影(アンデルセン)

2017-02-21 00:00:26 | 書評
アンデルセンの「即興詩人」を読んでから、気になっていた本があった。「影」というシンプルな題名の本である。童話的ではまったくない寓話であり、あまり紹介されていない短編である。村上春樹氏が講演会で紹介したこともあり、日本でも少しずつ有名になっているし、春樹氏の小説にも「影を失った男」が登場する。本書を読んだ後、思いだすと「影に逃げられた」という意味だったのだろうか。

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本書の登場人物はきわめて少ない。学者、学者の影、王女。もちろんほとんどセリフのないその他の人物はいる。

まず、前半部の意味がよくわからない。学者は何かの用で寒い国から暑い国へ長期出張のような旅に出る。寒い国は北欧で、暑い国は南欧という感じだ。あまり暑いので外に出ないうちに学者はやせはじめて、影もやせてしまうのだが、ある日バルコニーに学者が立つと、道路の向こう側の家に伸びた影が、向こうの家の中に行ってしまう。

学者はその後、寒い国に戻ったが、学者生活に恵まれず寂しい生活をしていると、数年経ってある金回りの良さそうな男が来る。それが逃げ出した彼の影が人間に扮して成功者となった姿だった。

ここまでが、驚愕の第一部で、第二部は「影」が主体になる。「影」は自分に影がないことをいいことに知能の高い学者を自分の「影」にしようとするわけだ。そして言葉巧みに連れ出して、某国の王女に近づいていく。そして学者を利用したあげく、学者のプライドを傷つけ、学者が真実を告発しようと考えたところで、狂人扱いして牢屋に送り、そのまま死に至らしめてしまった。

この寓話にはさまざまな解釈があるのだが、アンデルセン自体が登場人物の「学者」のように地味な生活を送っていたようだから、盗作でもされたのかもしれないと俗なことを考えてしまうが、違うのだろう。

常識的にいえば、「影」とは心の中の「もう一つの自分」をあらわす象徴であって、心の中の二極の相克がテーマと読むべきなのだろうか。


ところで、私自身、日常生活で自らの影を感じる時は少ないのだが、カメラの接写の時に影が映りこまないようにするときとか、ゴルフのパットを打つ時にライン上に自分の影があると、確かに邪魔なのだが、決して自分の「影」に対して、「消えて失せろ!」と思ってはいけないわけだ。