三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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河相祚さんと申載燮さん

2010年10月01日 | 海南島からの朝鮮人帰還
 きょう(2010年10月1日)朝8時に、約束どおりに、ふたたび河相祚さんの家を訪ねました。あさって雨が降りそうなので、稲刈りを急がなければならないにもかかわらず、河相祚さんは、当時のことを詳しく話してくれました。

 きょう午後、全羅北道茂朱郡アンソン面で、申載燮さんに話を聞かせてもらいました。
 申載燮さん(1925年8月15日生)は、19歳のとき特別志願兵として鎮海の日本海軍警備府の海兵団に入り、2期生になった。2期生は200人あまりだった。半年間、「訓練」を受けた。「訓練」は苦しかった。死んだ人はいなかったが、何人かが逃亡した。ボートを漕ぐ「訓練」がいちばん辛かった。「座学」で手旗信号のことなどを教えられた。冬のある日、2期生のうち40―50人が鎮海から海南島につれていかれた。海南島では、砲台に配属された。砲台の脇に宿所があった。宿所は地下に作られていた。食堂や便所は地上にあった”と話しました。
                           佐藤正人
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