科学の社会史 (ちくま学芸文庫) | |
古川 安 | |
筑摩書房 |
九月から先輩の教員と読書会を開くことにした。「会」と言つても二人だから、まあいつもと同じやうな食事を交えた雑談となるだらうが、それでも一冊の本を巡つての雑談は、これまでとは異なる談議にはなるだらうと予感してゐる。
そこで、宿題として出されたのが本書である。どうやらその先輩は「科学としての地理学」といふことについての本を出すらしく、この一年ほど「科学」といふ言葉に執してゐる。科学とは、もちろんscienceの和訳であるが、「科」といふ言葉が的確に意味するやうに「分ける」といふことの学問である。「しな」とは漢字で書くと、科、品、階となる。階段状になつてゐる状態を表すと考へると分かりやすい。品川といふ地名や信濃川といふ名称も、川の両側が段丘になつてゐたのではないかと想像される。陳列棚に物を置いて客に分かりやすくしたから、品物といふやうになつたとも、一つの物として他と区別したものを品物といふやうになつたとも言へるが、それも「しな」である。
そして、科学である。物理学、科学、生物学、地学、それらもどんどん細分化していく、そのやうに細分化していく学問の総称が「科学」であらう。本書が引いたやうに、古代の哲学者アリストテレスは「すべての人間は、生まれつき知ることを欲する」のであるから、知識はいよいよ細分化していく運命にある。そのことを純粋に繰り広げてゐるのが科学であらう。
本書は、ルネサンス期から20世紀までの科学の歴史を概観してゐる。概観と言つても300頁にわたるから門外漢には「精緻」に見える。ルネサンスと言つても14世紀のイタリアルネサンスばかりではなく、それに先立つ12世紀、アラビア科学の受容に始まる科学の歴史を含んでゐるからほぼ千年。そして、キリスト教との関係、イギリス・フランス・ドイツ・アメリカそれぞれの大学や研究施設での「科学」の発展、そして最後に科学の課題が主に戦争や環境破壊に触れて書かれてゐる。私には欧州での大学での発展過程は難しすぎたが、最後まで一気に読めた。
科学の持つ意味を今日ではだれもがオプティミスティックに語ることには躊躇する時代になつた。それでも科学無しには科学の課題を解決することはできない。したがつて、やや神秘主義的な「ニュー・サイエンス」などに安易に寄りかかるもできまい。ではどうするか。課題解決についても最後に少しだけ触れてゐるが、ここは正直もの足りない。それが科学史家の仕事であるとは思ふのだが。
それにしても、この本を題材にしてどういふ話題が出てくるだらう。あまり期待はできないが、第一回はそんなものか。次の本は、私が選ぶことになる。