![]() |
私の幸福論 (ちくま文庫) 価格:¥ 672(税込) 発売日:1998-09 |
夏休みに『私の幸福論』を読ませることにした。『人間・この劇的なるもの』と選択を迷つたが、こちらはまだ早いと思ひ、諦めた。
七月辺りから、ぼちぼち感想を言ひに生徒が寄つてきたが、その行為自体が本書に興味を寄せてゐる証拠であると一人合点して喜んでゐる。
さて、表題は、本書の最後の章に出てくる言葉である。利己主義といふ「理想」を求めて生きる結果、人は孤独をかこつことになるが、その孤独から逃れるために更に利己主義を貫徹しようとして孤独になる。それは人が「快楽」を求めた結果であるのだ。そしてそれが、「摩擦のない清潔な貧しさ」であるといふ。青年は一人になりたがる、それは内省の好機とも言へる時期であつていたづらに否定するものでもないが、ますます内向きで閉鎖的になる、言はば自閉化する社会にあつては、いよいよ人間が物化してしまふのではないか。社会からの逃避、家族からの逃避、自己からの逃避=子ども手当ての要求、高齢者の所在不明、自殺者の増加、いづれもこの自閉化の表れではあるまいか。摩擦を避け、ひとりだけの清潔さを求め、それらが恥ずかしいことであることを知らない心の貧しさ、それが現代社会の病理である。
もちろん、その社会の一員であることを棚に上げてゐても仕方がない。快楽主義にどつぷりと浸かつてゐることは明らかである。
ただ病名を明らかにしてもらふだけでも救ひはある。治すのは各自の努力であるとしても、医者の診断はそれ自体が治療である。『私の幸福論』を読み返して、その正確な診断に感謝してゐる。
追記
今、高木書房のホームページを見たら、『私の幸福論』はまだ手に入るやうだ。ちくま文庫とはまた違つた味はひ(装丁)を楽しみたい方は、こちらで御注文ください。http://www2.ocn.ne.jp/~tkgsyobo/index.html