日本政府は、1869年にアイヌモシリの一部を日本の領土とし(8 月15日に「開拓史」を設置)、1872年10月16日に琉球王国を「琉球藩」として日本の領土とした(琉球国王を琉球藩王とした)。その100年後の1972年5月15日に、日本敗戦後アメリカ合州国に占領されていた琉球は、「祖国復帰」した(日本に再併合された)。
1875年5月7日に、日本政府は、ロシア政府と「樺太千島交換条約」を締結して「千島列島」全域を領土とした。
その翌年、1876年10月17日に、日本政府は、「小笠原島ニ官庁ヲ設ケル」ことなどを12か国(ドイツ、オランダ、フランス、スペイン、アメリカ合州国、イギリス、オーストリア、ベルギー、デンマーク、イタリア、ペルー、ロシア)の在日公使に通告して「小笠原島」を日本の領土とした(内務省が管轄)。このとき、各国は、日本の領土化を黙認した。
その2年半後、1879年4月4日に、日本政府は、「琉球藩」を「沖縄県」とし、琉球藩王を廃止し、「華族」の一人を県令(県知事)とした。
日本外務省条約局が、『国際法先例彙輯 (2) 1933年10月調』として出した機密文書『新領土ノ発見及取得ニ関スル先例 島嶼先占』には、「帝国ノ為シタル島嶼先占事例」として、「小笠原島(1876年10月)」、「硫黄島(1891年9月)」、「久米赤島、久場島、魚釣島(1895年1月)」、「南鳥島(1898年7月)」、「沖大東島(1900年9月)」、「中鳥島(1908年8月)」が挙げられており、「外国ノ為シタル島嶼先占ニ対スル帝国政府ノ措置ニ関スル事例」として、「クリツバートン島(1898年)」、「ミッドウエー島及ウエーク島(1900年―1902年)」、「プラタス島(東沙島)(1907年―1909年)」、「ジャン、マイヤン島(1922年―1929年)」、「ブーベェ島(1928年―1929年)」、「ピーター一世島(1929年―1932年)」、「グリーンランド島(1921年―1933年)」、「パラセル島(西沙島)(懸案)」、「新南群島(懸案)」が挙げられている。このうち、「パラセル島(西沙島)」と「新南群島」は「(懸案)」と注記されている。
「小笠原島」の日本領土化は、1933年10月調の日本外務省の機密文書では「帝国ノ為シタル島嶼先占事例」の最初の例とされていた。
日本政府は、「小笠原島」を領土とした翌年(1877年)、「沖縄県」設置の2年前に「竹島外一島之義本邦関係無之義ト可相心得事」とする太政官指令をだし、「竹島外一島」(欝陵島と独島)は日本の領土ではないことを明示した(太政類典第二編には「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」と書かれている)。
1891年9月9日に、日本政府は、勅令によって「硫黄島」を日本領土とし、東京府小笠原島庁所属とした。
国民国家日本形成の初期、日本政府は、「小笠原島」と「硫黄島」を領土化した時期に、欝陵島とともに独島は日本の領土ではないと、公文書に明記していた。
佐藤正人
1875年5月7日に、日本政府は、ロシア政府と「樺太千島交換条約」を締結して「千島列島」全域を領土とした。
その翌年、1876年10月17日に、日本政府は、「小笠原島ニ官庁ヲ設ケル」ことなどを12か国(ドイツ、オランダ、フランス、スペイン、アメリカ合州国、イギリス、オーストリア、ベルギー、デンマーク、イタリア、ペルー、ロシア)の在日公使に通告して「小笠原島」を日本の領土とした(内務省が管轄)。このとき、各国は、日本の領土化を黙認した。
その2年半後、1879年4月4日に、日本政府は、「琉球藩」を「沖縄県」とし、琉球藩王を廃止し、「華族」の一人を県令(県知事)とした。
日本外務省条約局が、『国際法先例彙輯 (2) 1933年10月調』として出した機密文書『新領土ノ発見及取得ニ関スル先例 島嶼先占』には、「帝国ノ為シタル島嶼先占事例」として、「小笠原島(1876年10月)」、「硫黄島(1891年9月)」、「久米赤島、久場島、魚釣島(1895年1月)」、「南鳥島(1898年7月)」、「沖大東島(1900年9月)」、「中鳥島(1908年8月)」が挙げられており、「外国ノ為シタル島嶼先占ニ対スル帝国政府ノ措置ニ関スル事例」として、「クリツバートン島(1898年)」、「ミッドウエー島及ウエーク島(1900年―1902年)」、「プラタス島(東沙島)(1907年―1909年)」、「ジャン、マイヤン島(1922年―1929年)」、「ブーベェ島(1928年―1929年)」、「ピーター一世島(1929年―1932年)」、「グリーンランド島(1921年―1933年)」、「パラセル島(西沙島)(懸案)」、「新南群島(懸案)」が挙げられている。このうち、「パラセル島(西沙島)」と「新南群島」は「(懸案)」と注記されている。
「小笠原島」の日本領土化は、1933年10月調の日本外務省の機密文書では「帝国ノ為シタル島嶼先占事例」の最初の例とされていた。
日本政府は、「小笠原島」を領土とした翌年(1877年)、「沖縄県」設置の2年前に「竹島外一島之義本邦関係無之義ト可相心得事」とする太政官指令をだし、「竹島外一島」(欝陵島と独島)は日本の領土ではないことを明示した(太政類典第二編には「日本海内竹島外一島ヲ版圖外ト定ム」と書かれている)。
1891年9月9日に、日本政府は、勅令によって「硫黄島」を日本領土とし、東京府小笠原島庁所属とした。
国民国家日本形成の初期、日本政府は、「小笠原島」と「硫黄島」を領土化した時期に、欝陵島とともに独島は日本の領土ではないと、公文書に明記していた。
佐藤正人