言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

『日本人と「日本病」について』を読む

2022年08月16日 09時51分40秒 | 本と雑誌

 

 

 昨今の世相を見てゐて、どうやら日本人は病んでゐるなといふ思ひを深くした。もちろん、その日本人に私も含まれてゐる。病んでゐる人が他人を病んでゐると判断できない理屈はないのであつて、むしろ自分も同じ症状を体験してゐるのであるから余計に正確に判断ができるといふこともある。

 そんなこともあり、「日本人といふ病」といふ小論を書いた。いろいろと文献を読まうと思つてゐたが、あれやこれやと思ひをめぐらしてゐるうちに、文献を引用するより現状を正確に描写した方がよいと思つて書き上げた。

 そして、ふと書棚を見るとこの本が眼に入つた。「日本病」、同じことを感じてゐるのかなとも思ふ。さう言へば河合隼雄にはタイトルも同じ『「日本人」という病』といふ書まである(こちらは病を困つたものだと見るよりは、こんな病ですから気をつけませうといふ感じで、河合らしい)。岸田秀も河合も同じく精神分析家である。立場は異なると思ふが。やはり日本人は精神分析の対象になるのであらう。

 さて、本書であるが、病のポイントは二つ。

1 日本の社会には神がゐない。したがつて、人と人との間の関係しかなく、契約(法)意識は薄く話し合ふことで解決できると考へてゐる。お化けが出るのは日本だけ。個人的な怨みを法で裁いて解決するのではなく、当事者間の「話し合ひ」で解決しようとする。「怨めしや」とは話し合ひの呼びかけである。

2 機能集団が共同体になつてしまつてゐる。儒教には組織と血族とに対してそれぞれ別々の態度を取れといふ考へがあるのに、日本人は組織をすぐに擬制家族に見立ててしまふので混同する。組織では「三度諫めて聞かざれば即ち去る」、父に対しては「三度諫めて聞かざれば号泣してもこれに従ふ」。しかし、組織においても後者を取るから組織が崩壊する。

 私の読んだ本(1996年 文春文庫版)は解説が小室直樹である。これがまた素晴らしい。二人の「素人談議」を社会学者として補助線を引き、議論の観点をクリアに引き出す。上の私の「ポイント」もその恩恵による。

 何度でも読むべき書である。

 

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