昨日は上京して精神分析医の滝川一廣氏の話を聴いた。
由紀草一先生の主催される会(しょーと・ぴーすの会)の会合である。30名ほどの会だから質問はしたい放題。4時間たつぷりと子供の精神医学について対話をした。
子供は発達し続ける。その確信に支へられてゐるから、滝川氏はどんな質問にも穏やかに噛んで含めるように話をされる。やや攻撃的な質問にも、なかには「先生の意見には同意しかねるが」といふ実践家の質問もあつたがそれにも、穏やかに一呼吸おいて話を始める。あまりにも穏やかすぎてゆつくり話されるものだがら、まだたぶん御回答が終はつてゐないだらうに、次の質問者が質問を始めてしまつてゐた。
私には、その対話ややりとりがとても充実した時間であつた。もちろん、私は門外漢であるのでその内容を十分に理解したといふわけではない。二つほど質問したが、それは明らかに私の読解力不足ゆゑであつた。しかし、さういふ質問にも白板にていねいに板書して説明をしてくださつた。ありがたいことである。
人間の発達の具合は、Y軸「認識の発達」とX軸「関係性の発達」の座標軸上で正比例の直線を中心に紡錘状に分布してゐるといふ。しかし、私は座標軸を用ゐる限りは、正の数の第一象限だけではなく、負の数を視野に入れた第2~第4象限まであるのではと質問をした。
すると先生は、端的に「私は人間の発達にマイナスはない、と思ひます」と言はれた。「マイナスがあると思ふのは、年齢に応じて右上の方向に子供たちの位置が移動していくが、その位置よりも左下にあるからです。しかし、それは他人よりも右上に向かふスピードが遅いから負の領域にゐると感じるだけで、第一象限にゐることは間違ひありません」とのことであつた。
私には、紡錘状に分布する学齢の位置が右上に移動していくといふ「時間性」の視点が欠けてゐた。そこを見事に言ひ当てられた。
もう一つの質問は、発達には「遅れ」以外に「悪くなる」ことはないのか、といふ質問であつたが、これについては他の人からの質問とも重なつて、「折れ線型自閉症」の問題と言はれる課題のやうであつた。滝川先生は、そのサンプルは非常に少ないので、簡単には言へない問題であると言はれた。評価や診断を受けるときに、その子供ががんばりすぎてしまひ、その後日常生活では「退行」のやうなことが起きてゐるだけで、それは「遅れ」ではないのではないか、といふ意見を述べられた。この辺りは、模擬試験を受けるときの生徒の状況にも似てゐる。普段の気の抜けた状態での学力と模擬試験時の緊張した覚醒状態での学力との差がそれである。
もつと話を聞きたかつたが、帰りの電車の時間が迫つてゐたので会場を後にした。
ご関心がある方は、こちらをお読みください。
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それは、滝川先生や伊藤先生、それから前田さんを含む全参加者のおかげに違いありません。ありがとうございました。
ご指摘の、子どもは、マイナスの方向への発達(=退化)はしないのか、という点につきまして。原則として、よほどのことがない限りそれはない、IQなどが下がることはあるが、それはこれらの指標が相対比較上の数値だから、他の子に比べて発達が遅ければ「下がる」ことになるのだ、という滝川先生のご説明には個人的には納得しました。
ただ、老年期の「退化」(関係性の能力は衰える、ということでしたね)まで視野に収めると、どういうことになるのか。それはもはや「子どもの、精神医学」ではなくなるから、この本では扱えない、ということでしょうか。今度先生にお会いしたら、尋ねてみたいです。
ところで、「しょ~と・ぴ~すの会」のアーカイブに載せる、今回の分の記事を作成中です。今回の御記事も、「参考記事」として取り上げたいと考えております。ご許可願えますでしょうか? ご検討ください。
主催自らコメントありがたうございます。本当に有意義な会でした。ありがたうございました。「参考記事」の件、どうぞご利用ください。
またうかがひます。よろしくお願ひいたします。