言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

CMの俳優は目をつぶらない。

2016年10月15日 17時10分54秒 | 日記

 テレビは録画してCMを飛ばしながら見ることにしてゐるが、ニュース番組などは生で見るからCMを見ることになる(見てしまふ)。

 それで気付いたのだが、そこに出てくる人はマバタキをしてゐない。もちろん、ワンカットが長い場合にはする。しかし、カットが短い場合にはしてゐない。マバタキは演出上、不要のものと考へてゐるらしい。

 広告では目を開いてゐる状態が正常で、目をつぶつてゐるのは異常なのである。さう言へば、私たちが写真を撮る場合においても、目をつぶつてゐれば撮り直す。となれば、それは広告に限らず、目を開いてゐる状態が正常で目をつぶつてゐるのは異常といふことになる。

 目を開いてゐる時間が長いから、そちらが正常になるのか。しかし、文字通り「瞑想」(目を瞑つて想ふこと)や祈りの場合にも人は目をつぶる。意識が日常的な世界に向けられてゐるときは、目を開いてゐることが正常で、目をつぶつてゐることが異常なのであり、意識がもう一つ上の次元に向けられてゐる時は、その逆になるのである。

 目をあけて寝る人がゐるが、その人への違和感は、正常と異常との逆転現象ゆゑのことであらう。亡くなつた人の目を閉じるのも同じ理由である。

 目は心の分岐器であるか。

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