三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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海南島の朝鮮人兵士 3

2010年10月08日 | 海南島からの朝鮮人帰還
 海南島に日本海軍の兵士として入った最初の朝鮮人は、「鎮海海兵団」に入団した「海軍特別志願兵」の第1期生でした。この人たちが乗って南方に向った船は、台湾とフィリピンの間のバシー海峡で沈没し、生き残った人たちは、マニラを経由してベトナムのサイゴンに行き、サイゴンから海南島に行きました。
 かれらが、海南島に上陸したのは、1944年の中ごろだと思われます。
 1939年2月に海南島に奇襲上陸した日本海軍は、武力行使を集中的におこなう「Y作戦」を9回行い、抗日反日武装部隊を制圧し抗日反日闘争の深化を阻止しようとして住民虐殺をくりかえしました(「Y1作戦」:1939年2月~11月、「Y2作戦」:1940年2月~4月、「Y3作戦」:1941年2月22日~3月31日、「Y4作戦」:1941年8月9日~8月30日、「Y5作戦」:1941年11月25日~1942年1月25日、「Y6作戦」:1442年6月、「Y7作戦」:1942年11月~1943年6月、「Y8作戦」:1943年12月から1年間断続的に、「Y9作戦」:1944年12月)。
 日本海軍は、「Y作戦」の期間だけでなく、6年半の占領の全期間に継続的に海南島各地で住民虐殺、村落破壊、放火、暴行、略奪、人権侵害を重ねました。
 朴泰宇さん、鄭明出さん、崔永洙さん、金永振さん、李西根さんら、「海軍特別志願兵」の第1期生が海南島に日本海軍の兵士として上陸したのは、日本海軍が海南島で「Y8作戦」をおこなっているさなかであったと思われます。
                                 佐藤正人
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