言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

これを「新作」とは!

2017年01月26日 09時49分06秒 | 日記

 先日、長距離歩行の下見に知多半島を歩いた。午前中は1月は思へない好天で、気温も高く風邪も無く、ハイキング気分で歩いた。朝の寒さはむしろ心地よいほどで、爽快な気分だつたが、午後は一転、冷たい雨風に襲はれた。やはり冬である。気温はぐんと下がり、途中で歩道もなくなり、夕方4時で引き上げることにした。

 知多半島の平坦な道を25キロほど歩いたが、これではまだ負荷と言へるほどのものはなく、コースは未だ未定。どうしようか。

 さて、そんな折、道にコロコロと犬の糞が落ちてゐた。「コロコロ」と形容するぐらゐだから少し時間が経つてゐた。そこで生徒がかう言つた。

「この前、新作を踏んでしまひました!」

 何のことかと思つたが、それはどうやらお尻から出てきたばかりの糞のことであるらしい。それを称して「新作」と名づけたのである。私、かういふセンスが嫌ひではない。なるほど新作には違ひない。

 6時間ほど歩いた頃で、そろそろ話題も尽きさうなところで、かういふ言葉のセンスを聞くと結構心が弾んでしまふ。うまいことを言ふではないか。

 雨の中ではあつたが、楽しい午後であつた。

 

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冬枯の野に向く窓や夕ぐれの寒さ早かり日は照しつつ

2017年01月25日 16時15分45秒 | 日記

 島木赤彦の歌である。

 絶唱といふものの対極にあつて、静かに冬の季節を体に染み通らせてゐる。日はまだ光を注いでゐるのに、寒さは急に増してきた。その予感が読んでゐてはつきりと感じられる。

 冬の歌のなかでも好きなものである。

 「寒さ早し」ではなく「寒さ早かり」としたのは、字数ゆゑであらうか。「早し」の方が字足らずで、しかも終止形できつぱりとした直線的な印象が強く寒さを表現するにはいいのだが、「早かり」とすれば漢文調で事実描写をしてゐるやうに感じられる。連用形であるのは、「照らしつつ」と対比的で時間の変化を示してゐるのだらう。

 冬の季節の寒さを客観的に、しかも時間の変化を含んで示すには、この「早かり」が良いのだらう。

 私がこれを作つたらたぶん添削されるのだらうが、すでに名のある人が作れば味はひとなる。俳句や和歌が第二藝術論と揶揄された理由であるが、それを承知の上で、やはり島木の歌は魅力的である。

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オバマとトランプ――二人の就任演説

2017年01月24日 09時05分28秒 | 日記

 国際情勢についての日本の新聞やテレビはもう信じるに値しないと思つてゐる(もしかしたら国内情報も)。極めて偏つた見方で、しかもさうであることを示さず、いかにも真実ですといふスタイルで報道する。イギリスのEU離脱、トランプ氏の当選を見事に外し、それでゐて自らの報道能力の回復を示さないまま、またぞろトランプ攻撃を始めた。反対派の集会を大きく取り上げて、就任演説の聴衆の少なさを大げさに言ふ。それを伝へるのは、つい最近アメリカに渡つた駐在員であつてみれば、彼らも歴史のなかで、「今」を語ることができないから、勢ひ「雰囲気」だけで語ることになる。少なくともカーター氏以降の就任時の様子と比較して報道し、それと何が違ふのかを示してほしい。私たちが知りたいのは、今アメリカで起きてゐることがこの30年間においてどうなのかといふことであつて、「瞬間風速」ではない。

 それで、私はオバマ前大統領の2009年の就任演説(以下①とする)と今回のトランプ新大統領の就任演説(以下②とする)とを読んでみた。正直、これまで就任演説など読んだこともなく、これはこれでトランプ効果といふこともできよう。アメリカ人がどう考へ、アメリカがどう進んで行かうとしてゐるのを知るのは、結構大事なことである。

 一読、いづれも「神」を意識した言葉であることが印象的であつた。今さらながらアメリカはキリスト教の国である。独立戦争を勝ち、神の祝福を得て建国されたといふ自己認識は、両者とも変はらない。それはそれで私たちの国柄とは違ふものであり、アメリカ人を鼓舞するキーワードなのであらう。さういふものが私たちにあるかどうか、それも考へさせられた。

 読んで見て、最も大きな違ひを感じたのは、主語である「we」の意味するところである。

 ①はアメリカ人一般を指してゐる。つまりそれは、すべてのアメリカ人はすべての問題の当事者であり、全体として事にあたるべきだといふことである。多様性を認め、それぞれの差異を失くすことによつて幸福な社会は実現するといふものである。

 ②は、アメリカ人一般といふものが果たして存在するのかといふことを前提としてゐる。つまりは、貧富の差、宗教の差別を無くさうとした結果、弱者の横暴、少数者の優先が度を越してゐるといふ認識である。それによつて社会がいびつになり、それを糊塗するきれいごとの政策がアメリカの力を削いでゐるといふのである。

 ①の文章は、美しい。建国の父の「未来の世界でかう語られよう-酷寒の中、希望と美徳しか生き残ることのできない時、共通する危険に気づいた街と田舎は、前に出てそれに立ち向かつた」といふ言葉を引用して閉じる構成もまた見事である。日本語でしか読めない私には、その味はひは分からないが、かういふ演説を日本の政治家が語ると白々しくなるが、英語では十二分に説得的なのであらう。

 ②の文章の格調も批評できるほどの力を私はもつてゐない。ただ、とても簡単な言葉で書かれてゐるのは分かる。一部報道ではcarnage(殺戮・大虐殺)といふ言葉でアメリカの状況を表現するのは現実を見てゐないと言はれてゐたが、その感触も私には分からない。しかし、さういふ言葉でしか表現できない現実を生きてゐる人が全くゐないといふのもウソであらう。

 アメリカは、トランプ氏によつて分断されたといふのは、間違ひである。それは話が逆で、分断されてしまつたからトランプ氏が荒療治を始めることになつたといふことである。眼高手低の口だけ番長で終はるのか、有限実行の名大統領になるかは、これからの課題である。

 いづれにせよ、演説だけで何もかも結論付けるのは愚かしいこと。①をそれが語られてから八年後の今読めば、出来てゐないことがたくさんあることが明らかになつてゐる。しかし、そのことを取り上げたマスコミは私が見聞きした中では1つもなかつた。ひたすらその理想主義に酔ひしれてゐる。この二三日の報道は、さういふレッテル貼りばかりであつた。アメリカ人でもない私たちが、どうしてこんなに「熱く」なるのであらう。不思議だ。

 これで分かつたのは、マスコミの偏見振りである。だまされてはならない。 

 

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今日は立志歩行の下見。

2017年01月22日 08時09分43秒 | 日記

  常滑駅に着いて、これから歩きます。

   天気は晴朗。気温はやや寒し。気持ちのいい朝。

  

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業務連絡。

2017年01月21日 08時08分13秒 | 日記

  本日もセンター試験。追試験あり。

  センター試験本試のセンターリサーチが届き、出願校決定の面談の時期。

  文高理低の傾向。強気もいいが、自分のしたい学問を追求することも大事。

  本日、寒稽古に参加。久しぶりに道着を着て汗をかく。その後、化学の甲子園に行く生徒を見送る。明日はロングウォークの下見。英検あり。国語力検定の分析会あり。浪人生との面談あり。

  さまざまに忙しい冬。

  奮励努力せよ。

 

  もう一つ。

  芦田宏直先生のホームページで知つたが、精選版日本国語大辞典のデジタル版が破格の値段で発売されることになつた。今月一杯のサービス。買つて間違ひありませんよ。

https://www.monokakido.jp/japanese/nds/

 

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