会社に弁当を持っていってたのに、それを忘れていた。
家に帰ってから食べた。
たいへんにショックな出来事だった。
前回も、前々回も触れたテレビ番組「みのもんたの”さしのみ”」が9月いっぱいで終了するらしい。
これは全然ショックではない。
思うに、みのもんたは”さし”で”のむ”という形式に向いていないと思う。
不特定多数の視聴者に対してや電話を通じて、一方的に話しかけるほうが向いている。または黙り込んで、正解か不正解かをなかなか発表しない、というほうが得意だ。話すことよりも話すのを見せるのが好きなんだと思う。
一対一の対話、しかも観客なし、はだめだ。
と思う。
よしもとばななの短編集「デッドエンドの思い出」(文春文庫)を読んだ。案外面白かった。
案外、というのはあまりにも「最高傑作」、「(作者自身がこの作品を)いちばん好き」と宣伝しているので警戒していたから。
昔、村上龍の「五分後の世界」が出たときに、村上龍がすごくよく出来た、というふうに言っていて、そうなの? と思って読んだらそうでもなかったことがあったので。
デッドエンド(dead end)とは何のことかと思ったら、「行き止まり」のことらしい。「袋小路」という名前の店が登場するのでそのことなんだと思う。
二番目の「「おかあさーん!」」と表題作「デッドエンドの思い出」が面白かった。
家業を継ぐこと、川が流れるという比喩、虐待などの暴力、が短編集全体に共通していると思う。
歴史の大きな流れのなかに含まれることは心地いい、そこでは個人の苦しみや悲しみも流れていく、というようなイメージかなあ。
「「おかあさーん!」」で最初に毒を食べて苦しみを抱えた主人公が、最後に夢で黒い虫の入ったご飯を吐き出して、母親の愛情に充たされるところ。「デッドエンドの思い出」で昔の彼氏の車の助手席に、別の男の子の運転で乗るところ。
などが好き。
家に帰ってから食べた。
たいへんにショックな出来事だった。
前回も、前々回も触れたテレビ番組「みのもんたの”さしのみ”」が9月いっぱいで終了するらしい。
これは全然ショックではない。
思うに、みのもんたは”さし”で”のむ”という形式に向いていないと思う。
不特定多数の視聴者に対してや電話を通じて、一方的に話しかけるほうが向いている。または黙り込んで、正解か不正解かをなかなか発表しない、というほうが得意だ。話すことよりも話すのを見せるのが好きなんだと思う。
一対一の対話、しかも観客なし、はだめだ。
と思う。
![デッドエンドの思い出](http://images.amazon.com/images/P/4167667029.01._SCMZZZZZZZ_V64517885_.jpg)
案外、というのはあまりにも「最高傑作」、「(作者自身がこの作品を)いちばん好き」と宣伝しているので警戒していたから。
昔、村上龍の「五分後の世界」が出たときに、村上龍がすごくよく出来た、というふうに言っていて、そうなの? と思って読んだらそうでもなかったことがあったので。
デッドエンド(dead end)とは何のことかと思ったら、「行き止まり」のことらしい。「袋小路」という名前の店が登場するのでそのことなんだと思う。
二番目の「「おかあさーん!」」と表題作「デッドエンドの思い出」が面白かった。
家業を継ぐこと、川が流れるという比喩、虐待などの暴力、が短編集全体に共通していると思う。
歴史の大きな流れのなかに含まれることは心地いい、そこでは個人の苦しみや悲しみも流れていく、というようなイメージかなあ。
「「おかあさーん!」」で最初に毒を食べて苦しみを抱えた主人公が、最後に夢で黒い虫の入ったご飯を吐き出して、母親の愛情に充たされるところ。「デッドエンドの思い出」で昔の彼氏の車の助手席に、別の男の子の運転で乗るところ。
などが好き。