言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

民はこれを由らしむべくして知らしむべからず。

2020年08月02日 10時13分46秒 | 評論・評伝

 安倍首相の苦悩を思ふ。

 今般のコロナ禍において、専門家と称する人たちの「暴走」を人々が信じ、自分自身で不安になることをむしろ求めてゐる状況下で、政権はよくぞ踏みとどまつてゐる。アベノマスクのひどさ、緊急事態宣言の無謀さなどの愚策は私にも批判はあるが、今日のマスコミに出てくる多くの専門家のその野蛮ぶりは目に余る。東京の医師会の会長のあの正義感たつぷりの大演説には怒りがこみあげてきた。自説の正しさを証明することは一切なく、その説への信仰から政権批判を導くといふまことに不誠実な対応を見て、オルテガが『大衆の反逆』で言つてゐた「野蛮人の垂直的侵略」といふ言葉を思ひ出した。専門人はもはや野蛮人である。

 「国民を従はせることは可能だが、その内実を知らせることは不可能だ」。孔子の苦悩に重ね、野蛮人たちの垂直的侵略に抵抗する安倍首相の苦悩に思ひを致す。

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