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言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

福田恆存の肉声『WILL』2025年2月号

2025年01月12日 10時25分19秒 | 評論・評伝
 
 この手の雑誌を手にすることはほとんどない。『諸君!』があつたころは毎号欠かさず見てゐたが、現在では『文藝春秋』も見ない(だいぶ傾向が変はつてしまつた)。今は『正論』『中央公論』『VOICE』ぐらゐ。本屋で見て気になれば購入するといふ程度である。これまでにも何度も書いてきたが、読みたい著述家がほとんどゐないからである。それでもこれらの雑誌が継続してゐるといふことは、読者の私の方が時代とズレてゐるといふことであらう。さういふことも事実としてあるだらう。しかし、その一方で今の著述家言論人で30年後にも読まれる文章を書いてゐる人はどれぐらゐゐるのだらうかといふ疑問もぬぐい切れない。それほどに時評的後付け評論が多いといふのが率直なところである。30年とは言はぬ。一年後にも紙切れになつてしまふ著述言論が多いのではないか。「つぶやき」「100字」で語る時代にあつては、理路整然と時代を超えた人間論に根差した文章は、読まれず書かれず現れずなのである。
 となれば、勢ひモラリストの過去の言論に惹かれることになるのは当然なのである。
 その代表的な人物が福田恆存である。御子息で明治大学の名誉教授である福田逸氏と『福田恆存全集』の編集担当であつた寺田英視(シメスヘンは示)氏との対談は面白い。近著の『福田恆存の手紙』を話題にして、福田恆存のさまざまな思ひ出を語つてゐる。
 寺田氏と福田恆存とのつながりは、全集出版を機に始まつたのではなく、二十代の終はり頃の個人的な「福田さんの話を聞く会」からだと言ふ。それはそれは濃密な時間であつたらうと想像する。先日お会ひした佐藤松男さんからもその頃の福田恆存の様子を合はせると、本当に貴重な月旦が聞けたのであらう。羨ましい。
 また、寺田氏によれば、『全集』には書簡集、来簡集は入れないといふのが福田恆存の強い意向だつたといふ。さうであれば、この『福田恆存の手紙』はもし生きてゐれば出なかつたのかもしれない。しかし、死後三十年経ち、「手紙そのものが研究対象にもなるだろう」との逸氏の決断で出されたのである。
 この対談自体も貴重な資料になるに違ひない。寺田氏には「福田恆存の思ひ出」をどこかで書いて欲しいと思つてゐる。
 
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『ていねいなのに伝わらない『話せばわかる』症候群』を読む

2025年01月04日 13時04分36秒 | 評論・評伝
 
 今の職場に著者のお一人北川達夫先生が定期的にお越しになつてゐる。非認知能力を開発するインストラクターとしてである。
 生徒を相手にレクチャーをされたり、スタッフを対象にセミナーを実施されたりしてゐて、お話する機会がある。
 北川先生がZ会と組まれて、宇宙飛行士の訓練の一環として開発されたコンピテンシー育成の手法を学校現場でも取り組めるやうに作り直したもので、大変興味深い。未だこちらの理解途上にあるものなので、質問しようにも質問自体が茫洋としてゐて、勿体ない時間を過ごしてゐる。先生が来られてゐる期間中に何とか実のある対話をとの思ひがあつて、この正月に読んだのが本書。
 対談相手の平田オリザ氏は著名な劇作家。言葉と行動とをめぐる対談は極めて面白かつた。もつと早く読んでおけば良かつた。

 対話の妙を一つ。平田氏はオープンマインドな雰囲気を醸し出すが、結構威圧的。それをかはすやうに、北川氏は否定せずに一拍おいて静かに自説を述べていく。これがうまいと思つた。これこそが対話なんだと感じた。

 私には難しいとは思つたが、いい手本を示してくださつたとは感じる。今度北川先生に話してみようと思ふ。

 日本人は外交において、相手の国に合はせ過ぎて、そのまま自国の主張を言はず終ひになることが多いと言ふ。さういふ時こそ、北川方式で伝へることが大事なのだらう。二枚腰三枚腰の困難を引き受けることこそ、現代のコミュニケーションの要諦である。
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令和7年の太陽の塔

2025年01月02日 19時25分33秒 | 評論・評伝
 

 少し体調が安定して来たので、外の空気を吸ひに万博公園まで行つて来た。
 変はらないものを見て、こちらの変化を自覚する。そんな逆定点観測にもつてこいなのが私にとつては太陽の塔である。
 今年は昭和100年といふ。この太陽の塔が建てられた(立つた)のが昭和45年。三島由紀夫の年齢は昭和の年号と一致するから、市ヶ谷の駐屯地で憤死したのがその年である。そして昭和100年の今年、再び大阪で万博が開かれる。
 夢洲の喧騒を遠くに眺めながら千里の丘の上から太陽の塔は立ち続けてゐる。
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里子来て大慌てなり秋深し 昨年を振り返る

2025年01月01日 15時59分52秒 | 評論・評伝
 年末から年始にかけて風邪をひき、正常に戻つてはぶり返す、これを繰り返してゐる。初めて病床(少し大袈裟だが)で新年を迎へた。
 今朝は熱は下がつたが、いつまでも寝てゐられるほどの倦怠感。かういふこともあるのだなと少し遠くから自分の寝姿を見てゐる。

 さて、昨年一年を振り返つて、最大の出来事は里子を迎へたといふことである。と言つても、臨時や緊急避難的な「預かり」である。児童相談所から、本当に突然連絡が来る。年齢も性別も事情も詳しくは知らされずに、とにかく「どうですか」といふ電話がかかつて来る。今回は2件とも運良く私も家内も時間が取れるタイミングだつたので受けた。
 しかし、緊急避難の時には下着も着替へもない、体一つで来るから、こちらはてんてこ舞ひ。食事も何を食べさせたら良いのかも還暦を過ぎたこちらには手に余る。がなんとかこなした。いちばん困つたのは、夜の遊びであつた。下階の人に迷惑をかけまいと必死になつたが、子供はジャンプしたり足をどんどん踏み鳴らしたりがだいすきであつた。9時ごろになつてやうやく床につくやうになつて、やうやく解放される。家内と2人でゆつくりとコーヒーを飲む時間がいつにない幸福な時間であつた。

 今年もまた突然その時が訪れるのだらう。運が良ければ、また子供たちに会へる。
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福田恆存の讀まれ方ーーシンポジアムのレジュメ

2024年12月31日 09時15分25秒 | 評論・評伝
 僥倖は突然訪れた。『福田恆存全集』の詳細な年譜を作成された佐藤松男先生より、十一月に突然シンポジストとして福田恆存没後三十周年記念のシンポジアムに参加してほしいとの依頼があつた。
 私としてはこれ以上ない快事であつた。あまり良いことのなかつた今年の最後の最後にかういふ出来事が訪れたことを静かに喜んだ。いつもさう思ふが、出会ひといふのは、そのことが起きる直前まで分からないといふことである。当たり前のことではあるが、この「待つ」時間こそが生きるといふことなのだと改めて思つた。

 さて、当日私がお話したのは、以下のレジュメの通りである。どんな観衆なのかも分からないので、それぞれの世代ごとの「讀まれ方」について概説した。年の瀬に、もしご関心があればお目通しください。
 拙ブログをこの一年お讀みくださりありがたうございました。               

■世代によつて異なる「讀まれ方」
第一世代 同時代を生きた人 
小林秀雄 坂口安吾 保田與重郎 清水幾太郎
     鉢の木會(一九四八(昭二三)年結成)
 中村光夫 吉田健一 吉川逸治 三島由紀夫 大岡昇平
     
第二世代 後輩たち   
蔦の會(一九五七(昭三二)年結成) 谷田貝常夫 中村保男
「いい文章かどうかは文章が泣いてゐるかどうかだ」
土屋道雄『國語問題論争史』
黒田良夫(下諏訪の友へ)
西尾幹二 松原正 西部邁
     現代文化會議(佐藤松男・由紀草一)
     平岡英信(「私の幸福論」の下敷きになった講演)
     井尻千男『劇的なる精神 福田恆存』

第三世代 ここがこれからの読み手の主流
坪内祐三
福田恆存記念會(金子光彦・土井義士・富岡幸一郎)
遠藤浩一『福田恆存と三島由紀夫』
川久保剛『福田恆存 人間は弱い』・浜崎洋介『福田恆存〈思想のかたち〉』・先崎彰容
     
     大学入試で出題(2015年~2024年) 読者層の拡大
     2016年 上智大学「人間・この劇的なるもの」
     2018年 島根大学「私の幸福論」・大阪教育大学「私の幸福論」
     2021年 慶應義塾大学「一匹と九十九匹と」
     2023年 京都大学「藝術とはなにか」 「現代では、芸術の創造や鑑賞のいとなみにおいてさえ、だれもかれも孤独におちいっている」  
     2024年 成城大学「教養について」
     2024年 武蔵大学「人間・この劇的なるもの」

特殊な讀み手  
福田逸『父・福田恆存』『福田恆存の手紙』


以下は、時間がなく簡単に説明。

■気になる言葉 「絶對」
 【前提】「これからの日本に必要なのは、もはや日本人論ではなく、人間論である。その仕事をするのが哲学だ」(『日本への遺言 福田恆存語録』文庫版あとがき中村保男)
  「クリスト教においては、現実否定といつても人間が、あるいは自己が、それをするのではない。神がするのです。神が現実を否定し、人間を、自己を否定するのです。私たち人間は、はじめから神に否定されたものとして存在するのです」
  「人間は、自己を超え、自己に対立し、自己を否定する絶対神といふものを造つた」
  「絶対者を置く以上、哲学的には絶対主義でありませうが、結果としては、絶対と相対とに相渉る相対主義だ」
  「このやうに現実を超えた全体の観念といふものが、クリスト教において、もつとも明確に把握されてゐるにしても、それだからといつて、私たち日本人にとつて無縁のものだといひきれませうか」(以上三つは「絶対者の役割」昭32)
  → 絶対神は
       個人の信不信で存在の有無が決まる →  相対的絶対者
       個人の信不信とは関係ない     →  絶対的絶対者 = 絶対者

中村保男『絶對の探求』
「福田恆存は、二元論を思考と表現の手段とする以外に自分には方法はなかつたと明言してゐるのだが、それは恆存の生きた時代における恆存自身の役割を果たすための『便法』だつたのであり、一方で恆存ほど一元の理想を希求してゐた文士はまれであつたと私は思ふ」

  • その人が見てゐる世界によつて、「絶対」は「相対的」なものに見える。
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