TSUTAYAと言っても蔦屋重三郎

2010-12-08 00:00:15 | 市民A
現在のTSUTAYAの語源は、18世紀江戸の芸術仕掛け人だった蔦屋重三郎ということだそうだ。では蔦屋重三郎とは。



たとえば19世紀末から20世紀にかけてロシアのバレエ団、バレエ・リュスの主宰者であり、多くの音楽家、画家、文学者を育てたセルゲイ・ディアギレフなどと同類項で、アーティストの立場にはならず、プロデューサーに徹することか。

12月19日まで開催中の、「歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎」へ行く。

歌麿、写楽以外にも、狂歌界からは大田南畝。小説界からは、黄表紙・洒落本の山東京伝。そして、若き日の葛飾北斎に仕事を回したのが、この蔦屋である。



それで、蔦屋の歴史は、吉原のガイドブック「吉原細見」に始まるようだ。江戸の色情が集まる吉原遊郭の入り口に書店を構えていて、そこで、ガイドブックを売っていたようだ。展示品を眺めていると、最初の頃は、吉原のどこにどういう店があるというガイドブックだったが、その後、どの店にはどういう名前の遊女がいる、というように変化している。ただし、それ以上詳しい、必要資金とかそういうものは展示されていない。

そして、その後、吉原のご婦人たちの日常生活を描くようになり、美人画になり歌麿が登場する。その後、謎の登場をする写楽が忽然と現れ忽然と歴史から消える。

写楽は、どこから来て、どこへ消えたか。近世日本美術史の大きな謎のひとつであるが、この展覧会で明らかになるという噂もあったのだが、何も明らかにならないし、さらに疑問は膨らんだ。



蔦屋そのものではないだろうか。(消去法的推察だが)