官費削減の名案

2010-12-20 00:00:21 | 市民A
先日、憲政記念館を訪れた際に開かれていた特別展「政党政治への道」の資料を読んでいたら、今も昔もという話が書かれていた。

明治24年7月の頃である。と言えば、第一回の衆議院議員総選挙が明治23年(1890年)7月だから、初の総選挙の一年後である。民主党政権1年目というのと重ねてみてもいい。



この第一回選挙は直接国税15円以上を支払う25歳以上の男子に選挙権があった。ある意味で国会の決議事項の最大は、予算であり、その予算を支えるのが納税者なのだから、合理的とも考えられる。現代的に言うと、年金受給者には選挙権を与えないということになるのだから、現代でも、かなり合理的なのかもしれない。

投票箱に鍵がついているのが現代と同じ。立候補者の身になれば、多少の不正ぐらい大目に見てほしいと思っているのだろうから、投票箱に鍵は必須だろう。

明治24年に総理大臣の椅子に座っていたのは伊藤博文。当時の世論は、「減税」。これに伴って軍事予算の削減、公務員の削減といったところ。要するに「小さな政府」。

ところが、一方で藩閥派の伊藤は、軍事費の大幅な値上げを目論んでいた。現代的問題では子供手当の財源確保のような問題。そのため、議会で衝突する。そしてかなり行き詰まることになる。

必要財源を増税で行うともっと問題が発生する、そこで天才政治家伊藤博文の奥の手が出てくる。

公務員の給与のそれぞれから10%を軍事費に納付させることになる。

そして、やっと政治危機を乗りることができた。現代的にいうと「こども手当」の財源として、公務員の給与1割を納付していただくわけである。


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2 コメント

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Unknown (YS Journal)
2010-12-20 00:43:29
おおた様
やっぱり政治の話はワインでも飲みながらという事でしょうか?
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Unknown (おおた葉一郎)
2010-12-20 06:53:00
YS journalさま
あっ、写真間違え・・
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