ふと目についた丸谷才一の本『悠々鬱々』を、書棚から取り読んだ。その中の評論2つが印象に残つた。
1 日本文学のなかの世界文学
2 実生活とは何か、実感とはなにか
載せられた媒体は異なるものの書かれた時期ほぼ同じ。前者が『展望』昭和41年1月号、後者が『群像』昭和41年2月号である。
したがつて、主旨には通じるものがあつた。
それは何か。
日本近代文学が手本としたのは、19世紀ヨーロッパ文学であり、それがゆゑに私小説・自然主義文学こそが「純文学」であるといふ観念を作り出してしまつた。しかし、そもそも19世紀ヨーロッパ文学とはそれ以前の文学への反抗の表象であり、伝統的なヨーロッパの文学においてはむしろ異質なものであつた。それを手本としてしまつた日本の近代文学が生まれながらにして持つてしまつたこの性格は、当然ながら文学を痩せたものにしてしまふこととなつた。それが隘路である。
もちろん、周辺の日本近代文学などお構ひなしに、欧米文学はなほも進んでいく(つまり遠慮なく文学の伝統への求心と遠心とを自在に活かしていく)。トーマス・マンは『ドクトル・ファウストス』を、ジョイスは『ユリシーズ』を書いたのは、「何よりもまづ伝統尊重的な作風のもの」であることの証であり、その「態度の底には、明らかに、19世紀文学への批判があつた」と丸谷は記してゐる。孤立する19世紀の文学を文学の正統と考へた日本近代文学は、丸谷にとつては排すべきものだつたのである。
また、小林秀雄がトルストイの家出をめぐつて正宗白鳥と論争した時に「思想と実生活」といふ言葉を用ゐたが、それを「生活」と言はずに、なぜ「実生活」といふ言葉を用ゐたのかといふことについて触れた「2」も面白い指摘であつた。実生活とは、real lifeの直訳であるが、それはフランス語やドイツ語では一般的には使はない言葉であると言ふ。19世紀文学を日本近代文学は手本としたが、フランス自然主義を英訳で読んだところに淵源があるらしい。しかし、それは「小説や戯曲のなかで描かれてゐるのとは違ふ、普通の日常生活」といふ意味でのreal lifeを、批評用語として用ゐられた(丸谷は本多秋五を挙げてゐる)とき、「一人前の大人が実社会で苦労する辛い生活」といふ意味に変換されたと見てゐる。そして武者小路のやうな白樺派の文学への批判として「『実生活』をもっていた証拠」(本多『「白樺」派の文学』)といふ言葉を引いてゐる。ここには本多の白樺派作家たちへの「軽蔑の口調」があると丸谷は見てゐる。
私自身も、自著『文學の救ひ』の帯に「『思想と實生活』このふたつの間に横たはる難問を、現代文學は解決しただらうか」と記したが、その時にかうしたことを意識はしてゐなかつた。しかし、本多が先のやうに揶揄したところで、本多が「実生活」で解決すべき事柄を文学に持ち込んでゐなかつたといふ証拠になる訳も、丸谷が実生活といふ言葉の異質性を突いたところで、丸谷が優れた「思想」を小説に描いてゐたといふ証明にはならない。『「裏声」で歌へ君が代』が20世紀文学に遺るかと言はれれば否と言ふしかあるまい。しかし、それすらも些末なことに過ぎない。もつと大事なのは(唯一大事なことは)、思想は思想、生活は生活といふ二つの次元を生きることができないところに日本近代の貧しさがあるといふことである。生活を文学の質を探る手段とする必要などさらさらないといふことが本質である。丸谷の評論に今日的な価値があるとしても、そのことを言ひ切つてをらず、「実生活尊重」への批判に終はつてゐるばかりである。残念であつた。