むひとの話がちょっとあり、芥川龍之介の「羅生門」みたいだなと思った。そんなことを考えて、ボルヘスを読むよりも芥川龍之介を読んだほうがずっとおもしろいのではないかと思い始めている。芥川龍之介をまとめて読むのも楽しいかもしれない。いや楽しいに違いない。

橋爪大三郎の『政治の教室』がいまいちだったので、『丸山眞男セレクション』(平凡社ライブラリー)を読んでいる。そのなかの「国民主義の「前期的」形成」を読んだ。
幕末の話は好きだ。ところどころ古文があったりして難しいのだが、言っている内容はわかる。黒船がやってきたことによって「国民」という観念が出来上がっていったことが詳しく書かれている。
それにしても、もう少しわかりやすい「現代の丸山眞男」みたいなひとはいないのだろうか。別に私は政治学を詳しく勉強したいわけではなくて、新聞を読んだりニュースを見たりする程度の、政治への興味・関心を持ちたいだけだのだが。政治について知りたいと思うと、難しめの政治学の本か、いまの政治批判をする本か、どちらかしかないように見えるので、難しめの政治学の本を読むことになってしまう。こうやって見れば新聞がおもしろくなりますよ、みたいな本が読みたい。
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庄司薫『ぼくの大好きな青髭』感想

2012年06月21日 23時36分04秒 | 文学
庄司薫『ぼくの大好きな青髭』(新潮文庫)を読んだ。
ぜんぜんわけがわからず、おもしろくなかった。
庄司薫は最初読んだ『赤頭巾ちゃん気をつけて』がもっともおもしろく、それからだんだんおもしろくなくなっていった。
『ぼくの大好きな青髭』はなぜこんなことになったのか意味が分からない。どこらへんに作者の思いがあるのかよくわからなかった。
後期村上春樹的というか、解説で坪内祐三が言うように『1Q84』に似たような感じではある。『赤頭巾ちゃん気をつけて』から『ぼくの大好きな青髭』への流れは、『ノルウェイの森』から『1Q84』への流れに通じるかもしれない。
『赤頭巾ちゃん気をつけて』は今後も読み返すことがあるかもしれないが、他の三作はないだろうと思う。

ボルヘスの『伝奇集』の最初の作品「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」を読んだ。うちにある『集英社ギャラリー「世界の文学」』のラテンアメリカ編で収録されているもので、これまでなんどか読もうとしたのだが、最後まで読み切ることはできていなかった。今回岩波文庫版を買って、やっと読めた。二十年近くかかった。こんなに短い短編を読み切るのに二十年近くかかるとは、まさに「ボルヘス的」と言えるだろうか。
しかし、もちろん、というか何と言うか、そんなにおもしろくなかった。よくわからなかった。
少しおもしろい部分もあったのだが(トレーンでは空間的ではなく時間的にとらえる、のあたりとか)、しかし全体通して見るとよくわからず、こんなものを「おもしろい」と言ってしまうのはスノッブというか、私の中の太宰治が「嘘をつけ」とか「威張るな」とか言いそうで、どうもそう簡単にはいかないのである。
もう少し、他のものも読んでみよう。
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庄司薫『さよなら快傑黒頭巾』感想

2012年06月18日 00時31分06秒 | 文学
庄司薫『さよなら快傑黒頭巾』(新潮文庫)を読んだ。
これまで『赤頭巾ちゃん気をつけて』と『白鳥の歌なんか聞えない』を読んできて、何を言っているのかよくわからないということはなかったのだが、今回はよくわからなかった。
男の子が大人になるには、それまでの総括を行わなければならないときがある、というようなことを言っているような気がするが、自分の経験として重ね合わせることができないのであまり理解できない。学生運動をしていたひとが、教授の紹介で結婚したりきちんと就職することに対してまわりの同意を得るとか得られないとかいうことが、当時はあったのだろうけれど、これは僕らで言うところの何なのだろうか。
ちょっと想像しにくくて理解が及ばなかった。
登場人物がやたらと「まいったまいった」と言うのだが、これは流行語か何かだろうか。村上春樹の「やれやれ」みたいなものだろうか。それと「猛烈○○」というのも独特な言い回しだ。「猛烈に○○」ではなく「猛烈○○」。
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橋爪大三郎『政治の教室』感想

2012年06月16日 19時26分47秒 | 文学
橋爪大三郎『政治の教室』(講談社学術文庫)を読んだ。
お金の話と政治の話はどうにも苦手で、小耳にはさむのも嫌いなのだが、それではいけないのではないかと前々から思うし、苦手だと思っているのもこれまでの生活環境によって思わされている部分があるのだろうから、もう少しその外側から眺められるようにならなければなるまいと思い、このような本を読む。
しかし期待したような本ではなかった。
どういう本を期待していたかというと、少しずつでも政治に興味を持ているようになり、明日から新聞を読もうと思わせるようになり、今度の選挙(いつあるのか知らないが)にも積極的に投票に行こうと思わせるようなそんな本を期待していたのだが、ぜんぜんそんな風にはならなかった。
日本の政治状況はぜんぜん「ほんとうの」民主主義ではなく、二大政党制が正しいのにそのようにはなってなくて、欧米(とくにアメリカ)の政治はすばらしい、というような印象の本だった。
思うに、そんなふうにアメリカが正しいと言われて日本の政治に参加しようと思う人っているのだろうか。
本の最後に「草の根民主主義のつくり方10カ条」というものが載っているが、橋爪大三郎自身は実践しているのだろうか。できないのならなぜ自分がやらないのかよく考えたほうがいいと思う。
私にとっての政治の教科書になるかと期待したが、ぜんぜんそんなものではなかった。残念。
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庄司薫『白鳥の歌なんか聞えない』感想

2012年06月14日 23時14分14秒 | 文学
庄司薫『白鳥の歌なんか聞えない』(新潮文庫)を読んだ。
『赤頭巾ちゃん気をつけて』のほうがおもしろいと思う。
テーマは大変興味深かった。純文学のテーマは、死への憧れとか感傷的な気分みたいなものを取り上げることが多い(というかほとんど?)のだが、今回のテーマはそれらとの戦いという、純文学としては自分自身との戦いというようなものだ。これはすごいことだと思う。あまり他で見たことがない。
しかしうまく戦えていたか、勝ったか、といえば、少なくとも勝ってはいないという印象だ。うまく戦えていたかも「微妙」だ。
最後は木から折った花のついた枝を由美にプレゼントしたりして、センチメンタルとの戦いが終わった後に自分がセンチメンタル、というものだった。センチメンタルとの戦いの難しさを感じる。

ちょうど『ゲーテとの対話』でゲーテが、最近の文学は病んでいる人たちばかりが登場する「病人文学」だというようなことを語る場面があった。暗い気持ちには生きていればいくらでもなれるのでそんなものは読みたくない、というように言っていた。
ゲーテに激しく同意!

庄司薫はすごいテーマに挑むと思う。
読んでいてテーマがわかりやすいのもよい。
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エッカーマン『ゲーテとの対話(上)』

2012年06月13日 21時49分06秒 | 文学
エッカーマン『ゲーテとの対話(上)』(岩波文庫)を読んだ。
ずいぶん前に読み始め、しばらく放っておいたのだけれど通勤時に読む本がなくなったので読んだ。なので、最初のほうに書いてあったことは思い出せない。最初のほうに書いてあったことのほうがおもしろかったように思うのだけれど。
いまは中巻を読んでいる。

岩波文庫で少しずつ出ているので、ボルヘスが気になりだしている。
『伝奇集』と『不死の人』と『ブロディーの報告書』あたりから始めてみようかと思う。昔から気にはなりながらも、「私にはとてもとても……」と思いきちんと読んだことはない。

庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』に続き、『白鳥の歌なんか聞えない』を読んでいる。
前作が時代精神との闘いというテーマであったとしたら、今回はセンチメンタルとの闘いといえると思う。主人公の幼馴染、由美がセンチメンタルに陥り、主人公はそこから彼女を救う、そういう話なのだろうと思う。
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イタロ・カルヴィーノ『なぜ古典を読むのか』

2012年06月11日 23時29分19秒 | 文学
イタロ・カルヴィーノ『なぜ古典を読むのか』(河出文庫)を読んだ。
「なぜ古典を読むのか」について書かれているのは最初だけで、あとはいろいろな作家の作家論集というか、作品論集だった。馴染みのない作家も多く、読まなかったものも多くある。
興味を持ったのは、ヘミングウェイとボルヘスとトルストイとトウェインくらい。つまり、もともと興味のある人にしか興味を持たなかった。もう少し簡単な本を求めていたのだが、難しい内容だった。
ヘミングウェイについて、はじめは好きだったがだんだん好きじゃなくなった、というように書かれていた。ヘミングウェイについて、このように言われるのを何度か聞いた。それ以外を聞いたことがないくらい同じ語られ方をする。かわいそうなヘミングウェイだと思う。僕のヘミングウェイについての評価としては『老人と海』だけがおもしろく、そのほかの評価の高い初期の短編だったり、『日はまた昇る』だったりも、どこがおもしろいのかよくわからない。一番最近読んだ『移動祝祭日』はおもしろかった。というような感じ。
ボルヘスについてはいつかまとめて読みたいとずっと思いつつ、読んでいない。
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庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』感想

2012年06月10日 00時53分47秒 | 文学
庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(新潮文庫)を読んだ。
十年くらい前に中公文庫でこの小説を読んだときはあまりピンと来なくて、語り口の読みやすさと、登場する芸能人の名前の古臭さだけが目についただけだったと思うのだが、今回読んでみて、ものすごくおもしろいと思った。素晴らしい。これは四部作すべてを読む必要がある。
知性を持って生きていくとはどういうことかを考えさせる小説だった。
若者はこういうものであるという姿がはっきりとあるときに、それに逆らうわけでもなく、自分で考えて、自分のやり方が世間から馬鹿にされるようなものであっても、それが好きならばそのように生きていくという、そういうことが書いてあった。
主人公が立ち向かうのは、同時代の学生運動的なものだったり、自分自身の性欲であったりする。
確かに、登場する芸能人の名前は酒井和歌子だったりいしだあゆみだったりして相当古臭いのだが、書いてあることはいまでもきちんと通じるものだと思った。
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吉川英治『宮本武蔵』(七)(八)

2012年06月05日 20時49分59秒 | 文学

吉川英治の『宮本武蔵』(七)と(八)を読んだ。
読み終わってみれば、読まなくてもよかった本ではあるが、気になっていたので読んで良かった。
それ以上に特別な感想は今のところ、ない。
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吉田秀和とか庄司薫とか

2012年06月03日 23時24分06秒 | 文学
音楽評論家の吉田秀和の追悼番組をNHKで放送していたのを録画して見る。
吉田秀和については何度かクラシック音楽に興味を持った時に読もうとしたことがあるのだが、代表作がなんなのかわからないことと、朝日新聞の連載を見ても敷居が高そうで、読んでいない。朝日新聞の連載は丸谷才一、大江健三郎と並んで最後まで読み切ることのできない連載だった。
はっきりとした代表作があるというのは、まったくの初めての読者にはとっつきやすいものだ。
江藤淳であれば『成熟と喪失』、吉本隆明であれば『共同幻想論』、小林秀雄であれば『無常という事』を読めばいいというふうに思えるのだが、吉田秀和ははて何を読むべきかよくわからない。クラシック音楽のこともよく知らないし。
今度本屋の追悼コーナーができたら見てみようと思う。

その反対で、代表作が何かわからないのではなく、代表作しか知らないというパターンもあって、庄司薫については代表作しか知らない。
『赤頭巾ちゃん気をつけて』とそれに続く四部作が新潮文庫でなぜだか刊行されているので、気になっている。『赤頭巾ちゃん気をつけて』だけ以前読んだことがある。
しかし『赤頭巾ちゃん気をつけて』シリーズを読むのであれば、橋本治の『桃尻娘』シリーズも読むべきだろうと、わたしのなかの文学オタクの悪魔がささやくので、ちょっとそれはしんどいなと思うのである。
吉川英治の『宮本武蔵』がもうすぐ終わるので次に何を読もうか考えている。
『宮本武蔵』はついにお杉婆が回心した。お通の味方になってしまった。じゃあいままでのひどい姑っぷりはいったいなんだったんだろうと思う。
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