もっともらしい「社会」

2012-03-29 00:00:34 | 書評
新潮社の書評月刊誌「波」に連載が始まったジャーナリスト高橋秀実氏の『とかなんとか言語学』の第三回は、『もっともらしい「社会」』という章である。
高橋氏いわく、かつて刑事裁判や米軍基地、原発、宗教団体などをテーマに書くと、「社会派」と呼ばれたのだが、女性のダイエットや水泳教室を扱ったら、「脱力系」と呼ばれるようになった、という現実を踏まえ、「社会」とは一体何なのだ、と問いたいということだそうだ。

それで、このコトバの使われている範囲を羅列すると、学校の「社会科」「社会人」「社会常識」「社会貢献」「格差社会」「無縁社会」といったことばがあり、なんとなく、あいまいで包括的な概念に「社会」というコトバをかぶせると、イメージが固定化するような気がする。

実際は、社会とは、実態としては人の集まりを意味するコトバで、元々はソサイエティという英語の翻訳である。SOCIALという言葉は交際という意味を強く持っていて、ソサイエティは、その類縁語である。またSOCIALはSNSの最初のSである。

著者は、ここから、SOCIALの持つ広かった意味が、現代ではどんどん狭まっているというような方向に結論を追っている。

それで、勝手に個人解釈を加えると、ほんの数十年前までは、世界のどこでも「社会=国家」という捉え方で十分だったのだろうが、IT化が世界で拡大していった過程で、「社会」の意味がかなり個的なレベルでは崩壊を続けているのだろうと思うわけである。