■紀州鉱山の真実を明らかにする会による「朝鮮村試掘」までの道程 24
「朝鮮村試掘」を始める少し前、2006年4月20日に、紀州鉱山の真実を明らかにする会はつぎのような呼びかけと報告をおこなった。
■2006年5月海南島「朝鮮村試掘」の目的■
紀州鉱山の真実を明らかにする会は、2006年5月に「朝鮮村試掘」を行なうことにしました。参加を希望する方、あるいは日程を知りたい方は、会あてに連絡ください。
この文書の公開が遅くなったのは、韓国の真相糾明委員会からの最終連絡を待っていたからです。
★「試掘」規模:5平方メートル~7平方メートルを想定。
ただし、地権問題などにより、こんかいの「試掘」が、最初で最後の科学的「発掘」となるおそれがあるため、条件があれば規模を拡大する。
紀州鉱山の真実を明らかにする会だけで、「朝鮮村発掘」をやりとげることはできない。会だけで独自に「発掘」するとしても、それは「試掘」であって、わたしたちができるのは、本格的・全面的な「朝鮮村発掘」の前提作業だけである。
★目的:
1、「朝鮮村」における日本人による朝鮮人虐殺の事実を確かめる。
1998年6月から2006年4月まで、紀州鉱山の真実を明らかにする会は30回あまり、「朝鮮村」を訪問してきた。おおくの村人が、日本侵略時に、朝鮮人が「朝鮮村」とその周辺で日本人によって強制労働させられ、虐殺され、埋められたのを目撃したと証言している。
2、はじめての科学的な「発掘」をおこなう。
2001年1月の韓国MBCらによる「発掘」によっても、朝鮮人が埋められていた事実ははっきりしたが、その「発掘」方法・記録は十分には科学的でなかった。今回は、全面的な科学的「発掘」の前提として、朝鮮人が埋葬されていると村びとが証言する広い地域のうちの僅かな部分を、慎重に考古学者の指導のもとに可能なかぎり科学的に「試掘」する。
3、死因を特定する。
①埋葬様式、②埋葬状態、③遺体状態、④遺骨、⑤遺物状態、⑥遺物内容などを解析・鑑定・分析し、できるかぎり死因を特定する。
朝鮮人であるかどうかは、埋葬様式と埋葬状態の分析によってできるだけ明らかにする。
4、公的機関による全面的「発掘」をうながす。
「朝鮮報国隊」に入れられていた朝鮮人が「朝鮮村」に埋められたという事実は、おおくの「朝鮮村」村びとの証言、および当時の日本人刑務官(衣笠一第7次「朝鮮報国隊」派遣中隊長、のちに部隊本部庶務主任)の証言によって明らかであるのだから、今回の「試掘」は、韓国政府と日本政府による全面的「発掘」→鑑定、犠牲者追悼、日本政府の引責・謝罪・責任者処罰の第1歩である。
5、「朝鮮村発掘」は、日本の侵略史の発掘、日本の侵略犯罪の発掘である。
「朝鮮村発掘」が国民国家日本の侵略犯罪・他地域・他国侵略史の発掘である以上、それをおしすすめることは、国民国家日本の近現代史と全面的に対決することである。
紀州鉱山の真実を明らかにする会は、日本政府(総理大臣、法務大臣、厚生労働大臣)に「“南方派遣朝鮮報国隊”の真相究明にかんする要請」をおこなったが、厚生労働省職業安定局総務課から「厚生労働省では“南方派遣朝鮮報告隊”に関する資料がないため、要請に対してお答えすることができません」(「南方派遣朝鮮報国隊」と書くべき個所が、「南方派遣朝鮮報告隊」となっていた)という「回答」があっただけである。
★附記
紀州鉱山の真実を明らかにする会は、2002年4月17日に金大中大統領に、2003年5月5日に盧武鉉大統領に、①「朝鮮村」に埋められている人たちの遺骨の死因を解明してほしい、②「朝鮮村」の遺骨の処遇を国家プロジェクトとして考えてもらいたい、と要請した。
これにたいし、2003年11月12日付けで、韓国外交通商部長官から、
「海南島をふくめ、海外に所在する日帝時代の韓国人犠牲者の遺骨奉還と関連して、外
交通商部ではまず、日本、および太平洋各地を調査し、実態調査を実施した後、総合的
な計画を樹立したあと、汎政府次元で推進するのが望ましいという立場です」
という公文書が送られてきた。
2004年11月に、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会が韓国国家機構として設置され、2005年2月1日から、強制動員被害真相調査申請と被害申請の受付開始した。
2005年4月に、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会に、日帝強占下の海南島における朝鮮人強制動員・虐殺被害真相糾明を共同でおこなうこと、そのために、「朝鮮村」発掘をおこなうことを提言した。
この提言に、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会は同意したが、それからこんにちまで1年間、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会は、海南島での組織的調査も「朝鮮村」発掘の具体的準備もすすめてこなかった。
ほんらい、海南島における日本の朝鮮人にたいする侵略犯罪は、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会が職権で調査すべきであるが、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会の要請に応じて、2005年6月23日に、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会にたいし調査請求をおこなった。その請求は同年9月2日に受理されたが、請求内容にかかわる回答は、これまで届いていない。
いつまでも放置しておくことができないため、やむをえず、こんかい紀州鉱山の真実を明らかにする会が独自で「試掘」せざるをえなくなったが、全面的な「発掘」は今後の課題である。ただし、地権問題が複雑化しており、こんかいの「試掘」後、埋葬地が「開発」=破壊されるおそれが生じている。
「朝鮮村試掘」を始める少し前、2006年4月20日に、紀州鉱山の真実を明らかにする会はつぎのような呼びかけと報告をおこなった。
■2006年5月海南島「朝鮮村試掘」の目的■
紀州鉱山の真実を明らかにする会は、2006年5月に「朝鮮村試掘」を行なうことにしました。参加を希望する方、あるいは日程を知りたい方は、会あてに連絡ください。
この文書の公開が遅くなったのは、韓国の真相糾明委員会からの最終連絡を待っていたからです。
★「試掘」規模:5平方メートル~7平方メートルを想定。
ただし、地権問題などにより、こんかいの「試掘」が、最初で最後の科学的「発掘」となるおそれがあるため、条件があれば規模を拡大する。
紀州鉱山の真実を明らかにする会だけで、「朝鮮村発掘」をやりとげることはできない。会だけで独自に「発掘」するとしても、それは「試掘」であって、わたしたちができるのは、本格的・全面的な「朝鮮村発掘」の前提作業だけである。
★目的:
1、「朝鮮村」における日本人による朝鮮人虐殺の事実を確かめる。
1998年6月から2006年4月まで、紀州鉱山の真実を明らかにする会は30回あまり、「朝鮮村」を訪問してきた。おおくの村人が、日本侵略時に、朝鮮人が「朝鮮村」とその周辺で日本人によって強制労働させられ、虐殺され、埋められたのを目撃したと証言している。
2、はじめての科学的な「発掘」をおこなう。
2001年1月の韓国MBCらによる「発掘」によっても、朝鮮人が埋められていた事実ははっきりしたが、その「発掘」方法・記録は十分には科学的でなかった。今回は、全面的な科学的「発掘」の前提として、朝鮮人が埋葬されていると村びとが証言する広い地域のうちの僅かな部分を、慎重に考古学者の指導のもとに可能なかぎり科学的に「試掘」する。
3、死因を特定する。
①埋葬様式、②埋葬状態、③遺体状態、④遺骨、⑤遺物状態、⑥遺物内容などを解析・鑑定・分析し、できるかぎり死因を特定する。
朝鮮人であるかどうかは、埋葬様式と埋葬状態の分析によってできるだけ明らかにする。
4、公的機関による全面的「発掘」をうながす。
「朝鮮報国隊」に入れられていた朝鮮人が「朝鮮村」に埋められたという事実は、おおくの「朝鮮村」村びとの証言、および当時の日本人刑務官(衣笠一第7次「朝鮮報国隊」派遣中隊長、のちに部隊本部庶務主任)の証言によって明らかであるのだから、今回の「試掘」は、韓国政府と日本政府による全面的「発掘」→鑑定、犠牲者追悼、日本政府の引責・謝罪・責任者処罰の第1歩である。
5、「朝鮮村発掘」は、日本の侵略史の発掘、日本の侵略犯罪の発掘である。
「朝鮮村発掘」が国民国家日本の侵略犯罪・他地域・他国侵略史の発掘である以上、それをおしすすめることは、国民国家日本の近現代史と全面的に対決することである。
紀州鉱山の真実を明らかにする会は、日本政府(総理大臣、法務大臣、厚生労働大臣)に「“南方派遣朝鮮報国隊”の真相究明にかんする要請」をおこなったが、厚生労働省職業安定局総務課から「厚生労働省では“南方派遣朝鮮報告隊”に関する資料がないため、要請に対してお答えすることができません」(「南方派遣朝鮮報国隊」と書くべき個所が、「南方派遣朝鮮報告隊」となっていた)という「回答」があっただけである。
★附記
紀州鉱山の真実を明らかにする会は、2002年4月17日に金大中大統領に、2003年5月5日に盧武鉉大統領に、①「朝鮮村」に埋められている人たちの遺骨の死因を解明してほしい、②「朝鮮村」の遺骨の処遇を国家プロジェクトとして考えてもらいたい、と要請した。
これにたいし、2003年11月12日付けで、韓国外交通商部長官から、
「海南島をふくめ、海外に所在する日帝時代の韓国人犠牲者の遺骨奉還と関連して、外
交通商部ではまず、日本、および太平洋各地を調査し、実態調査を実施した後、総合的
な計画を樹立したあと、汎政府次元で推進するのが望ましいという立場です」
という公文書が送られてきた。
2004年11月に、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会が韓国国家機構として設置され、2005年2月1日から、強制動員被害真相調査申請と被害申請の受付開始した。
2005年4月に、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会に、日帝強占下の海南島における朝鮮人強制動員・虐殺被害真相糾明を共同でおこなうこと、そのために、「朝鮮村」発掘をおこなうことを提言した。
この提言に、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会は同意したが、それからこんにちまで1年間、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会は、海南島での組織的調査も「朝鮮村」発掘の具体的準備もすすめてこなかった。
ほんらい、海南島における日本の朝鮮人にたいする侵略犯罪は、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会が職権で調査すべきであるが、紀州鉱山の真実を明らかにする会は、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会の要請に応じて、2005年6月23日に、日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会にたいし調査請求をおこなった。その請求は同年9月2日に受理されたが、請求内容にかかわる回答は、これまで届いていない。
いつまでも放置しておくことができないため、やむをえず、こんかい紀州鉱山の真実を明らかにする会が独自で「試掘」せざるをえなくなったが、全面的な「発掘」は今後の課題である。ただし、地権問題が複雑化しており、こんかいの「試掘」後、埋葬地が「開発」=破壊されるおそれが生じている。