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ダブログ宣言!

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☆よしもとばなな「デッドエンドの思い出」を読んだ

2006年08月30日 22時11分20秒 | 文学
会社に弁当を持っていってたのに、それを忘れていた。
家に帰ってから食べた。
たいへんにショックな出来事だった。

前回も、前々回も触れたテレビ番組「みのもんたの”さしのみ”」が9月いっぱいで終了するらしい。
これは全然ショックではない。
思うに、みのもんたは”さし”で”のむ”という形式に向いていないと思う。
不特定多数の視聴者に対してや電話を通じて、一方的に話しかけるほうが向いている。または黙り込んで、正解か不正解かをなかなか発表しない、というほうが得意だ。話すことよりも話すのを見せるのが好きなんだと思う。
一対一の対話、しかも観客なし、はだめだ。
と思う。

デッドエンドの思い出よしもとばななの短編集「デッドエンドの思い出」(文春文庫)を読んだ。案外面白かった。
案外、というのはあまりにも「最高傑作」、「(作者自身がこの作品を)いちばん好き」と宣伝しているので警戒していたから。
昔、村上龍の「五分後の世界」が出たときに、村上龍がすごくよく出来た、というふうに言っていて、そうなの? と思って読んだらそうでもなかったことがあったので。
デッドエンド(dead end)とは何のことかと思ったら、「行き止まり」のことらしい。「袋小路」という名前の店が登場するのでそのことなんだと思う。

二番目の「「おかあさーん!」」と表題作「デッドエンドの思い出」が面白かった。
家業を継ぐこと、川が流れるという比喩、虐待などの暴力、が短編集全体に共通していると思う。
歴史の大きな流れのなかに含まれることは心地いい、そこでは個人の苦しみや悲しみも流れていく、というようなイメージかなあ。

「「おかあさーん!」」で最初に毒を食べて苦しみを抱えた主人公が、最後に夢で黒い虫の入ったご飯を吐き出して、母親の愛情に充たされるところ。「デッドエンドの思い出」で昔の彼氏の車の助手席に、別の男の子の運転で乗るところ。
などが好き。
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☆網野善彦「日本の歴史をよみなおす(全)」感想

2006年08月29日 01時02分24秒 | 文学
日本の歴史をよみなおす (全)網野善彦の「日本の歴史をよみなおす(全)」の後半を読んだ。
ちょっと疲れた。
前半ほどは面白くなかった。
百姓が農民ではないことだけはわかった。

「みのもんたの”さしのみ”」を見た。
やはりこの番組は面白くない。
ゲストと話がかみ合っていないんじゃないかといつも思う。
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☆地デジがやってくるという噂

2006年08月28日 15時32分07秒 | テレビ
今日の「みのもんたの”さしのみ”」のゲストはおすぎ。
あの番組はどうせ面白くないだろうけれど、見てみようかな。

僕は映画を見るときもテレビ番組を見るときも、画面が大きかろうが小さかろうがどっちでもいいと思っている。テレビ画面の縦横の比率が変わったときも、はじめは気になったがもう慣れた。
テレビで映画を見るときに画面の上下が切られて黒くなっていても、いなくてもどっちでもいい。
どちらかといえば画面のサイズなどよりも、DVDを借りて外国映画を見るときは吹き替えで見るので吹き替えの声があまりにも小さすぎる場合があるほうが気になる。
日本映画も声が小さい場合が多い。いや、ほとんどじゃないかと思う。
イヤホンで聴くのが前提になっているのかなあ。
ほんとうに日本映画は役者の声が小さい。聞き取れない。
「メゾン・ド・ヒミコ」も小さくて字幕をつけて見たんじゃなかったかな。日本語の勉強をしているみたいだ。
声が小さいのがいいと思っているのかなあ。
平田オリザの舞台の影響か。
たんにうちのテレビの問題なのかなあ。

地上デジタル放送についてもあまり興味がない。
いったいどういうことなのかよく判らない。
どうすればいいのかもよく判らない。
地デジ、地デジと連呼する前にどうすればいいのか(またはどうもしなくていいのか)教えてほしいものだと思う。草なぎ剛の出ているCMを見ても何のことなのかさっぱり判らん。詳しくはホームページを見ろ、ということが最近多すぎるんじゃないかと思う。
インターネットはそんなに普及し、しかもみんな使いこなせているのだろうか。少なくとも僕の両親は使ってない。
なんでテレビのことをインターネットで知らなければいけないのかが判らん。テレビのことはテレビで教えろと思う。
調べなければいけないのかどうかすら判らん。
地デジの仕組みや利点などはどうでもいいから、やるべきことだけを簡単に教えてほしいなあ。そんなに大騒ぎするほどのことなのかなあ。
口コミで伝わってくる、地上デジタル放送が始まる、始まったらテレビを買い換えないといけない、いや買わなくてもいいんだ、という噂話に耳を傾けるたびに思う。
テレビなどまあ見れなくなっても構わないが、「ナイナイサイズ!」が見られなくなると思うと少し寂しい。

追記。
「あまり興味がない」と書きながら、書いてしまえば少し興味が出る。
インターネットでちょっと調べてみた。こことか。
少なくとも、チューナーは買わなければテレビが見られなくなるらしい。しかし「いつまでに」という時期がどうなるかはわからない。
おもしろかったのは、「ポチは見た。」というサイトの、「地デジに踊らされるな!(アナログ放送が終わらない理由)」という記事。
ぎりぎりまで何もしないで良さそう。テレビが映らなくなってから考えようかな、と思った。
「ポチは見た。」は面白そうなので、ほかの記事も読んでみよう。
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☆「幽☆遊☆白書 完全版」2巻を読んだ

2006年08月27日 15時54分54秒 | 漫画
幽☆遊☆白書―完全版 (2)冨樫義博の「幽☆遊☆白書 完全版 (2)」を読んだ。
幽助は霊界探偵となる。
「スケバン刑事」のような設定。
幽助=麻宮サキ、ぼたん=神恭一郎、コエンマ=暗闇指令ということになるのかなあ。
蔵馬の外見は、車田正美の漫画「聖闘士星矢」の瞬のようでもあるが、お母さん思いのところが氷河のようでもある。
ちょっとおもしろくなってくる。
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☆日本の歴史をよみなおす

2006年08月27日 11時58分47秒 | 文学
網野善彦の「日本の歴史をよみなおす(全)」(ちくま学芸文庫)の前半(ちくまプリマーブックス版の「日本の歴史をよみなおす」の部分)を読んだ。
網野善彦は、日本から天皇制をなくしたい。そしてそのときは「日本」という名称も変わればいい、と思っている。
この話が本を読むたびに出てくる。
それはさておき。

今回驚いたのは、まず女性について書かれてあったところ。
性的に相当に開放的だったらしい。
開放的というか、もうとんでもないというレベル。
フリーなセックスは行われるし、離婚も堕胎もぜんぜんオッケーという感じ。
昔から、と思っていることが案外ここ50年とか60年くらいの歴史しかないということは結構あるんだろうな、と思った。いまの性倫理で過去をはかることは本当にできないと思った。
宮本常一の「忘れられた日本人」は読んでおきたい。

《つまり、江戸時代、佐竹を苗字とする大名が官位を天皇からあたえられる場合、(中略)かならず源朝臣某(みなもとのあそんなにがし)という、氏名と姓が書かれるのです。》(p.190)
ここを読むと、「苗字」と「氏名」と「姓」が別の意味で使われていることがわかる。意味がよく判らないので辞書を引いてみる。(以下大辞泉より)

「苗字」:同一の氏(うじ)から分かれ出て、その住む地名などにちなんで付けた名。
「氏名」:氏(うじ)と名(な)。姓名。
「姓」:上代、氏(うじ)を尊んだ称。氏そのもの、または朝臣(あそみ)・宿禰(すくね)など、氏の下に付けてよぶものをいう。また、両者をあわせたものをも「かばね」とよぶ。狭義には、朝臣・宿禰などのことをさす。

判ったような判らないような。
「姓」は「狭義には」って書かれている意味だろうなあ。つまり、
「佐竹」=苗字
「源」=氏
「朝臣」=姓
「某」=名
となるのだろうな。
ついでに「氏(うじ)」も調べてみた。これは大辞林より。

「氏」:事実上あるいは系譜上、同祖から出たものとされる家の集団。古代において支配階級の構成単位をなしていたもの。

すいません、って言いたいくらいよく判らなくなってきたが、「苗字」と「氏」は違う、と憶えておこう。「氏」は書類上のもの、「苗字」はあだ名的なもの、という感じなのかなあ。
知らないことが多すぎる。

もう一点、驚いたのは、
《実際、天皇の称号の定着した持統以来、江戸時代までの天皇は、二、三の例外を除き、みな火葬で、聖武以来仏式》
《昭和天皇のような葬儀や墓は、明治以後になって、天皇号の定まる以前の、いわば古墳時代のころのやり方を「復興」する形ではじめられたので、これを「古来の伝統」などというのは、まったくおかしい》(p.204)
のところ。
なるほど。天皇の歴史は興味深い。

長くなってしまった。
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☆ほしよりこ「きょうの猫村さん1」感想

2006年08月26日 01時01分04秒 | 漫画
きょうの猫村さん「幽☆遊☆白書 完全版」と同じく、貸して頂いたほしよりこの漫画「きょうの猫村さん1」を読む。
設定は「土曜ワイド劇場」の「家政婦は見た!」シリーズの、大沢家政婦協会の市原悦子を猫にしてしまった感じです。
ほぼそのまんま。
違うのは主人公が猫(はるみちゃん)を飼っていないところぐらい。
「家政婦は見た!」については子供のころよく見てたので結構知ってます。
市原悦子も結構かわいいが、猫村さんもかなりかわいい。

漫画の吹きだしの台詞も手書きの汚い文字で書いてあるので最初、だいじょうぶかな? と心配になるが、読んでみるとおもしろい。
続きが気になるか? といえばそうでもないし、自分で買うほどではないが、貸してくれるならば是非読みたい。
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☆「幽☆遊☆白書 完全版」1巻を読んだ

2006年08月25日 23時17分05秒 | 漫画
幽☆遊☆白書―完全版 (1)妻の職場の友人に借りた、冨樫義博の「幽☆遊☆白書 完全版 (1)」を読んだ。
なんだか眠いけれど眠れず、漫画を読む。
しかし漫画といっても読みなれていないので疲れる。どちらかと言えば文字だけの本よりも漫画のほうが疲れるような気がする。時間もかかるし。

「幽☆遊☆白書」はテレビアニメを見ていたことはあって、エンディングテーマである高橋ひろの「アンバランスなKissをして」(YouTube)をカラオケで一度くらいは歌ったこともあると思うけれど、物語の最初の方はきちんと見ていなかった。
大学生の頃だと思う。
なんか寂しい大学生だなあ。
でも「幽☆遊☆白書」だけじゃなく、ちゃんと「あすなろ白書」も見てましたよ。大学生らしく。

第1巻ははっきり言えばつまらない。だらだらしている。絵も顔と身体のバランスが悪いところがよくある。
しかしまあ仕方がない。
「キン肉マン」も最初はつまらなかった。
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☆網野善彦「歴史と出会う」感想

2006年08月25日 00時01分33秒 | 文学
歴史と出会う網野善彦の「歴史と出会う」(洋泉社)を図書館で借りて読む。
この本は読む必要はなかったと思う。
いろいろなものを寄せ集めて一冊にした感じ。

隆慶一郎の「吉原御免状」と「かくれさと苦界行」は、おもしろいのだろうか。しかし読む本はたくさんあるので読まない。
北方謙三の「武王の門」は後醍醐天皇の皇子、懐良(かねよし)親王が主人公。これはそのうち機会があれば。
宮崎駿が対談しているものを初めて読んだ。
「もののけ姫」は室町時代なんだなあ。
あまり好きではなかったけれど、時代設定のことも判らずに「おもしろくない」なんて言ってたら、「黙れ小僧! 貴様にあの映画の何がわかる!」って美輪明宏に怒られるな、確実に。
「士農工商はイデオロギーで、実態では」なく、「明治政府が戸籍をつくるとき、士農工商で分け」た(p.149~p.150)。つまり士農工商は明治になって作られたもの、というのが今回この本を読んでいちばんびっくりしたところだ。
歴史ってなんだかわからんがすごいなあ、と思う。
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☆司馬遼太郎「翔ぶが如く(3)」感想

2006年08月24日 20時32分22秒 | 文学
翔ぶが如く〈3〉司馬遼太郎の「翔ぶが如く(3)」を読んだ。
明治七年一月、岩倉具視が暗殺未遂に遭う。
容疑者として熊本人、宮崎八郎が警察に尾行される。
宮崎八郎は川路利良に尾行をやめてくれと直接言いに行く。
でも断られる。というところまで。

集思社の千絵は架空の人物なんだろうか。
そこが気になる。
いまのところ架空の人物っぽいのはこの人だけだと思う。

出来たばかりの明治の新政府はわりとみんなに嫌われていたんだなあ。
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☆網野善彦「歴史を考えるヒント」感想

2006年08月23日 22時52分26秒 | 文学
歴史を考えるヒント図書館で借りた、網野善彦の「歴史を考えるヒント」(新潮選書)を読み終わった。
おもしろかった。
他の本も読みたいと思う。
にも遊女にも興味はあるが、関東と関西にもっとも興味が持てた。
歴史学といっても文化人類学や民俗学に近いものなんだな、という印象だった。

全然関係ないが、「ゎ」(小さい「わ」)はなぜ存在するんだろうと夫婦で話題になった。いままで使ったことがない。
「今日ゎ」と書くために作られたわけではないだろう。
それにしても、この、なんと呼ばれているのか知らないけれど、できるだけ小さい文字で文章を綴る流行はいつから始まったのだろう。ゎけがゎからなぃょ。
丸谷才一ができるだけ大きな文字で綴つていることへの反動であらうか。てぷてぷ。
話がとんでしまった。
「ゎ」をいつ使うのか、結構考えた。
なんとなく昭和文学で表記される外国文学、特にロシア文学の登場人物に出てきてたような記憶がある。
「イヮン」とか、太宰治や小林秀雄は書いてなかったかなあ。
チェホフ(チェーホフのこと)やルソオ(ルソーのこと)やギョエテ(ゲーテのこと)や沙翁(シェークスピアのこと)と似た匂いを感じる。
しかし違った。
「ゎ」は古文で使ってるのだった。「くゎんおん」(観音)とか。
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