昨年(2012年)11月2日に、わたしたちは、はじめて旦場村を訪ねた。『鉄蹄下的腥風血雨』によって旦場村虐殺のことを知っていらい、なんども旦場村訪問を試みていたが、果たすことができず、ようやくの訪問だった。
早朝、石碌鉱山のある石碌を出発し、西方に流れる昌化江の南岸沿いの道を下流の進んで東方市三家鎮玉雄村に着き、村人に話をきかせてもらい旧日本軍の望楼跡などに案内してもらったあと、さらに昌化江下流方向に行き、四更鎮を経由して昌化江河口に着いた。
午後3時ころだった。
旦場村は、昌化江河口の中洲の村だった。幅1メートルほど長さ300メートルほどの橋(「旦場簡易橋」)を歩いて渡って旦場村に向かった。それは、水かさが増したら沈んでしまうほど低い橋だった。
その橋を渡り、松林と草原の道を500メートルほど行くと、村の入り口に着いた。
そこに村役場があり、その前は広場になっていた。
村人に、訪問の目的を話し、話をきかせてもらった。
文開瓊さん(1942年生)が、「日寇惨殺旦場同胞 哀嘆長恨歌」をうたってくれた。
これは、1939年11月3日(農歴9月23日)に旦場村を襲った日本軍に殺された93人の同胞を哀悼する14字245行の長い歌である。この歌は、1947年にはじめて歌われたが、作者が文字が書けなかったので、王永効さんが歌詞を記録して残したものだという。。
文開瓊さんが歌いつづけている30分あまりの間、周りを囲んでいた人たちは、ほとんど身動きしないで、聞いていた。涙を流している人もいた。わたしは、歌詞は聞いてほとんどわからなかったが、くりかえされる歌の調べに、からだが硬くなった。
この日夜、わたしたちは、旦場村が2012年はじめに発行した『故郷』を見ることができた。そこには「日寇惨殺旦場同胞 哀嘆長恨歌」の歌詞が収録されており、殺された93人のうちの36人が惨殺される状況が記されていた。
佐藤正人
■海南昌化江下游---“村人”讲“村话”唱“村歌”
http://news.folkw.com/www/qqfs/095354210_3.html
2007-7-2 9:48:00 作者:陈耿 卞王玉珏 新闻来源:海南日报
通过实地调查录音和文本收集,记者从内容方面对村歌进行了初步的归类,主要有感怀身世、记述历史和生产生活三大类。
感怀身世和记述历史的村歌篇幅一般都很长,往往一吟唱就是数小时,身世坎坷的老人比较喜欢听这样的村歌,常见的歌名为《泣叹苦难歌》和《自叹血泪歌》。虽然不算悦耳,但这些长歌颇有史料价值。有一首《哀叹长恨歌——日军惨杀旦场同胞》,唱的是1939年农历九月廿三,日寇在旦场村屠杀该村老少93人的历史事件,这就是海南革命史上有名的“旦场惨案”。歌里还提到了很多细节,弥补了志书中的空白。…………
早朝、石碌鉱山のある石碌を出発し、西方に流れる昌化江の南岸沿いの道を下流の進んで東方市三家鎮玉雄村に着き、村人に話をきかせてもらい旧日本軍の望楼跡などに案内してもらったあと、さらに昌化江下流方向に行き、四更鎮を経由して昌化江河口に着いた。
午後3時ころだった。
旦場村は、昌化江河口の中洲の村だった。幅1メートルほど長さ300メートルほどの橋(「旦場簡易橋」)を歩いて渡って旦場村に向かった。それは、水かさが増したら沈んでしまうほど低い橋だった。
その橋を渡り、松林と草原の道を500メートルほど行くと、村の入り口に着いた。
そこに村役場があり、その前は広場になっていた。
村人に、訪問の目的を話し、話をきかせてもらった。
文開瓊さん(1942年生)が、「日寇惨殺旦場同胞 哀嘆長恨歌」をうたってくれた。
これは、1939年11月3日(農歴9月23日)に旦場村を襲った日本軍に殺された93人の同胞を哀悼する14字245行の長い歌である。この歌は、1947年にはじめて歌われたが、作者が文字が書けなかったので、王永効さんが歌詞を記録して残したものだという。。
文開瓊さんが歌いつづけている30分あまりの間、周りを囲んでいた人たちは、ほとんど身動きしないで、聞いていた。涙を流している人もいた。わたしは、歌詞は聞いてほとんどわからなかったが、くりかえされる歌の調べに、からだが硬くなった。
この日夜、わたしたちは、旦場村が2012年はじめに発行した『故郷』を見ることができた。そこには「日寇惨殺旦場同胞 哀嘆長恨歌」の歌詞が収録されており、殺された93人のうちの36人が惨殺される状況が記されていた。
佐藤正人
■海南昌化江下游---“村人”讲“村话”唱“村歌”
http://news.folkw.com/www/qqfs/095354210_3.html
2007-7-2 9:48:00 作者:陈耿 卞王玉珏 新闻来源:海南日报
通过实地调查录音和文本收集,记者从内容方面对村歌进行了初步的归类,主要有感怀身世、记述历史和生产生活三大类。
感怀身世和记述历史的村歌篇幅一般都很长,往往一吟唱就是数小时,身世坎坷的老人比较喜欢听这样的村歌,常见的歌名为《泣叹苦难歌》和《自叹血泪歌》。虽然不算悦耳,但这些长歌颇有史料价值。有一首《哀叹长恨歌——日军惨杀旦场同胞》,唱的是1939年农历九月廿三,日寇在旦场村屠杀该村老少93人的历史事件,这就是海南革命史上有名的“旦场惨案”。歌里还提到了很多细节,弥补了志书中的空白。…………