1年経って

2012-03-11 00:00:57 | 市民A
あの日から一年が経った。

3年後にはインフラ整備が終わり、その後2年で住宅が整備されていく予定らしい。原発被災地を除いてだが。

douwa最近、ある童話賞の最新作品集(童話の花束 第42号)を読む。大人だけではなく小学生、中学生を含めた応募作の中から優秀作18作をまとめた作品集である。そして、そこにも大震災そのものをテーマとした作品が5作含まれている。

5作のうち3作は、震災でなくなった人たちと生き残った人との心のつながりを描いたもので、2作は、これからの再生の思いを綴ったもの。

そして、その他の作品も、「生と死」、そして「生き残った者の再生」というテーマをダイレクトにとらえたものが多く、全編が重く静かに流れていく。

1100年前の貞観時代の大地震は、その後の平安時代中期の藤原氏中心の王朝文化へとつながっていったとも言われている。当時は、地震による被害も口伝や文書によって伝えられたのだろうが、現代では同時体験としてテレビ画像が伝えてしまった。もちろん、人口の多くが東日本に集中しているため、多くの人々は地震による激震そのものを共有感覚として覚えているわけだ。しかも大人だけでなく幼児にいたるまでだ。


きっと、日本は崩れかかっていた固有の価値観を数十年かけて、築き直していくのだろうと思っているこのごろなのである。団塊文化から絆文化へ。

すでに、その方向は始まっているのにかかわらず、浮世離れした政治家や老齢ジャーナリストなどが気付いていないのだろうと思っている。

海辺で7万本の中で1本だけ生き残った松の木を主人公(ぼく)とした「ぼくは松の木」(中学生の作品)。ぼくと同じように一人きりになった女の子が毎日やってきては語りかけてくれて、そして泣いてしまうのをみて、ぼくはこう思うようになる。

 いつかこの子が、だれかとふたりでぼくに会いにくるまで。それまではここに強く根をはって、この子といっしょにいよう。
 それならぼくは松の木でいいや。はじめてそう思えた。