ダブログ宣言!

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iPhone購入

2016年12月25日 23時46分21秒 | 文学
本日iPhoneを購入。
朝10時ちょっと前の開店前にドコモショップに並び(すでに3組ほど待っていた)、少し待たされ、13時くらいに設定が終わって家に帰る。
説明を聞いたり、設定したり、おまけのタブレットについて考えたり、結構時間がかかった。
一番小さなiPhone SEの黒を購入。
買うとやはり嬉しくなっていろいろ触っていたらものすごく時間が経ってしまった。今日は英語の勉強もせずに寝る。
これはいつか本田直之が言っていたように(言ったのはほんとうにずいぶん昔のことだけれど)、携帯電話ではない。電話機能のついたコンピュータだ。
しかし僕にはあんまり使い途がない。
有効利用してみたいものだが、何に使えば良いのかよくわからない。英語の勉強が出来なかったのであんまり良い買い物ではなかったかもしれない。明日から気をつけよう。
とりあえず、正月休みに退屈はしないだろう。

なんとなく乗せられてタブレット(iPadではなくdTabというドコモの商品)まで入手してしまった。
これまでは有線LANケーブルをいちいちパソコンに繋いでインターネットをしていたのだが、Wi-Fiの設定にする。
無線が飛び交っているとなんとなく頭が痛くなるような気がして避けていたのだが、まあいいか。

携帯電話に偏見を持っているせいで、ドコモショップの店員にまで偏見を持っていたのだが、とても分かりやすく説明してくださり、感じが良くてびっくりした。
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新しい携帯電話を検討する

2016年12月24日 02時15分03秒 | 文学
そろそろ新しい携帯電話を購入しようかと思い、ショッピングモールのなかの携帯電話屋に行くが、どこかの子どもらが見本のアイフォンを占有して遊んでいる。大きさを確かめようと思ったが見れない。「買おうと思っているやつが優先だろうが!」と思ったが、怒鳴ることはせずそのほかのものを確認しながら子どもらが去るのを待つ。
もう携帯する電話ではなくて、携帯するおもちゃなのだなと思う。
店員に話を訊こうと思ったが、ちょっと質問するとそれなら番号札をとって並べと言われる。
番号札をとって質問するほどのことはないんだけれど。
しばらく店で見ていると、老人が、さきほど僕に番号札をとって並べと言った店員に「一週間くらいで壊れたから新品と交換しろ」と怒鳴っている。店員は「できない」、老人は「交換しろ」の繰り返しで聞いていて疲れたのでその場を去る。
携帯電話を新しくするのはなかなか前途多難だ。
買うとなればまたものすごく時間がかかるだろうし。

子どもらがいなくなって確認したが、最近の携帯電話はだいだいが大きくて、手のひらに収まるという感じではなく、ポケットに入る感じでもない。
出来るだけ小さくて、持ってても疲れなくて、ポケットに入るくらいの大きさのアイフォンを買いたいと思っている。
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大江健三郎『晩年様式集』

2016年12月20日 09時57分41秒 | 文学
大江健三郎『晩年様式集』(講談社文庫)読了。
何が行われているのかあまりよくわからないままに話が進んで、最後までそれほどの興味を持てぬままに終わってしまった。

もっとも興味を持っていた、長江古義人の子どもの問題だが、彼にはいったい何人の子どもがいるのだろうか。
二人なのだろうか、三人なのだろうか。ずっと二人なのだろうと思って読んでいると最後で七十歳で初孫が出来たという話になり、いったい誰の子どもなんだと思ってしまう。アカリが結婚しているようにも子どもがいるようにも思えないし、真木が結婚しているとも思えない。そして真木はギー・ジュニアと結婚するという話になるし。真木は離婚したという設定なのだろうか。これまでそんな話はなかったはずだが。
ここはもう小説だけ読んでもなんのことだかわからない。
想像するにおそらく、大江健三郎に初孫が産まれたが、その親である長女(か次男)に「私のことを小説に書くのはまだいいけれど、孫のことまで登場させるのはやめてください」と言われたというようなことがあったのではないかと思われる。しかし、初孫の誕生の喜びを書いた詩はここでどうしても使いたくなったのだろう。確かにこの小説の中で、もっとも嘘くさくなく、ちょっと感動できる。
それで真木の設定は未婚のようになっているが、しかし長江古義人には孫が産まれるという奇妙な話になっているのだろう。

そのあたりの家庭のイザコザを素直に書いたほうがよっぽどおもしろいんじゃないかと思う。
期待したほど、長江古義人は三人の女たち(妻、妹、娘)に責められなかった。みんなが大江健三郎風にしゃべりすぎる。あのようにしゃべるひとは私のまわりにはいません。

大江健三郎の長男がほんとうに言った言葉は太字で書かれるという原則に照らしてみると、今回太字になっているのは、《大丈夫ですよ、大丈夫ですよ!(後略)》(25頁)の言葉しかない。あとのアカリがしゃべっていることはほんとうに言った言葉ではないということになる。
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『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』長江家次男問題

2016年12月18日 00時43分04秒 | 文学
大江健三郎『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』(講談社文庫)を読んでいる。141頁まで。
ちょっと文章が入り組んでいて読みにくい箇所がたくさんある。「え? いまだれが何を話してるの?」と思い、立ち止まることが多くある。
ここまででおもしろかったのは、イタリア女性のインタヴューに、娘の真木が父親の代わりに答えるという設定で、
《つまり、ヨーロッパではむしろ普通の、フィクションという約束事に立った上で、しかも「私」に語らせることでのリアリティーをかもしだす意図なのだ。》(112頁)
のあたりの、大江健三郎の自作の意図について語られるところがおもしろかった。
また、『新しい人よ眼ざめよ』から引用されるところがあり、少し興味を持ったので、家にあった文庫本と照合してみた。「イーヨー」を「アカリさん」に変えるなど、適度に変更してあった。
実はここで僕がもっとも興味を持ったのは、『新しい人よ眼ざめよ』ではイーヨーには実際の大江家と同じく弟がいることになっており、この引用部分にも弟の存在が出てくるのだが、そこはそのままになっている。しかし、この長江古義人シリーズ(なんと呼べば良いのかわからないからこう呼ぶ)では、アカリには弟はいないような描かれ方をずっとしている。
この長江家次男問題には今後も注目していきたい。
今作では確か、長女が結婚するらしいので何かしらそのへんが描かれるのかもしれない。

もっとも描かれない次男を父親は実はもっとも愛していたとか、描かれない次男が実は全体を通しての主人公であるとか、そのような文学的なテーマであったらおもしろいと夢想する。
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野島裕昭『「超音読」英語勉強法』

2016年12月17日 23時57分41秒 | 英語
野島裕昭『「超音読」英語勉強法』(日本実業出版社)を図書館で借りて読む。
音読という言葉をタイトルに使っているが、音読だけではなくいろいろな英語勉強法について語られている。
あまり参考になるようなことはなかったが、書いている人がいいひとなのだろうとは思った。
英語で小説を読むのは難しい(と、この著者が思っている)ということは繰り返されたので印象に残った。確かにその通りかもしれないので、今度洋書を読む時は、ビジネス書みたいなものから選んでみようと思う。
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『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』はじめる

2016年12月16日 00時14分51秒 | 文学
大江健三郎『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』(講談社文庫)を読み始める。
最初、ギー兄さんとかアグイーとか、またまた過去の自分の作品について語り始めて、うんざりした気分になる。ギー兄さんはまだしも、アグイーって読んでないからタイトルしか知らないよ、と思う。しかも説明なしにアグイーが出てくる。もう読み続けられないかもしれない、と思った瞬間にアグイーの説明が始まり、ほっとする。
アグイーとは息子のアカリが始めて口にした言葉らしき音、また空に浮かぶカンガルーみたいなもの、「空の怪物アグイー」がテレビドラマになったときに使用してそれをもらったアカリが部屋に飾っているカンガルーらしきものの着ぐるみ。
珍しく過去の自分の作品の内容についてきちんと説明しているような気がする。
大体において、自作については読んでいるのが当然と思ってか、説明のないまま話が進んでいた気がする。

最近日本語で書かれた日本の小説を、そもそも小説を、読んでいないからかもしれないが、読んでいるととってもおもしろくなる。滋味豊か、といった感じ。
大江健三郎って、すごいんだな、と思う。
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内田樹『困難な結婚』

2016年12月13日 20時45分23秒 | 文学
内田樹『困難な結婚』(アルテスパブリッシング)を図書館で借りて読む。
「はじめに」で、このようなタイトルの本を読んでいたら配偶者に何か言われるのではないか、というような話があり「そんなこと、あるわけないじゃん」と思っていたら、僕の読んでいる本を見て妻にひとこと(たいしたことではないのだが)言われてびっくりした。
今回この本では、
《「看病する」ということの中には「病人に傷つけられる」ということも含まれている》(192頁)
というところが名言だなと思った。
実際にそうだ、ということも少しはあるが、そのように思って看病しておくべきだということだと思う。肝に銘じたい。
そのほか、結婚ということがテーマなので、普段あまり語らない自身の結婚、離婚、子育て、再婚、について語っていて興味深かった。
最近読んだ、内田樹の本のなかではもっともおもしろい本だった。
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英語学習

2016年12月13日 17時18分53秒 | 英語
今日は休みだったので書店で立ち読みをした。
英語学習のコーナーで立ち読みして、『「超音読」英語勉強法』(野島裕昭著)という本をめくっていたら、音読は300時間やらないと効果がないという記述があり、僕はいま一日一時間音読して、もうすぐ100時間になるくらいだからまだまだだなと思った。
やはり一日二時間くらいは音読しないといけないのかもしれない。
そのためには早起きして朝一時間、夜一時間というのがいいのかなと思った。
しかし早起きはものすごく苦手だ。

あとは「th」の発音について確認した。
ある本では舌は歯より前に出さなくて、前歯の後ろに付けるだけの絵が描いてあった。こういうのは混乱する。
いったい「th」の正解はなんなんだと思う。
しかし日本語でも人によっていろいろな音の出し方で発音しているような(たとえば「き」とか)感じがするので、そういうものかもしれない。
たしかに「th」は頻出するのでいちいち舌を出してらんないなと思っていた。というか、きちんと出せていないことのほうが多い。
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TOEIC初受験

2016年12月11日 21時14分47秒 | 英語
今日はTOEICの試験を初めて受けた。
近所の(といっても結構遠いのだが、)大学が会場なので、朝10時半くらいに家を出て、バスに乗って、11時20分くらいには着いた。まだ開場していなかったので大学構内をうろちょろして過ごした。受験する人は校庭のベンチに座って、テキストを見たりイヤホンで何かを聴いたりしている。ものすごく静か。
いくら英語の勉強をしても、フランクに見知らぬ人と話してすぐに盛り上がるということには日本人はならない。
みんな他人と距離をとって静かに勉強している。
買って来ておいたサンドイッチをベンチに座って食べて、試験会場に入って、12時半から試験の説明。そのあと13時から試験が始まる。
最初がリスニングのテストで、最初の数問の、写真を見て答えるテスト以外はほとんど明確に理解できないままマークシートを埋めていくだけの作業となる。
そのあとリーディングのテストで、こちらも最初は少し分かるがあとはもうマークを埋めていくだけ。途中で飽きて、疲れて、帰ろうかと思った。
全部で2時間の試験なのだが、1時間もすると疲れてどうでも良くなってしまう。英語を聴いたり読んだりするのが苦痛じゃなくならなければ最後まできちんと試験を受けられないのだと思った。
15時に試験が終わって、くたくたになってバスに乗って帰宅。
相当英語がわかるようになるまではもう受けません。意味がない。疲れるだけ。
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アラン『幸福論』

2016年12月11日 20時58分13秒 | 文学
アラン『幸福論』(岩波文庫)をトイレに置いて、毎朝一つか二つのプロポを読んで、今朝読み終わった。
たぶん三ヶ月くらいかかったと思う。
やはりとても良い本だと思った。
何もしなければ悲観的な考えに陥ってしまうので、努力して幸福になろうとすべきだというのはその通りだと読むたびに思う。
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