超古代の船の話から五輪の話にLターン(1/2)

2017-02-22 00:00:36 | 歴史
原日本人は歩いて列島にやってきたのか、あるいは船に乗ってきたのかという大きな謎があるのだが、本当は詳しくわかっていない。アフリカ大陸を何らかの理由で飛び出した先祖は、アラビア半島からすぐに二手に分かれて南回りでインドシナ半島までたどり着いた人たちと、いったん北上し、アフガニスタン辺りから右コースの蒙古シベリア方面と左コースの欧州方面に分かれ、欧州方面コースの人はネアンデルタール人と混血したというか淘汰してしまった。

日本には、南方経由の人が先に来て、そのうち大陸から何波にもわたって第2コースの人たちが渡来。ずっと昔(つまり石器時代)には一部大陸とつながっていたのだが、その頃には世界には丸太舟が存在していた。例えば陸地としては離れていた本州と北海道の間では、すでに石器用の石の流通(交易?)があったことはわかっている。陸路と海路と両方なのだろうか。

そのあたりの海路の可能性について、横浜歴史博物館(通称歴博)では「津々浦々百千舟」展で研究結果が公開されているが、何しろ日本の古代史、あるいは先史の研究には、大きな二つのハザードがある。一つ目はご存知の「邪馬台国論争」。どうもすべての学者は他人と異なる自説を唱えないと一人前と認めてもらえない。それが古代史の終わりの頃の弥生から古墳時代の話というから困る。

もう一つは石器時代。これは非常に大事な時期なのだが、「自家製石器ばらまき先生」がいて、この藤村氏(現在は別姓)が権威だった時代に盛り上がったブームが壊滅したため、石器時代の研究は遅れに遅れをとっている。

歴史の研究は、日本書紀と古事記の研究みたいになってしまうわけだ。

しかも古代の丸太舟というのはなかなか残っていない。理由は簡単で丸太舟の運命というのは、沈むか、老朽化して薪にされるかということだっただろう。2万年先の日本人のために粘土層に埋めておいてくれたりしない。

それでもおそらくは大きな不運と悲嘆とともに沈んだ舟が、偶然にも海底深くに流され、そして土に埋まった状態から地面が隆起して、そして戦後日本の土地開発ブームで運よくシャベルカーの爪に引っかかって陽の目を見ることになる。

marutahune


今のところ、日本最古ではないかといわれるのが千葉県の市原市で発見された丸太舟で、それはかなり朽ちていて原形の一部がわかっているだけらしいが、同じ千葉県の千葉市の検見川にある東京大学のグラウンドから発掘された舟が歴博に展示されていて、撮影フリーだった。レプリカとは書かれていなかったのだが、本物を運んでくるとも思えないが、どちらでもいい。おそらく遠洋ではなく、沿岸とか河川で使われていたのだろう。あるいは浅瀬で荷物を載せて人力で引っ張ったのか。

実際には、造船技術というのは必要に迫られて進歩するようで、大陸まで渡ろうというような船は遣隋使や遣唐使の時代になって急に発展したのだが、実はその後はたいして発展しない。江戸時代だって。遣唐使と同じような船に乗っている。

ペリーがきて一挙に変わった。

この後、話が急に方向転換するので、また明日。(余計な話が長くなりそうで、ゴメン)