前囘見たやうに、「文明」は「文化」とは異なり土地に縛られるものではなく、發明者と使用者との關係が固定化される性質をもつてゐないのである。つまり、電車やそれを運転する技術はそれを發明し開發した人物の生まれた場所や時代を意識せず使用されるといふことである。したがつて、石川氏のやうに、本家意識に支配され、日本はいつまでも東夷に過ぎないと言はんばかりに自己卑下してゐるのは、どう控へ目に言つても穩當ではない。
山崎正和氏は、このことについて、面白い指摘をしてゐる。
「要するに、中国文明は世界のなかでもとりわけ閉鎖的な民族文明なのだが、けだしそれがあれほど広大な地域を支配したことが、アジア文明にとって不幸であった。およそ文明というものは、異種の民族の相互影響のもとで、混合と切磋琢磨のなかで発展のダイナミズムを得るものだが、アジアにはそういう文明の化学変化が起こらなかった。民族文明どうしが化学変化を起こすためには、そこに触媒として、普遍的な『世界文明』の傘が必要なのであるが、アジアにはこの文明の二重構造が成立しなかったからである。」
『文明の構図』二十一頁
山崎氏は、以前から「アジア」といふのは過去には存在せず、近代化といふプロセスを通じて、今引用した文章でいふ「触媒」を通じて、初めて現出してくるものであると言つてゐる。つまり、これまでのアジアは觀念であり、何の實體もないと見てゐるのである。
さらに言へば、アジアにおいては、大きい民族文明である中國と、周邊にある小さな民族文明とが竝立してをり、世界文明はこれまでなかつたといふことである。今日においても、ヨーロッパでは一つに統合されるやうな状況にありながら、アジアは全く體制の違ふ諸國が群雄割據してゐるといふ情勢であり、これはあながち二十世紀のイデオロギーだけの原因ではなささうである。
このやうな點から見ても、石川氏の見方は偏頗である。「影響を与えた」といふことを千年も二千年も主張し、影響を受けた側に同じく千年も二千年も氣がねを要求するといふ關係は、逆説的ながら世界文明ではないことを示してゐると言へるだらう。いつまでも發明者(國)の名前を明言してしか廣がらないものは、言葉の嚴密な定義から言つて文明とは言へないからである。文明の傳播に恩誼を求めるといふのは、偏狹な民族意識である。
石川氏は、文明に序列をつけ、その上位にある文明はあたかも永遠に文明の上位に身を置くものと言ひたげである。しかし、ヨーロッパにおいて、その位置にあるギリシャやローマの影響は、今もあるであらうか(もちろん、精神的な影響はキリスト教とともに厳然とあるであらう。ここでの「影響」とは今日のギリシャとイタリアとの政治的、經濟的、文化的影響のことである)。そんなことを考へる人さへゐないであらう。