わたしたちが、日本軍の兵士として海南島に行った朝鮮人に、はじめて会うことができたのは、朴泰愚さん(1925年生)でした。
朴泰愚さんは、2001年4月に、ソウル市の自宅で、
「わたしは、日本海軍特別志願兵の第一期兵だった。鎮海から海南島に行く途
中、船が沈没して、フィリピンに行った。
海南島では、海南警備府第16警備隊の櫻砲台高射砲部隊の射撃手だった。
櫻砲台は三亜市の飛行場の近くにあった。第16警備隊に朝鮮人兵士は2人い
た。第16警備隊の司令官は能美実だった」
と話し、「能美実」という文字を毛筆で書いて示してくれました。
佐藤正人
朴泰愚さんは、2001年4月に、ソウル市の自宅で、
「わたしは、日本海軍特別志願兵の第一期兵だった。鎮海から海南島に行く途
中、船が沈没して、フィリピンに行った。
海南島では、海南警備府第16警備隊の櫻砲台高射砲部隊の射撃手だった。
櫻砲台は三亜市の飛行場の近くにあった。第16警備隊に朝鮮人兵士は2人い
た。第16警備隊の司令官は能美実だった」
と話し、「能美実」という文字を毛筆で書いて示してくれました。
佐藤正人