■1、独島問題は、領有権問題でなく、植民地問題である。
日本政府が、ロシアとの戦争のさなか、1905年1月28日の閣議で、独島を「本邦所属」と
した理由は、
①、「他国ニ於テ之ヲ占領シタリト認ムヘキ形跡」がないこと、
②、「1903年以来中井養三郎ナル者該島ニ移住シ漁業ニ従事セルコトハ 関係書類ニ依
リ明ナル所ナレバ 国際法上占領ノ事実アルモノト認メ」
というものであった。
①の理由は、大韓帝国政府が1900年10月25日に、「勅令」で、独島(トクト)を「石島(トク
ト)」と書き記して欝陵郡の管轄地としており、日本軍艦「新高号」の1904年9月25日の日誌
に、「「リアンコルド」岩韓人之ヲ獨島ト書シ」と記録しているのであるから、なりたたない。
②の理由も、1903年以前から独島で朝鮮人が「漁業ニ従事」していたので、なりたたな
い。独島は水がほとんどない岩礁であり人が移住(長期に居住)することができない所で
ある。したがって「1903年以来中井養三郎ナル者該島ニ移住シ」ということも事実ではない。
日本政府は、1905年1月に、大韓帝国の一部である独島を「併合」し、1910年8月に残り
の大韓帝国全土を「併合」した。
■2、なぜ、そのようなことができたのか(世界近現代史における独島問題)。
帝国主義諸国の他地域・他国侵略の世界史。
帝国主義諸国の黙認・追認・同意。
■3、国民国家日本の形成過程→国民国家日本の領土拡大。
■4、いまなお領土拡大・他地域・他国侵略を肯定し続けている日本ナショナリズム。
国民国家日本の独島再占領を具体化しようとする日本ナショナリズム。
1905年に占領し「竹島」と命名した独島を、いまなお「竹島」と称し、「竹島は、歴史的事
実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土です」とする日本政府は、
朝鮮植民地化の歴史的責任をとろうとしていない。国民国家が独島をふくむ大韓帝国を
植民地としていなければ、朝鮮は分断されなかった。
独島は、朝鮮で最初に日本の植民地とされた地域である。
日本政府が、独島を「日本国家の固有の領土」と主張することは、国民国家日本の朝
鮮植民地化を肯定することである。日本政府の独島再占領策動は、日本政府が朝鮮を植
民地としたことを根本的に否定していないことを示している。日本政府は、国民国家日
本が他地域・他国を侵略しつづけてきた歴史を全面的に否定しようとしておらず、基本
的な謝罪も賠償も責任者処罰もしていない。
2013年2月5日、日本政府は、前年11月22日に内閣官房に設置された「竹島
問題対策準備チーム」を改組し「領土・主権対策企画調整室」を設置した。
■5、日本政府・日本ナショナリストの虚偽
日本帝国政府は、大韓帝国の領土であった独島を、1905年1月に「本邦所属」として併
合した。
現在の日本国の政府は、1905年の日本帝国の独島併合を前提として、独島を「我が国
固有の領土」であると主張し、独島の再占領を策動している。
日本政府の独島再占領策動に加担し、独島を竹島と称し、独島を日本国家の領土であ
ると述べる日本人歴史研究者は少なくないが、その策動を明確に批判する日本人歴史研
究者は限られている。
日本政府の独島再占領策動にたいして発言しない日本人歴史研究者は、客観的には、
独島が「日本国家固有の領土」だとする宣伝に加担している。
独島問題について、日本のおおくのマスメディアは、「日本側」の主張と「韓国側」
の主張とを対立させ、日本ナショナリズムを煽動している。対立しているのは、「日本
側」の主張と「韓国側」の主張ではなく、客観的な歴史認識と侵略的な日本国家主義的
「歴史認識」である。
独島が、日本の領土ではないことは、「韓国の論理」でも「日本の論理」でもなく、客観的
な歴史的事実である。客観的な歴史的諸事実の認識にかんして、「韓国の論理」、あるい
は「日本の論理」という「区別」をすることは、問題の本質を日本ナショナリズムの枠内
にとじこめることである。
■補、地名が示していること
1900年10月25日に、大韓帝国政府は、「勅令」第41号で、独島を「石島」と書き記
し、欝陵郡の管轄地としている(『官報』第1716号、1900年10月27日、議政府総務局官
報課)。この島を欝陵島地域の朝鮮人は、「ドクソム」(石の島という意味)とよんで
おり、発音にしたがって漢字表記すると独島となる。
日本の軍艦「新高号」の日誌の1904年9月25日の部分には、
「松島ニ於テ「リアンコルド」岩の実見者ヨリ聴取リタル情報「リアンコルド」岩韓人
之ヲ獨島ト書シ本邦漁夫等略シテ「リヤンコ」島ト呼称セリ別紙略図ノ如ク二個岩
嶼ヨリ成リ……」
と書かれていた。1904年9月以前に、朝鮮人が、この岩礁を独島と呼んでいたことが、日
本軍の報告書に明記されていた。
佐藤正人
日本政府が、ロシアとの戦争のさなか、1905年1月28日の閣議で、独島を「本邦所属」と
した理由は、
①、「他国ニ於テ之ヲ占領シタリト認ムヘキ形跡」がないこと、
②、「1903年以来中井養三郎ナル者該島ニ移住シ漁業ニ従事セルコトハ 関係書類ニ依
リ明ナル所ナレバ 国際法上占領ノ事実アルモノト認メ」
というものであった。
①の理由は、大韓帝国政府が1900年10月25日に、「勅令」で、独島(トクト)を「石島(トク
ト)」と書き記して欝陵郡の管轄地としており、日本軍艦「新高号」の1904年9月25日の日誌
に、「「リアンコルド」岩韓人之ヲ獨島ト書シ」と記録しているのであるから、なりたたない。
②の理由も、1903年以前から独島で朝鮮人が「漁業ニ従事」していたので、なりたたな
い。独島は水がほとんどない岩礁であり人が移住(長期に居住)することができない所で
ある。したがって「1903年以来中井養三郎ナル者該島ニ移住シ」ということも事実ではない。
日本政府は、1905年1月に、大韓帝国の一部である独島を「併合」し、1910年8月に残り
の大韓帝国全土を「併合」した。
■2、なぜ、そのようなことができたのか(世界近現代史における独島問題)。
帝国主義諸国の他地域・他国侵略の世界史。
帝国主義諸国の黙認・追認・同意。
■3、国民国家日本の形成過程→国民国家日本の領土拡大。
■4、いまなお領土拡大・他地域・他国侵略を肯定し続けている日本ナショナリズム。
国民国家日本の独島再占領を具体化しようとする日本ナショナリズム。
1905年に占領し「竹島」と命名した独島を、いまなお「竹島」と称し、「竹島は、歴史的事
実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土です」とする日本政府は、
朝鮮植民地化の歴史的責任をとろうとしていない。国民国家が独島をふくむ大韓帝国を
植民地としていなければ、朝鮮は分断されなかった。
独島は、朝鮮で最初に日本の植民地とされた地域である。
日本政府が、独島を「日本国家の固有の領土」と主張することは、国民国家日本の朝
鮮植民地化を肯定することである。日本政府の独島再占領策動は、日本政府が朝鮮を植
民地としたことを根本的に否定していないことを示している。日本政府は、国民国家日
本が他地域・他国を侵略しつづけてきた歴史を全面的に否定しようとしておらず、基本
的な謝罪も賠償も責任者処罰もしていない。
2013年2月5日、日本政府は、前年11月22日に内閣官房に設置された「竹島
問題対策準備チーム」を改組し「領土・主権対策企画調整室」を設置した。
■5、日本政府・日本ナショナリストの虚偽
日本帝国政府は、大韓帝国の領土であった独島を、1905年1月に「本邦所属」として併
合した。
現在の日本国の政府は、1905年の日本帝国の独島併合を前提として、独島を「我が国
固有の領土」であると主張し、独島の再占領を策動している。
日本政府の独島再占領策動に加担し、独島を竹島と称し、独島を日本国家の領土であ
ると述べる日本人歴史研究者は少なくないが、その策動を明確に批判する日本人歴史研
究者は限られている。
日本政府の独島再占領策動にたいして発言しない日本人歴史研究者は、客観的には、
独島が「日本国家固有の領土」だとする宣伝に加担している。
独島問題について、日本のおおくのマスメディアは、「日本側」の主張と「韓国側」
の主張とを対立させ、日本ナショナリズムを煽動している。対立しているのは、「日本
側」の主張と「韓国側」の主張ではなく、客観的な歴史認識と侵略的な日本国家主義的
「歴史認識」である。
独島が、日本の領土ではないことは、「韓国の論理」でも「日本の論理」でもなく、客観的
な歴史的事実である。客観的な歴史的諸事実の認識にかんして、「韓国の論理」、あるい
は「日本の論理」という「区別」をすることは、問題の本質を日本ナショナリズムの枠内
にとじこめることである。
■補、地名が示していること
1900年10月25日に、大韓帝国政府は、「勅令」第41号で、独島を「石島」と書き記
し、欝陵郡の管轄地としている(『官報』第1716号、1900年10月27日、議政府総務局官
報課)。この島を欝陵島地域の朝鮮人は、「ドクソム」(石の島という意味)とよんで
おり、発音にしたがって漢字表記すると独島となる。
日本の軍艦「新高号」の日誌の1904年9月25日の部分には、
「松島ニ於テ「リアンコルド」岩の実見者ヨリ聴取リタル情報「リアンコルド」岩韓人
之ヲ獨島ト書シ本邦漁夫等略シテ「リヤンコ」島ト呼称セリ別紙略図ノ如ク二個岩
嶼ヨリ成リ……」
と書かれていた。1904年9月以前に、朝鮮人が、この岩礁を独島と呼んでいたことが、日
本軍の報告書に明記されていた。
佐藤正人