三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「海南島同胞實情」 1

2010年10月16日 | 海南島からの朝鮮人帰還
 最近、在日朝鮮人歴史研究所から『民衆新聞』16号(朝鮮民衆新聞社刊、東京都芝区田村町1-3、 発行兼編集印刷人金桂淡、1946年4月15日)に掲載された記事「海南島同胞實情」を、海南島近現代史研究会に送っていただきました。日本語に翻訳して2回に分けて掲載します。
 ここに書かれている「徴用報國隊」は、「朝鮮報國隊」のことだと思われます。

■海南島同胞實情
 祖国独立を合唱して祝福
 准捕虜待遇をうけつつ

 今日(10日)朝、本社を訪問し、海南島同胞の悲惨な准捕虜生活実情を悲憤する口調で話し、一刻も早く救助の手を差し伸べてくれることを待っていると話す、2人の人がいた。
 本籍地平安北道寧辺郡鳳山面陽地洞の金錫溶君(29歳)と忠清南道牙山郡祈昌面五木里の李順永君(30歳)の両君だ。3月18日、海南島を出港した播磨丸で密航し、3月29日、広島県宇品港に上陸し、本社を訪問した。
 以下、両君の話を記す。
 金、李両君は、1942年11月、日本窒素興業株式会社設営隊として海南島に渡航した。 終戦後、在留同胞とともに一日も早く本国に帰還する日を待ち望んだが、一回目、二回目、三回目も朝鮮人は乗船できず、四回目はどうしても同胞の苦節を見すごしことができず、その救助を本国に嘆願しようと密航してきたという。
 
 海南島に居住するわれわれ同胞の総数はおおよそ1200名である。
 集合地は海口180名、楡林856名、北黎372名であり、全員が日本侵略戦争にかりだされた軍人軍属、徴用報国隊である。
 中国側官憲は、ことばでは朝鮮と中国は兄弟とおなじだというが、同胞を取り扱う態度は准捕虜待遇をするという。それゆえ、同胞の終戦後の生活状○(判読不能)は、今年1月までは1人につき1合5勺の配給があったが、2月以降は物資欠乏の理由ですべての配給がまったくなくなった。
 いまは衣服等を売り、闇で米1斤320円(法幣)、さつまいも1貫60円であり、その他の物資は話にならないほど高価である。
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