たたりの真実は

2010-12-28 00:00:19 | 市民A
勤め先の近く、西新橋の一角に、雑草の生えた空地が広がる。僅か1年5ヶ月前は、住居、飲食店、各種商店、中小企業がびっしりと立ち並ぶ、いかにも新橋風な雑居地だった。

そこで、起きた惨劇が、いわゆる耳かき店員殺人事件。耳かき嬢に対してのストーカー行為の末、中年男がこのエリアの中の3階建て住宅に住む被害者宅に刃物を持って押し入り、被害者とその祖母を殺害した。2009年8月4日のこと。ちょうど、事件現場に通りかかった時は、ちょうど惨劇が終わったところで、警官が駆け付け始めた頃だった。



そして、その5ヶ月後、2010年1月17日には、その事件宅が空家になっていたところから不審火が発生。10件以上が全焼する。焼け残ったのは、ほとんどが鉄筋コンクリートあるいは鉄骨造りの建物だけだ。

そして11月1日になり、東京地裁で、裁判員らにより、死刑ではなく無期懲役が言い渡される。

その10日後、本年11月11日。報道されなかったのだが、その通りにあり木造ではあるが焼けのこっていた中華料理店が災難に見舞われる。



ちょうど昼の営業時間中に、店内から出火。またも消防自動車の到着である。さいわい、燃えたのは1店舗だけだった。

11月15日。検察側の控訴なしが決まり、一審判決が確定した。


では、このような不吉な場所には、いかなる祟りがあるのだろうか。

手始めに、江戸時代末期の地図と現代の地図を重ねてみると、この場所は一柳家の屋敷だったようだ。領国は播磨小野藩。兵庫県の内陸部である。



この小野家に何かあったのだろうかと調べると、唯一、「加古川筋一揆」という百姓一揆が1833年に起きている。ただし、その顛末を書いたものがないわけだ。これ以上踏み込めない。

さらに、地図をよく見ると、この燃えた敷地の位置は、ちょうど、武家屋敷と町人屋敷との境目であるようだ。道の北側は一流家の武家屋敷で、南側には、「備前町」なる町名がある。つまり町民と武家との接点である。軽く調べると、刀鍛冶などがあったようだ。

しかし、備前町がどういう町だったのか、なかなかわからない場所であるのだが、・・・・・

この場所をウロウロしていると、ふと目に付いたのが、近くのビルの地下室にあるフィットネスクラブ。妙なノボリがはためいていた。町人エリアの方だ。

温泉でました 入れます。1200円。

そう、ここにビルを建てた時に、地下に打ち込んだ基礎から湯水が噴出したのだろう。そして、封印を解かれた地下の妖怪たちが、地表に噴き上げてきたわけだろう。



そういえば、六本木の麻布湯のそばには六本木ヒルズがあり、入口回転ドアが男の子の頭部をはさむ事故を起こしている。

渋谷のスパは天然ガスが室内に充満したところ、大爆発を起こし、従業員や店外通行人に犠牲者を出した。

東京は、深く掘れば、どこでも温泉が出るとまで言われるわけだが、それなら後楽園にある後楽園ラクーアは、今後どういう悲劇が待っているのだろうかと思うのだが、

最近の海外ニュースで、東京ドームが設計を真似たとも言われるミネアポリスにあるメトロドームが大雪で屋根が破れるという惨事を起こしているようで、ちょっと気になる。